6/03/2009

Body, Language and Mind

書評

Tom Ziemke, Jordan Zlatev & Roslyn M. Frank (Eds.), Body, Language and Mind. Volume 1: Embodiment, Walter de Gruyter, 2007.
君嶋泰明
1.身体性概念の混乱
本稿は、二巻本 Body, Language and Mindの第一巻の内容をごく簡単に紹介する。第二巻が、「社会的な状況性( social situatedness)」、つまり、社会的構造や実践との相互作用によって、個別の心や認知プロセスがいかに形づくられるのかを扱うのに対し、第一巻は、「身体性( embodiment)」、つまり、意味、心、認知、言語のような現象がいかに身体に基礎づけられているのかを扱う。本巻は、この身体性というキーワードのもと、認知科学、認知言語学、心理学、哲学、 AI研究、記号論、現象学、といった様々な分野の著者たちから寄せられた論文からなる。以下、まずは、身体性というキーワードがこれほどに分野を横断して関心を集めていることの背景も含めて、本巻の主要な問題意識を、編者自身の手による序論に従って、紹介しよう。
身体性という概念は、この 20年の間に大きな注目を集めてきた。例えば、認知科学において、身体化された心( embodied mind)、身体化された行為( embodied action)、身体化された認知( embodied cognition)のような言葉が今では一般的に用いられているし、 1990年代までには、何人かの著者たちがすでに、身体化された認知科学(embodied cognitive science)というものが認知科学における新たなパラダイムであると宣言している (eg. Varela, Thompson & Rosch, 1991, Clark, 1997, 1999, Pfeifer & Scheier, 1999)。
だが、こうした広い関心と期待にもかかわらず、肝心の身体性という概念の内実についてはいまだ意見が分かれているというのが現状である。認知は身体化されている、と言うとき、しばしばそれによって意図されているのは、認知は身体ないし感覚運動(sensorimotor)と環境との相互作用によって形づくられている、というほどのことではあるが、このことが厳密に何を意味しているのかは明らかではない。認知を形づくるのは、物理的な身体なのか、生物学的な身体なのか、生き生きとした身体なのか、現象的(に経験される)身体なのか、あるいはもしかしたらそれら全てなのか。また、身体が含まれるのは、現実の感覚運動と環境との相互作用にのみなのか、あるいは、思考、言語、その他、
〔書評〕T. Ziemke, et al. Body, Language and Mind Vol. 1
数学のように抽象的活動と考えられるものにも身体は決定的に含まれるのか。
こうして見ただけでも、身体性という概念がいかに複雑な概念であるかが分かるだろう。著者たちは、こうした複雑さに立ち向かうための一つのツールとして、三人の研究者によって提示された身体性概念におけるいくつかの区別を紹介している。ここではそのうち、 Nunez(1999)のものを取り上げよう。それによれば、身体性は、トリビアルな身体性、物質的な身体性、完全な身体性の三つに分けることができる。まずトリビアルな身体性とは、単純に、認知と心は、それらを支える生物学的な構造とプロセスに直接関係しているというものである。したがって、思考、発話、知覚、感覚は脳を必要とするとか、神経システムの働きも無視できない、というように考えることも、このトリビアルな身体性へのコミットメントを意味する。だが、これは取り立ててラディカルな主張ではなく、これを退ける認知科学者はほとんどいないだろう。一方、物質的な身体性は、内的な認知プロセスを考えるさいに、リアルタイムで遂行される身体ないし感覚運動と環境との相互作用をも考慮に入れようというもので、これはより強い主張と言えるだろう。最後に、完全な身体性は、身体を、言語や数学的認知のような抽象的な活動を含む、人間の認知の全ての形式に含めるというものだ。それによれば、人間の心によって作り出される対象(概念、考え、説明、論理形式、理論)は、超越論的領域に存在するものではなく、身体的に基礎づけられた特殊なプロセスによって生み出されるものと見なされる。
もちろん、こうした身体性の区別は、すべての分野や視点に等しく関連するわけではない。例えば、身体化された心は現実に物理的ないし生物学的である必要があるのか、という問いは、実在の脳や身体が明らかに物理的でも生物学的でもあるということを考えれば、神経科学者にとっては意味のある問いではないだろう。しかしながら、心の二元論的ないし機能主義的な概念と格闘する哲学者、ないし、心を構築、あるいは少なくともモデル化しようとしている AI研究者にとっては、これはいまだ差し迫った問いである。
このように、身体化された認知科学という広げられたばかりの傘の下では、身体性という概念の混乱と、集う分野の多様性が相まって、いま切実に共通の地盤、枠組み、ターミノロジーが求められている。本巻が試みているのは、それらを提示するとはいかないまでも、少なくとも概念の混乱や分野の多様性を解きほぐし、それらを評価するための手段を提供することである。次節では、そうした試みの一つとして、本巻に収められた論文の一つが提案している、シミュレーション理論を紹介しよう (Svensson, Linblom & Ziemke, 2007)。
2.シミュレーション理論
著者たちによれば、身体化された認知の研究においては、高次の認知の多くは身体に依
存していないとの「ミスリーディング」がしばしば見られる。これに対し、著者たちは、認知の身体化を理解するための鍵は、感覚運動プロセスと高次の認知プロセスの間の神経メカニズムの「共有」を理解することだ、と主張する。それによれば(後に詳しく見るように)、多くの高次の認知プロセスは、知覚と行為において活性化される神経回路を再活性化することを通じて、感覚運動プロセスの(部分的な)シミュレーションないしエミュレーションを用いる。この意味で、多くの高次の認知も身体に基づいているというのだ。シミュレーション理論のこうした基本的な着想そのものは全く新しいというわけではないが、今日のシミュレーション理論は、神経科学やその他の分野のデータを用いて、以前よりも具体的な仕方で説明することができる。本論文の大半は、このシミュレーション理論を裏付ける、各種分野によってもたらされた経験的証拠の提示に費やされている。以下ではそれらの一部を紹介しよう。
一つは、認知における運動像( motor imagery)の役割に関するものだ。運動像は、普通、実際に行った行為の経験を再び作り出すこと( recreation)として定義される。例えば、自分が歩いている様子を想像して、実際に歩いているかのように感じられることがあるはずだ。だが実際は、運動像という言葉は、必ずしも行為を行っているような感覚を喚起しないケースでも、無意識的な運動像を指すために、広い意味で用いられている。そうした運動像は、ある行為の効果を予測するときなどに用いられる。例えば、 Frak, Paulignan & jeannerod(2001)が行った次のような実験などはそのケースだ。彼らは、水の入ったカップに指をおく場所を操作しつつ、被験者に、カップをつかみ、中身を別の容器に注ぐのは「簡単」か、「困難」か、「不可能」かを尋ねた。この実験によって彼らが発見したのは、被験者たちは、物理的に可能な限度近くまでは困難と評価し、一方で、被験者が実際につかむときに選ばれる指の場所に関しては、簡単と評価する、ということであった。さらに、課題の見積もり上の困難さに応じて、答えるまでの時間は増加した。こうした事実に対してなされた解釈は、被験者は、実行可能性を決めるために、心的にその行為の実行をシミュレートしている、というものだ。したがって、被験者は、運動像の無意識的形式に頼っているように思われた。
こうした経験的結果を受けて、本論文の著者たちは、運動像を用いるケースを、次のようなより一般的なメカニズムの一例と見なそうとする。それは、行為のシミュレーションに頼って行為するというメカニズム、つまり、いかなる顕在的行為も行わずとも、この顕在的行為を行うのと同じ神経回路を再活性化させ、それに頼って行為するというメカニズムである。実際、この種の神経回路は、行為を意図することや、行為の実行可能性を判断することや、対象がつかめるかどうかを観察によって決定することや、夢の中で行為する
〔書評〕T. Ziemke, et al. Body, Language and Mind Vol. 1
ことのような、運動像に密接に関係するいくつかの現象において、再活性化される、という注目に値する証拠が存在している (Gallese 2003, Jeannerod 2001)。こうして、著者たちは、顕在的行為と心的行為の等価性を裏付けるような経験的証拠を提示していく。
例えば、行動反応と心的反応の持続時間を測定する心的時間測定の実験は、心的に行為を実行するために必要な時間が、現実にそれを実行するためにかかる時間と一致していることを発見した(レヴューは Guillot & Collet(2005)を参照) (jennerod & Frak, 1999, Papaxanthis, Pozzo, Skoura & Shieppati, 2002, Papaxanthis, Shieppati, Gentili & Pozzo, 2002)。
また、スポーツ心理学の実験は、特定の行為を心的に訓練することは、次にそれを実際に行うときのパフォーマンスを高めうる、ということを明らかにした (Jennerod,1994)。例えば、Yue and Cole(1992)は、筋肉の収縮を心的にシミュレートすることは、著しく( 22%まで)筋力を増大させることができるということを示した(現実のトレーニングは、 30%の増大を生み出す) (cf. Ranganathan, Siemionow, Liu, Sahgal & Yue, 2004)。このことに対する可能な説明の一つは、運動像が、少なくとも部分的に、顕在的行為に関与する神経構造と同じものを含んでいるなら、それまでイメージされていた行為を実行に移すときに使われる神経構造を、運動像が「訓練する」ということはありそうなことだ、というものだ (Jeannerod, 2001, Ranganathan et al. 2004, Yue & Cole, 1992)。
さらに、活動している脳の部位を示すために、局所脳血流を使って運動像を調べるという研究が最初になされたとき (Ingvar & Philipson, 1977)、顕在的行為と運動像において、類似した脳の部位が活性化されるということが指摘されたが、それ以来、多くの神経画像の実験がこの指摘を裏付けてきた。それらの実験が発見したのは、運動像は、一次運動野、前運動皮質、補足運動野、外側小脳、大脳基底核のような、行為の実行に第一次的に関連づけられた構造を含み、また同様に、前頭前野背外側部、前頭葉下部、後頭頂葉のような、行為の計画に第一次的に関連づけられた構造も含む、ということだった (Grezes & Decety, 2001, Jeannerod, 2001, Jeannerod & Frak, 1999, Schwoebel, Boronat & Coslett, 2002)。
以上をまとめるなら、顕在的行為と運動像の間には、強い心理学的・神経生理学的な類似性がある、ということを示唆する、相当数の研究が存在するということだ。それゆえ、運動像とそれに関連する諸現象は、行為のシミュレーションという観点から、次のように説明できるかもしれない。つまり、顕在的行為を生み出すために通常使われる神経プロセスが、顕在的行為なしに、運動像によって再活性化されるのだ。
さて、以上はシミュレーション理論のほんの一端を紹介したにすぎない。本論文で著者たちは、他にも、カノニカルニューロンやミラーニューロンを介した行為のシミュレーションなどについて、興味深い議論を展開している。だが、一貫しているのは、上で見たよ
うな再活性化メカニズムによって、多くの高次の認知が行われるという主張である。この
シミュレーション理論によれば、認知の身体化にとって決定的なのは、認知者の身体の物
理的本性や環境との相互作用そのものというよりは、感覚運動と高次の認知プロセスの関
係である。より具体的には、基底にある神経メカニズムのレベルにおいて、いかに高次の
認知プロセスが根本的に感覚運動に基づいているか、ということである。
3. まとめ
すでに述べたように、本巻は、身体性という概念の混乱と、関連分野の多様性を解きほ
ぐし、評価するための手段を提供するという目的のもと、多くの分野から寄せられた論文
から構成されている。そのラインナップは、本稿が紹介したシミュレーション理論のよう
に、経験的証拠に基づいて堅固な枠組みを提示しようとするものから、フッサールやメル
ロ=ポンティの洞察を用いた概念的考察まで、非常に多岐に渡っている。それゆえ本巻は、
入門者にとっても第一線の研究者にとっても、今後ますます重要性を増していくであろう
身体性という概念の現在を知るうえで、恰好の手引きとなるだろう。
なお、本書評内で引用した文献は、全て本巻で明示されていたものである。それらにつ
いては以下に文献表を付す。
文献
Clark, A. (1997). Being There – Putting Brain, Body and World Together Again. Cambridge MA: MIT Press. (1999). ‘An embodied cognitive science?’, Trends in Cognitive Sciences, 3 (9), 345-51. Freak, V., Paulignan, Y. & Jeannerod, M. (2001). ‘Orientation of the opposition axis in mentally simulated grasping’, Experimental Brain Research 136, 120-7. Gallese, V. (2003). ‘The manifold nature of interpersonal relasions: the quest for a common mechanism’, Philosophical Transactions of the Royal Society of London, B 358, 517-28. Grezes, J. & Decety, J. (2001). ‘Functional anatomy of execution, mental simulation, observation and verb generation of actions: a meta analysis’, Human Brain Mapping, 12, 1-19. Guillot, A. & Collet, C. (2005). ‘Duration of mentally simulated movement: A review’, Journal of Motor Behavior, 37, 10-20. Ingvar, D. H. & Philopsson, L. (1997). ‘Distribution of the cerebral blood flow in the dominant hemisphere during motor ideation and motor performance’, Annals of Neulogy, 2, 230-7. Jeannerod, M. (1994). ‘The representing brain’, Behavioral and Brain Sciences, 17 (2), 187-245. (2001). ‘Neural simulation of action’, NeuroImage, 14, S103-9. Jeannerod, M. & Frak, V. (1999). ‘Mental imagining of motor activity in humans’, Current Opinipn in Neurology, 9, 735-9. Nunez, R. (1999). ‘Could the Future Taste Purple? Reclaiming Mind, Body and Cognition’, Journal of Consciousness Studies, 6 (11-12), 41-60.
Papaxanthis, C. Pozzo, T., Skoura, X., & Shieppati, M. (2002). ‘Does order and timing in performance of imagined and actual movements affect the motor imagery process? The duration of walking and writing task’, Behavioural Brain Research, 134, 209-15.
Paraxanthis, C., Shieppati, M., Gentili, R., & Pozzo, T. (2002). ‘Imagined and actual arm movements have similar durations when performed under different conditions of direction and mass’, Experimental Brain Research, 123, 447-52.
Pfeifer, R., & Scheier, C. (1999). Understanding Intelligence, Cambridge MA: MIT Press.
〔書評〕T. Ziemke, et al. Body, Language and Mind Vol. 1
Ranganathan, V. K., Siemionow, V., Liu, J. Z., Sahgal, V., & Yue, G. H., (2004). ‘From mental power to muscle power-gaining strength by using the mind’, Neuropscyhologia, 42, 944-56.
Schwoebel, J., Boronat, C. B., & Coslett, B. H. (2002). ‘The man who executed “imagined” movements: Evidence for dissociable components of the body schema’, Brain and Cognition, 50, 1-16.
Svensson, H., Linblom, J. & Ziemke, T. (2007). ‘Making sense of embodied cognition: Simulation theories of shared neural mechanisms for sensorimotor and cognitive processes’, in Ziemke, T., Zlatev, J. & Frank, R. M., (Eds.), Body, Language and Mind. Volume 1: Embodiment, New York: Walter de Gruyter, 241-71.
Yue, G., Cole, K. J. (1992). ‘Strength increases from the motor program. Comparison of training with maximal voluntary and imagined muscle contractions’, Journal of Neurophysiology, 67, 1114-23.
Varela, F. J., Thompson, E., & Rosch, E. (1991). The Embodied Mind: Cognitive Science and Human Experience, Cambridge MA: MIT Press,.
〔京都大学大学院修士課程・哲学〕

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