7/20/2009

闇金バーの正体とは?

経営権のないチンピラバイトが、自身の仕事の不出来を棚に上げて、客に、「出入り禁止」を宣告する。

下北、1軒、池ノ上、1軒

出入り禁止を宣告したのは2軒だけ・・・


他は、経営責任者の言い分が不当だから、こちらから、店に行くのをお断りした。

いずれにしても、餓鬼の商売・・・

相手にするだけ、損をする・・・


闇金バーには、純金を使うな、損をするだけ・・・


それだけの話です・・・


Aoyagi YoSuKe


日本の場合、フラクタルの原理が適用できる。

つまり、上から下まで、闇金システムで、社会が動いている・・・

純金システムは皆無です・・・



村上春樹の主張は?

過去を書き換えると、このような現在が実現できたはずだ。

よって、これを参考にして、今から、未来を創りましょう、という問題提起だよね?


これこそが、村上春樹のコミットメントの方法論なのでは?


つまり、過去の検証とその修正の文学である。ただし、過去の記述については、問題発生が想定されるので、メタファーを使用している。

ですよね?


大江健三郎の『遅れてきた青年』でしたっけ? 読んでいないが・・・

そんな感じなのかな?


Amazonの書評です・・・

 僕は今この作品の主人公と同じ大学に通っているが、今の僕たち学生にとって、主人公の精神構造はある意味で非常に理解しがたい。というのも彼の強烈な上昇志向、そしてそれと相反する反体制への思い(そのどちらも作品上は飼いならされた羊のように萎縮してしまうのだが)はやはり六十年代の青年特有のものだから。現在の東京大学のキャンパスを歩いてみればそれは一目瞭然だ。チャラチャラとしたどこにでもいる若者がそこにはうずめいている。大江氏が学生時代に見出した情景はもうそこにはないのだ。戦後世代の抱える喪失感と地方出身者特有のぎらぎらした出世欲を併せ持つ青年像は今やリアリティーを持ち得ない。

 しかしそれはこの作品が歴史の中で忘却されていいということだろうか?当時の青年たちの抱えていた(もしかした今もなお抱えているかもしれない)喪失感をもっともグロテスクな、しかしそれ故に切実な形で表現しているこの作品が忘れ去られてもいいということだろうか?それは僕にもわからない。もしかしたらそうなのかもしれない。だがもしそうであったなら、こんなに痛ましいことはない。そこには流れ行く時代特有の痛ましさがあるのだから。

 ただ一縷の望みもある。それは大江氏の作家(story tellerというよりはauthor)としての優れた資質に他ならない。僕には彼の才能が政治的な問題のために過小評価されている気がしてならない。もし百年後、真っ当な評論家がそうした時代のしがらみに囚われず彼の作品群を評価してくれれば、と僕は夢想する。

 当時青年であった人も、今青年である人もこの作品を一度手に取って読んでください。主人公の抱える喪失感は確かに時代特有のものに違いない。しかし現代という時代が、或いは人類の歴史そのものが、何らかの意味で喪失という痛みを抱え続けるのならば(僕はそうであってほしいと願う)、大江氏のこの作品は輝きを放ち続けるはずなのだから。


これこそ、重要な事実じゃないの?

大江健三郎は、アラブ人作家でありニューヨーカーであった、サイードと友人であった。姜尚中はサイードの弟子であった。

9.11以後、サイードに強烈なプレッシャーがかかったはず。2003年に亡くなった?

The Pen and the Sword - Edward W. SAID

---Wikipedia

姜 尚中(강상중 カン サンジュン、1950年8月 - )は、熊本県生まれの政治学者。日本名は永野 鉄男(ながの てつお)。日本式の音読みでは姜 尚中はキョウショウチュウ。

在日韓国・朝鮮人二世として熊本市に生まれる。姜尚中の父は1916年に朝鮮南部の慶尚南道昌原郡南山里に生まれる。仕事を求めて1931年に日本へ渡る。母は1923年に朝鮮に生まれる。釜山近くの鎮海から許嫁の父を訪ねるべく、関釜連絡船で1941年に日本へ渡る。姜尚中の父母は強制連行されて日本に来たのではなく、仕事を求めて自らの意思で日本へ渡った。姜尚中は強制連行された者の子孫ではない[1]。

熊本県立済々黌高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業、早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。西ドイツ・エアランゲン大学留学(1979年 - 1981年)後、明治学院大学講師、国際基督教大学準教授を経て、東京大学教授(所属:社会情報研究所 情報行動部門)。現在、東京大学情報学環教授。専攻は政治学・政治思想史。研究分野はアジア地域主義論・日本の帝国主義を対象としたポストコロニアル理論。

当初、日本名永野鉄男(ながのてつお)を名乗っていたが、早稲田大学在学中、韓国文化研究会に参加し、1972年訪韓以来、朝鮮名を使用する。

在日韓国学生同盟(韓国文化研究会)が連帯を謳っていた韓国における学生運動から「左の独裁にも右の独裁にも反対する」という声明が出たときに、これを、丸山眞男の「民主主義の永久革命」と読み替えていくことにより北朝鮮に対してさめた眼を保ち得たと後に語っている。1984年、外国人指紋押捺を拒否するが、ヒロイズムとは違った道でしか解決は見出せないと考え[要出典]、最終的には押捺に応じる。この間の苦渋に満ちた経験からプロテスタントの洗礼を受けた。

2008年に開設するインターナショナルスクール、コリア国際学園の理事長に就任予定だったが辞退している。
50歳で運転免許を取得。最近の趣味は登山・ドライブ・絵画。

在日韓国・朝鮮人という立場を、エドワード・サイードの言う「周辺者」あるいは「亡命者」とみなし、日本と韓国という二つの祖国をもつ独自の存在とし、日本社会が歴史的に捉えてきた朝鮮史観、およびそこにある偏見に対して批判を加えている。日本の戦前の朝鮮史観の始まりは、山縣有朋の「主権線・利益線」にまで遡ると主張。日本の近代化としての理想像が西欧社会であるならば、その反転としての未開地域、停滞地域として朝鮮半島が、そして東北アジアが「発見」されたと主張している。

終戦後、丸山眞男のいう「悔恨の共同体」を経て、経済復興、高度経済成長を背景に「日本特殊論」などが登場してくる中で、西欧との同一化と差異化のプロセスとして再び戦前と同様の東北アジア史観が「再発見」されたと主張している。

ナショナリズム批判についての著作も多いが、これは単純なナショナリズム批判を意味するのではなく、ましてや日本国内に限定されたナショナリズム(日本には批判的、他国には同調)を意味するものでもなく、現在の世界システムを自由主義経済による支配システムとして考えた場合、その中枢にいる一握りの経済大国と周辺に追いやられた諸国との経済格差は、ますます大きくなっているとし、そうした場合に、有無を言わさず周辺化される力学に反抗する手段としての、いわばイマニュエル・ウォーラステインのいう「反システム運動」としてのナショナリズムに対しては一定の理解を示す。また、そうした意味で、サミュエル・P・ハンティントンが言うような「文明の衝突」に対しても、世界システムにおける中枢国と周辺国の格差を無視したオリエンタリズム的図式であるとする[要出典]。

日本政治に関する発言としては「田中真紀子さんに日本の首相になってほしい」[2]など、独自の政治家評価をしている。

イスラーム主義に関して

姜尚中はたびたび[要出典]イスラーム主義(政治的イスラーム)に好意的な発言をしている。[要出典]自著『在日』の文庫版では、第三者機関により[要出典]たびたびイスラームを名目とした悲惨な人権侵害[要出典]が起こっていると指摘されているイランを「中東の中で比較的民主的」と評価している。[要出典]

北朝鮮による日本人拉致問題に関して

「日本が拉致問題を理由に北朝鮮を支援しない態度でいれば、国際社会から孤立してしまうので経済支援をするべきである」とソウル大学での統一政策フォーラムにて発言[3]。

「北朝鮮核問題や拉致問題を取り上げて北朝鮮を批判する日本の世論を変えねばならない。在日同胞たちが過去に日本に連れて来られたことに対しては何も言わず、冷戦時代の拉致ばかり話すというのは矛盾したことだ。私は横に横田夫妻がいても、これを言うことができる。」との発言を2006年11月25日の世界海外韓人貿易協会での講演にて行った[4]。

テレビ番組における発言・主張

近年は「朝まで生テレビ!」を始め、多くの討論番組やトーク番組に頻繁に出演し、独特の語り口調で発言・主張をしている。「朝まで生テレビ!」での論敵は親米保守の村田晃嗣であり、主に外交問題で対立している。

2008年11月28日、「朝まで生テレビ!」においてアンケートがおこなわれ、「田母神俊雄の発言に共感できるか?」に61%が「共感できる」、「自衛隊を憲法に明記すべきか?」に80%が「明記すべき」という結果となったことについて、姜は「朝生にどんな人がアレしてるかわからないから、世論全般から見たらちょっと良くわからない」と主張した。

2008年12月3日TBS「久米宏のテレビってヤツは!?」において、麻生太郎内閣における定額給付金案について、日本国民に給付するのではなく外国人留学生へ給付すべきであり、そうすれば日本の評判も高くなると主張した。

また、2009年4月より、NHK教育テレビの「日曜美術館」の司会を務めている。
親族について

韓国帰郷時に訪ねた叔父は日本の大学出身であり、その後は日本軍憲兵となり日本人女性と結婚して子供をもうけ、戦後に妻子を残して韓国に帰郷し、良家の韓国人女性と結婚し弁護士として成功していた[5]。

著書

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