1/24/2009

毒婦

薬と毒は紙一重、

みなさん、気をつけましょう・・・


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(出典)

http://www.d1.dion.ne.jp/~kalinka/china/yomoyama/bizin/oden.htm

小泉総理のハンセン氏病患者の名誉回復の大英断を報ずるTV画面を見ながら感慨深いものがありました。小泉純一郎は幼少期に私の住む湯宿に疎開して住んでいました。いわば地元にゆかりの人物です。

 地元にゆかりの人物と言えば高橋お伝(1850-1879)という女性がいます。ご存知ない方も多いと思いますが、日本で最後に斬首刑になった人物です



高橋お伝は私の住む新治村の下新田という地で生まれ、隣の月夜野町の下牧というところに養女に行きます。14歳のときに婿を迎えますが2年で離婚、2度目の婿養子、波之助を迎えますが、この男がハンセン氏病にかかります。病気治療のための多額の借金、世間の仕打ちに村を捨て横浜に出て、体を売りながら夫の治療費と生活費を稼ぎます。

 ハンセン氏病について現代並みの知識があれば、こういった不幸は未然に防げたのかもしれない、無知の罪です。しかしながら、無知が後に大きな罪を生むことになるのです。

 お伝の献身むなしくやがて夫は死没。お伝は商人の囲い者になりますが、小川市太郎という男と同棲をはじめます。この男を養うためにお伝は街娼として体を売るのですが、後藤吉蔵という商人を蔵前の旅館に連れ込み殺して金品を奪い、その罪で死刑になります。

 当時日本は絞首刑を取り入れる方向にあり、斬首が良いか、絞首刑が良いかは囚人が選ぶ権利がありました。お伝は絞首刑を選択したのですが、愛人市太郎の名を呼びながら刑場(市谷監獄)に現れたお伝のあまりの迫力に、首斬り浅こと山田浅右衛門の手元が狂い、刀はお伝の後頭部を直撃。「ヒー!」と叫び声をあげたお伝はそれでもなを愛人市太郎の名を呼びます。最後は「ナムアミダブツ」と二回唱え首が地面に…1879年1月これが日本最後の斬首刑です。

 

 大島渚監督の日本最初のハードコア映画「愛のコリーダ」のモデルで知られる、ポコチン斬りの阿倍定。大正琴の定番「明治一代女」のモデルとして知られる花井お梅と並び、日本三大毒婦などと呼ばれておる高橋お伝ですが、芝居や小説(仮名垣魯文は「高橋阿伝夜叉譚」大もうけした)で語られるような淫靡な連続殺人ではなく、生活費欲しさのための売春、殺人事件です。今、お伝は南千住の回向院という寺にネズミ小僧と並んで眠っています。
 阿倍定に関してはSMの延長の猟期のようにも思えるます。、現在彼女が生存しているかは記憶しておりませんが、チン切り事件は昭和10年ごろの事件です。刑を終えて新潟の三条市に住んでいたということはうかがっています。

 時は明治20年花井お梅は15歳にして売れっ子芸者になり、ためた金で待合茶屋を開くのですが、その出納をめぐり実父と対立追い出され、芸者時代に目をかけていた箱屋(芸者のお付きで三味線などを運ぶ人)の峯吉をスパイに父親のところに送り込むのですが、実はこの男二重スパイで、お梅は締め出され空に食えぬ生活。そこに峯吉が言い寄ってきたものだから、持っていた包丁で一突き。お梅は15年の刑に服し、明治36年出所します。

 死刑となったのは高橋お伝のみですが、これら毒婦と呼ばれる女性、男たちに翻弄された悲哀があります。不憫です。

 さて、前置きで知識をひけらかしたところで、ここからは何だかんだと中国に結び付けなくてはなりません。

 日本では先の三女性のように情愛がらみの人情事件が取り上げられるのですが、政治的影響力の強い歴代中国の毒婦、悪女と呼ばれる女性は大別して2つのタイプがあります。政治に翻弄された女性と政治を翻弄した女性です。

 政治に翻弄された代表は楊貴妃でしょう。美人にこのタイプが多いのですが、世界の男は美人の味方です。美人はそれだけで減刑対象です。私は秦の虞美人と楊貴妃が悪い女性がなんて思ったことは一度もありません。

 後者の代表は唐の則天武后、西太后、江青。なんてところが有名でしょう。則天武后においては中国の歴史上唯一の女帝で、国名を「周」に改め、対外的にはよく統治した名君とも言われておりますが、宮内では虐殺拷問は耐えなかったようです。

 残酷といえば女性の得意技のようにも思えます。漢を打ち立てた英雄劉邦の妻、呂后も西太后並みの人物だったようです。劉邦の生前はおとなしかったようですが、死後はやりたい放題だったようです。韓信、鯨布、彭越といった劉方を支え各地の王となった人々を挑発し仲たがいさせ潰し合いをさせ、呂一族(当時は名門だった)支配の国を作ろうとしました。呂后の死後、陳平達により呂一族は滅ぼされ漢の長期政権が確立されるのですが、呂后が自ら政治的執権を望んでいたのかはわかりません。呂后は劉邦の妾たちを拷問することに喜びを見出していたようで、威夫人という劉邦に寵愛された女性など、手足を切り落とされ、じさつできないように舌も切り落とし、人糞の中で人間豚として見世物にしました。

 この呂后の残虐性に政治をくわえたのが清の西太后でしょう。この人の虐待、残虐については枚挙に暇が無いのですが、最後はアヘンにおぼれ政治的無定見から清朝崩壊の元凶を作り、西太后の死後3年、宣統帝溥儀のとき清朝は滅びます。

 おそらく、中国史上最悪の女性というのは江青に他ならないのではないでしょうか?今までの悪女と違い自ら手を下したり、拷問虐殺をリアリティーとして楽しむようなことはしませんでしたが、文化大革命という一首の精神革命で、個人同士の潰し合いをさせ、人間の「信頼」「信用」という概念をことごとく破壊させ、いかなる戦争よりも多数の人民を死に至らしめ、その後遺症は今もなを残っています。

 世界史の中を見ればクレオパトラ(これも政治的無策で国を滅ぼした部類ですが、美人だから無罪!)をはじめ政治の歴史を変えた女性は数多くいます。

 近代ヨーロッパなど女王達が歴史を変えてしまったようなもので、ブラッディーメアリー(流血のメアリー)の名で知られる英国のメアリー女王は、プロテスタントの弾圧をして、結果、迫害から逃れた正教徒が逃れた新天地がUSAになるわけですし、その後の鉄の処女、女王エリザベス一世は結婚もせず生涯を政治にささげたといわれていますが、政敵メアリー・スチュワートを獄死させています。

 スウェーデンのクリスチネ女王なんかあの哲学者のデカルトを暖房も無い部屋で講義させて、歳老いたデカルトは風邪をこじらせて死んでしまいました。

 ロシアのエカテリーナ2世は夫のピョートル3世を殺して自ら皇帝になってしまうし、ポチョムキンをはじめ若い愛人達をはべらせ、孫のアセクサンドル一世など自分より若い祖母の愛人と接するどころか、その愛人が自分のかみさんにまで言い寄ってくるもので性格破綻してしまいます。

 王室がこんなことでしたからこの時代にフランス革命が起きます。あそこにもマリー・アントワネットって王妃がいましたな。

 まあ、まあ、こういった女性はごく一部の方々ですので、宝くじよりめぐり合う可能性は少ないでしょうが、どうしますか?


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