5/23/2009

警官と銃

今、サバイバルゲームが流行っている。

変な若者が、警官に向かって、銃を構えて、撃つぞ!


警官は、瞬時に判断しなければならない。


愉快犯か、真の暴漢か?


To Be or Not To Be


愉快犯がモデルガンを構えていた。


暴漢が本物の銃を構えていた。


警官は、どうする?


撃ち殺すか、否か? 一瞬で、銃を発砲するか判断しなければ、自身の命が危うい。

もしも、愉快犯なら、特権である銃で、一般国民を撃ち殺すことになる。


このように、末端の警官は、日本で公に銃を持つことができる権利と引き換えにリスクを負わなければならない。


つまり、司法システムの末端の仕事だ・・・


司法システムの頂点は、法の番人である「最高裁長官」である。


社会の秩序を守る重責だからこそ、最高裁長官なのである。


よって、合法的に「死刑」判決を下す。


裁判員制度とは?

銃も携帯していない一般の市民が、まるで、福引の当選のごとく、選出される。


そして、死刑判決の判断を下すのである。


冤罪が起きうる可能性は否定できない。


このような「責任」無視の制度など、機能するわけがない・・・


国の混乱を招くだけである・・・


司法システムとは? 

法の番人によって、国の秩序を守る制度である。


末端は、銃の携帯を許可されている警官である。


このような制度下で、国の秩序を守っている。


一般国民が国の秩序を守るための死刑判決に加わることこそ、異常な制度である。


死刑判決とは?

合法的な殺人である。

冤罪判決こそ、犯罪者の仲間入り・・・

無責任が合法的殺人を誘発する。


Aoyagi YoSuKe


アメリカは、銃の携帯が許されている。

普段から、人を撃ち殺すか否かの判断をする訓練ができている。

よって、陪審制度でも、個人が責任を持って、判決を下すのである。

銃で撃ち殺すか、法で殺すか、人を殺すことに変わりない。


普段から、その判断をしているのである。


よって、アメリカと日本では、状況がまったく異なる。

アメリカは、個の責任が確立している。


だから、陪審制度が機能するのである。

人殺しに慣れているから。


毎年、銃によって、10000人が犠牲になっているという情報が、テレビで流された。

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