貧困から這い上がったチャップリンの
「ライムライト」(1952年)
「人生に必要なものは勇気と想像力、それに少しのお金」
ゴダールの
「ヌーヴェルヴァーグ」 (1990年)
資本家の倦怠感が充満している・・・
対比的な映画なのかな?
Aoyagi YoSuKe
---Wikipedia
チャールズ・チャップリン(Charles Chaplin, 1889年4月16日 - 1977年12月25日)は、ハリウッド映画初期の俳優、脚本家、そして映画監督である。本名:チャールズ・スペンサー・チャップリン・ジュニア(Charles Spencer Chaplin Jr. KBE)。映画の黎明期に数々の作品を作り上げ、「喜劇王」の異名をもつ。愛称は“チャーリー”。各種メディアを通じ、現在においても彼の姿や作品にふれることは容易である。また、バスター・キートンやハロルド・ロイドと並び、「世界の三大喜劇王」と呼ばれる。独裁者アドルフ・ヒトラーを皮肉った映画『独裁者』で有名だが、そのモデルとなったヒトラーと誕生年月が同じ1889年4月である(チャップリンの方が4日早い)。
イギリス・ロンドン出身。両親はミュージック・ホールの芸人だったが、1歳のときに離婚。その11年後、父チャールズ・チャップリンはアルコール依存症によって死去し、母ハンナ・ヒルも精神病にかかる。4歳違いの異父兄シドニーと、孤児院や貧民院を転々とする。チャーリー自身も、幼い頃から新聞やマーケットの売り子、ミュージック・ホールでパントマイム劇などを演じて一家の家計を支える。10歳の時には木靴のダンスを専門とする一座に加わり、研鑽を積んだ。
その後、1908年にフレッド・カーノー劇団に入り、酔っ払いの演技で頭角を現す(この劇団には後にローレル&ハーディで有名になるスタン・ローレルもいた)。1913年、カーノー劇団の2度目のアメリカ合衆国巡業の際に、「キーストン・コップス」や「海水着美人」で有名な映画プロデューサー、マック・セネット(Mack Sennett)の目にとまり、週給150ドルで喜劇俳優としてデビューする。映画デビューの1914年だけで34本もの短編に出演。当時すでにキーストン・ピクチャーズ・スタジオ(Keystone Studios)のスターであった、ロスコー・アーバックルやメーベル・ノーマンドらと共演し人気者となる。
翌、1915年にはエッサネイ社(Essanay Studios)に移籍。週給1250ドル。ここで14本の短編を監督、主演する。さらに1916年、週給1万ドルにボーナス15万ドルという破格の契約金でもってミューチュアル・フィルム社(Mutual Film)に迎えられる。ここでは製作の自由を与えられ、よりよい環境の下12本の傑作を世に放った。
1918年、自身の撮影スタジオを設け、一作ごとにかける時間と労力を惜しまず、ファースト・ナショナル社(First National、後にワーナー・ブラザーズと合併)と、年間100万ドル超の契約を結び、名実ともにハリウッド・スーパースターとなる。1919年には、盟友のダグラス・フェアバンクス、メアリー・ピックフォード、D・W・グリフィスとともに、配給会社ユナイテッド・アーティスツ(現メトロ・ゴールドウィン・メイヤー傘下)を設立し、1918年に建設されたチャップリン・スタジオと合わせて、無干渉で映画製作が出来る完全なる自由を手に入れた。
チャップリンの最もよく知られている役柄は「小さな放浪者=The Little Tramp」である。窮屈な上着に、だぶだぶのズボンと大きすぎる靴(ドタ靴)、山高帽に竹のステッキといったいでたちのちょび髭の人物で、アヒルのように足を大きく広げてガニ股で歩く特徴をもつ。ホームレスだが紳士としての威厳をもち、優雅な物腰とその持ち前の反骨精神で、ブルジョワや権力の横柄さを茶化し、笑い飛ばした。この独特の扮装と役柄は、1914年の2作目『ヴェニスの子供自動車競争[1]』(Kid Auto Races at Venice)で初めて登場している(チャップリン本人も最初受けるとは思わなかったという)。以後、このTrampは滑稽味の中にもペーソスをたたえたキャラクターに進化し、ハートフルな要素も加味されて、弱者・貧者(プロレタリア)の立場から、資本主義社会に対する不平等への“怒り”を表現するに至る。
チャップリンはサイレント映画時代における極めてクリエイティブな人物の一人であった。完璧主義で知られ、俳優であることはもちろん、プロデューサー、脚本家、ディレクター、そして時には自らの映画のために作曲家までをもつとめた。しかし、第二次世界大戦前の1936年に製作された『モダン・タイムス』のあたりから、鋭進的な左右両派からの突き上げが激しくなっていく。
既に1932年の日本訪問中に偶々発生した国粋主義的な士官によるクーデター未遂事件(五・一五事件、後述)では「日本に退廃文化を流した元凶」として、首謀者の間でチャップリンの暗殺が画策されていた。更に大戦前後の戦争、あるいはファシズムを批判する彼の作風が、第二次世界大戦が終結し、ソビエト連邦をはじめとする東側諸国との冷戦が始まったアメリカで「容共的である」とされ、非難の的とされた。特に1947年の『殺人狂時代』以降には非難が最高潮に達し、1950年代に入り、ジョセフ・マッカーシー上院議員の指揮の下、赤狩りを進める上院政府活動委員会常設調査小委員会から、他の「容共的である」とされた監督や俳優とともに何度も召喚命令を受けた。
その後、1952年に『ライムライト』のロンドンでのプレミアのためにイギリスに向かう最中、事実上の国外追放命令を受け、その結果、自身の意にはそぐわなかったが、スイス・ローザンヌのアメリカ領事館で再入国許可証を返還し、自らに名声や富、成功をもたらす大きな原動力となったアメリカと決別をする。
アメリカを去ったチャップリンは、映画への出番もめっきり少なくなる一方で、世界的な名士として尊敬され、新たに居を構えたスイスの自宅には、クララ・ハスキルやパブロ・カザルス、ジャン・コクトーらの著名人が訪れ、交友関係を深めた。未完に終わったが『ザ・フリーク』(The Freak)という翼の生えた少女が主人公の、映画化へ向けての構想にも余念がなかった。1965年にエラスムス賞を受賞。
なお、チャップリンが再びアメリカの地を踏むのは、同地を去って20年後の1972年、彼を守りきれなかったアメリカ映画界からの事実上の謝罪を意味するアカデミー賞特別名誉賞を手にしたときであった。それは、映画を20世紀の芸術たらしめたチャップリンの計り知れない功績にたいしての受賞であった。また、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームから名前が消されていた事実も、この20年ぶりの帰国によって、ロサンゼルス市議会が11対3で星印を残すことに可決したのである。
1975年には、それまでの活動を評価されエリザベス2世よりナイトに叙され“サー・チャールズ”となった。しかし、思想や女性問題で叙勲がかなり遅れたことが分かっている。1977年のクリスマスの朝に、スイス・ヴェヴェイの自宅で没した。88歳だった。死後、金銭目的で墓から遺体が持ち出される事件があったが、遺体は墓の近くのトウモロコシ畑で発見された。複数犯と思われたが、ポーランドとブルガリア人の二人組が逮捕された。ヴェヴェイのレマン湖畔にはチャップリンの銅像が建てられ、周囲の景観と相まって観光スポットの一つとなっている。
---Wikipedia
ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard、1930年12月3日 - )は、フランス・スイスの映画監督。パリに生まれる。ソルボンヌ大学中退。ヌーヴェルヴァーグの旗手。
1954年 - 1967年 『コンクリート作業』 - 『ウイークエンド』
シネフィルとして数多くの映画に接していた若かりし日のゴダールは、シネマテーク・フランセーズに集っていた面々(フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロル、エリック・ロメール、ジャン=マリ・ストローブ等)と親交を深めると共に、彼らの兄貴分的な存在だったアンドレ・バザンの知己を得て彼が主宰する映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」に批評文を投稿するようになっていた。すなわちゴダールは、他のヌーヴェルヴァーグの面々、いわゆる「カイエ派」がそうであったように批評家として映画と関わることから始めたのだった。
数編の短編映画を手掛けた後、先に映画を制作して商業的な成功も収めたクロード・シャブロル(『美しきセルジュ』『いとこ同士』)やフランソワ・トリュフォー(『大人は判ってくれない』)のように、受け取る遺産も、大手配給会社社長の岳父もいないゴダールは、プロデューサーのジョルジュ・ド・ボールガールと出会うことで、長編処女作『勝手にしやがれ』でやっとデビューできた。公開されるや、一躍スターダムにのし上がる。ジャン=ポール・ベルモンドが演ずる無軌道な若者の刹那的な生き様という話題性のあるテーマもさることながら、即興演出、同時録音、自然光を生かすためのロケーション中心の撮影など、ヌーヴェルヴァーグ作品の特徴を踏襲しつつも、物語のスムーズな語りをも疎外するほどの大胆な編集術(ジャンプカット)とそこから醸し出される独自性とが非常に評価されたのだった。
ジーン・セバーグが演じた主演女優には、ゴダールは当初は片思い状態で思慕していたアンナ・カリーナを想定していたが、本人の拒絶によりこのことは実現しなかった。しかし『勝手にしやがれ』の成功を背景として2人の関係は親密なものとなり、1961年に結婚。以降アンナ・カリーナは前期におけるゴダール作品の多くの主演女優を務めることになる。
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