プロローグを見た。すげえな、この番組・・・
武力による支配から、法による統治の可能性を探っている。
20世紀は、
軍事力、経済力による、「力による支配の世紀」だった。
オランダ・ハーグの国際司法裁判所のアジア人初の長官「安達峰一郎」の存在は輝かしい。
オランダで国葬が執り行われた。
そして、5年で廃刊になった「新しい憲法のはなし」こそ、法による平和統治を教える教科書であった。
プロジェクト Japanのサブタイトルは
「未来へのプレーバック」
つまり、近代の歴史を参考にして、その欠点などを検証して、未来への道筋を探る、
ということだと思いますが・・・
「歴史」「過去」は変えられない。既成事実です。
これらを参考にして、今と、未来に役立てる・・・
///個人的なコメント
21世紀に入り、天気がおかしくなったことを世界が認めた。
人は、天気には勝てない。
天気による支配、その延長線に、「法による統治」があるのでは?
憲法9条こそ、金の卵である・・・
さらには、
資源は有限である。
環境負荷も有限である。
人類の知恵を結集するしか、人類の滅亡を防ぐことはできないと思う。
人は、天気には勝てない・・・
武力や、経済力による、「力の支配」は終わった。
そういう意味で、今が「最後の晩餐」、それに続いて、「最後の審判」が下る。
化石ベース・エナジーから、リアルタイム・エナジー(ソーラーシステム)への移行を成功させることができるか、否か・・・
これこそが、最後の審判である。
---Wikipedia
安達 峰一郎(あだち みねいちろう、1869年6月19日 - 1934年12月28日)は、明治から昭和に掛けて活躍した日本の外交官。国際法学者。後にアジア系として初の常設国際司法裁判所の裁判官、所長となる。
略歴
1869年 - 羽前国村山郡西高楯村(現・山形県東村山郡山辺町)に生まれる。
1892年 - 東京帝国大学法科大学仏法科を卒業、外務省に入省。
1905年 - 日本全権小村寿太郎の随員としてポーツマス条約の草案作成にあたる。
1907年 - 法学博士の学位を授与される。
1913年 - メキシコ公使。
1917年 - ベルギー公使。
1919年 - パリ平和会議日本代表代理。
1921年 - ベルギー大使(公使館が大使館に格上げの為)。
1921年 - 国際連盟第2回総会日本代表(第10回総会まで)。
1927年 - フランス大使。
1928年 - パリ不戦条約締結に参与。
1929年 - ハーグ対独賠償会議日本代表。
1930年 - 常設国際司法裁判所の裁判官となる。
1931年 - 常設国際司法裁判所の第四代所長となる。
1934年 - 逝去。オランダ国葬、常設国際司法裁判所葬。
ハーグ国際法アカデミー教授(1924年)
帝国学士院会員(1925年)
ルーベン大学法学部名誉教授(1927年)
アメリカ国際法協会名誉会員(1931年)
アメリカ学術科学アカデミー名誉会員(1932年)
オランダ科学協会会員(1933年)
勲一等旭日桐花大綬章を受章(1934年)
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