5/29/2009

合掌

栗本薫、中島梓だったのか・・・

林真理子と混同していた・・・

いずれにしろ、ご冥福をお祈りします。

『グインサーガ』の中途までの一読者として・・・


栗本薫は、無冠の女王?

林真理子は、賞金女王?


栗本薫と林真理子の差こそ、日本の病巣を現している?



最近は、賞を信じていない・・・

だれが、どういう基準で、公正に評価しているか、信用できない・・・



栗本の作品、林の作品を読んだのは大昔のことだが・・・

「妄想系」と、「闇金系」じゃないのかな?

栗本の作品はそれなりに面白かった。

林の作品はひどくて落胆した。



---Wikipedia

栗本 薫(くりもと かおる、1953年2月13日 - 2009年5月26日)は日本の女性小説家、評論家。日本SF作家クラブ会員、日本推理作家協会員、日本ペンクラブ会員、日本文藝家協会員、日中文化交流協会員。

代表作は『グイン・サーガ』、『魔界水滸伝』、『伊集院大介』シリーズなど。『グイン・サーガ』は序盤が英、独、仏、伊、露の各国語に翻訳されている。

また、中島 梓(なかじま あずさ)名義で評論活動や作詞作曲、ピアノ演奏、ミュージカルの脚本・演出なども手がけた。本名は今岡純代、旧姓は山田。夫は元「SFマガジン」編集長の今岡清(現・天狼プロダクション代表取締役)。母方の又従兄弟(祖父の姉の孫)に 梶原一明(経済評論家)がいる。
2009年5月26日、膵臓癌のため死去[1][2]。享年56。

20代前半の若さで、1977年に群像新人文学賞評論部門を、翌1978年に江戸川乱歩賞を立て続けに受賞したことにより脚光を浴びた。江戸川乱歩賞の受賞者としては当時史上最年少であり、また早稲田大学に創設されたばかりの「文芸科」出身の作家として、同時期デビューの見延典子とともに注目を集めた。また、分野ごとに中島梓、栗本薫両名義を使い分けていたことも話題を集め、乱歩賞受賞直後には、平凡パンチ誌上で中島梓と栗本薫の1人2役対談なる企画が行われたこともある。

非常な多作でも知られ、デビュー以来の約30年間で、新刊だけで400冊に近い作品を上梓している。その中には年間に20冊以上の新刊を上梓した年も4年あり、晩年でもコンスタントに年間10冊以上の新刊を上梓し続けていた。

SF、ファンタジー、伝奇・時代小説、ホラー、ミステリー、耽美小説など、作品が極めて幅広いジャンルに渡っていることも大きな特徴である。特に1980年代には、それぞれの分野で人気を博し、さまざまなベストセラー作品を生みだすと同時に、各ジャンルの数多くのアンソロジーに作品が収録された。

「文学における物語性の復権」を唱え実践する姿勢は、デビュー当初、非常に高く評価された[4]。新たなジャンルの先駆者として後の創作者たちに影響を与えた功績も大きいが、その一方で、様々なジャンル・フィクション(漫画含む)の愛読家であった栗本には、過去に読んだ小説・漫画などの影響が強い作品が多く、その作品のオリジナリティが低いという指摘もある(ただし、必ずしも批判的な指摘ではない)[5]。栗本自身、その創作活動においてオリジナリティにまったく重きを置いておらず、そのことを自身の著作『小説道場』(中島梓名義)の中で公言している[6]。

また、自身のジャンルに対する姿勢として、ミステリに対しては謎解きや理論よりも文体や雰囲気に、SFに対しては現実に対するフィクションのアプローチとしてのSF的手法に興味の中心があることを明らかにしている [7]。

作品には、森茉莉の影響を受け[8]、同性愛傾向が見られるものも多い。1979年に刊行された『真夜中の天使』は、現在のボーイズラブに繋がる源流的な作品として、ジャンルの創始に一役買った作品でもあるとされる[8]。1978年の耽美小説誌『JUNE』の創刊にも深く関わっており、誌上では栗本薫、中島梓の他、あかぎはるな、神谷敬里、滝沢美女夜、沙羅など、さまざまな名義で作品や評論を提供した。同誌上で連載の『小説道場』門下からも、秋月こお、江森備、柏枝真郷など、同ジャンルの作品を手がける多数の作家を輩出している。

中島梓名義の評論作品は、相対的には作品数が少ないが、『コミュニケーション不全症候群』は、現代の日本人のコミュニケーション薄弱な生活を鋭く分析しており、笠井潔などから高い評価を得ている[9]。
幼少時より創作活動を行っていたが、もともとは小説家よりも漫画家志向が強かった。漫画雑誌『COM』の愛読者であり、同誌主催のコンテストに何度か応募し、また、『S-Fマガジン』誌主催のコンテスト・イラスト部門へも応募したが、いずれも落選した[10]。栗本の描いたイラストや漫画はほとんど発表されていないが、『S-Fマガジン』1987年1月臨時増刊号にイラスト集「グイン・イメージ・ボード」が、『別冊小説現代』1985年WINTER号に漫画「D介日記 日々是好日」が掲載されている。

小説執筆活動も学生時代から活発に行っていた。跡見学園高等学校時代には文芸部の部長を務め、早稲田大学ではサークル「ワセダミステリクラブ」に名目のみながら2年間所属していた[10]。その当時の作品を収録した短編集として、『接吻』が刊行されている。他にも、『真夜中の天使』や『トワイライト・サーガ』など、商業誌デビュー前に書かれた作品がのちに出版された例が多くみられる。また、 安部公房、大江健三郎、サルトル、筒井康隆などを論じた卒業論文「想像力の構造」を、早稲田大学で師事した平岡篤頼が朝日新聞紙上で激賞したことをきっかけとして、評論活動を本格的に行うようになった。栗本の商業誌デビュー(『別冊新評 筒井康隆の世界』)も、平岡の一文を見た同誌編集長の依頼によるものである。

4歳時からピアノを習っていたこともあって、音楽への傾倒も強く、音楽大学への進学を志した時期もあったという[10]。早稲田大学では音楽サークル「ハーモニカ・ソサエティ」に参加し、作家デビュー後もハードロック系バンド「パンドラ」でキーボードを担当していた。作曲を始めたのは「パンドラ」時代であり、その後開始したミュージカル創作活動では、数多くの劇中曲の作曲を手掛けることとなった。バンド活動は現在も継続しているが、その中心はジャズへ移行している。

邦楽、和歌、歌舞伎など、日本の伝統文化に対する造詣も深い。長唄、小唄、清元、津軽三味線の名取でもある[11][12][13]。また、和歌集『花陽炎春之巻』を自費出版し、2本の歌舞伎脚本も手掛けている。日常的に着物を着用する着物愛好家としても知られており、着物に対する愛着を綴ったエッセイ『着物中毒』を著している。

作品の多くに好んで「あとがき」を付しており、デビューからまもない一時期は、自ら「あとがき作家」などとも名乗っていた。代表作『グイン・サーガ』正伝の各巻にも必ずあとがきが付されており、シリーズの初期にはキャラクター人気投票やファンレター紹介などが行われていた。最近ではその内容は作者の近況報告が中心となっている。

生前、執筆時にはIBMのThinkPadを使っていた。

---Wikipedia

林 真理子(はやし まりこ、本名:東郷 眞理子(とうごう まりこ)、1954年4月1日 (戸籍上、実際は3月末日という) - )は、日本の女性小説家、エッセイスト。有限会社林真理子企画事務所代表取締役。

山梨県山梨市出身。本屋の娘に生まれ、幼少時から大量の本を読む。中沢新一の実家が近所で、中沢はその本屋によく通っていた。
山梨県立日川高等学校、日本大学藝術学部文芸学科を卒業し、コピーライターとして活動。
1979年から秋山道男が編集していた西友のPR雑誌『熱中なんでもブック』(のちに『青春評判ブック』)の編集スタッフとなる。同僚に、のちに親友になる中野翠がいた[1]。
1981年、西友ストア向け広告コピー「つくりながら、つくろいながら、くつろいでいる。」でTCC(東京コピーライターズクラブ)新人賞受賞。
1982年、エッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』を発表し、作家としてデビュー。同エッセイ集はベストセラーを記録した。
1986年、前年に発表した『最終便に間に合えば』『京都まで』で第94回直木賞を受賞。
1990年、36歳でサラリーマンの男性と見合いをして結婚。身内向けの披露宴はトゥール・ダルジャンを貸し切って、披露パーティーは赤坂プリンス旧館で会費制で行った[2]。
1995年、『白蓮れんれん』で第8回柴田錬三郎賞を受賞、1998年、『みんなの秘密』で第32回吉川英治文学賞を受賞。
1999年2月、44歳で長女を出産[3]。
2009年2月、公式ブログ『林真理子のあれもこれも日記』[1]を開始。
現在、直木賞の選考委員のほか、講談社エッセイ賞、吉川英治文学新人賞、毎日出版文化賞選考委員を務めている。

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