10/05/2009

サイクロンが来る(台風18号?)

 私は町中よりも、自然の中の方が心地よいと感じるので、文明から隔離されているシャーク湾のような場所でも、怖くはなかった。塩分の多い水で洗濯し、テントで寝て、バケツで皿を洗うことも気にならなかった。だが、モンキー・マイアの生活の中で、天候だけは怖かった。私は、一九八八年五月二十一日の天候を体験して、深い恐怖心を抱くようになった。



 テントの布がパタパタ音を立てるので、朝早く目覚めた。緩く閉じているテントの入り口を風が引っ張り(テントはキャラバンの横に備えつけられている)、夢見心地で風が強まるのに気づいた。ハッチに当て木をして、ボートをチェックする必要があったが、まだ起きたくなかった。昨日の午後、ボートをしっかりと固定したが、ボートが係留場所から外れて、ビーチに乗り上げるか、嵐の海をマダガスカル島へと流されるかもしれないと心配だった。私は係留場所には行きたくなかった。しかし、風は唸りを上げ続けて、何もかもが揺れてガタガタ、パタパタと音を立て、とうとう金属製の皿がテーブルから落ちたので、完全に目が覚めてしまった。キャンプの発電機が止まっていたので、ベッドのそばの懐中電灯を手探りで探した。幸いにも、落ちたのはスパゲッティの食べ残しが入っている皿ではなかった。

 外へ出ると、他の人たちは、みな起きていて、キャンプの周りを動き回って、ボートをチェックして、テントを固定していた。懐中電灯の光を浜の方へ向けて、上下させると、人や、キャラバンや、テントの輪郭が、時々浮かび上がった。よりによって、風は北西から強く吹きつけていた。大嵐が海から一直線に来る時の風の方角だ。

 風と水の音がとどろいて、髪が耳の周りにまとわりついて目に入る。水際に下りると、私の小型ボートは、鉛色の空へ向かって垂直に立っていて、波にほんろうされて海底にぶつかっている。ボートの底が海底に衝突していないことを祈った。

 私は突風で倒れそうになった。砂がすねに当たってヒリヒリする。物の衝突する音がキャンプの周囲から聞こえてきた。ゴミ箱のふたや、固定されていないものが、吹き飛ばされていた。私は真っ先にテントを気にかけたが、テントの布が、強風に耐えられずに破れることは確実だった。前柱の一本が外れて、支えが効かなくなっていたので、私は柱を引き戻して、先端をハトメの穴に突っ込もうとした。しかし、布が大きくはためいて、突っ込めなかった。

 テントには、テーブル、皿、ポット、鍋、バケツ、ボート用具、机、本、紙入れ、電気機器、衣服、ベッドなどが詰まっている。私は、風に逆らって足を踏ん張り、テントの支柱に寄りかかって、布が破れたらどうなるかを考えた。テントの中身が、ばらばらに飛び散るだろう。だが、支柱を支えているだけではダメだ。布が破れて、テントの中が、ごちゃ混ぜになり始めたので、私に選択の余地はなかった。風上の布が裂けて、風が吹きぬけるままになった。紙類や、カメラなど持ち出せるものは何でも、急いで持ち出した。

 マフラーつきの発電機のモーターの音が聞こえてきて、電気がちかちか灯る。普段の夜なら、発電機は止まっていて、キャンプは暗い。私は心臓が飛び出しそうになり、胸が悪くなった。というのも、非常事態でない限り、メイソンが夜中に発電機を動かすことはない。私の不安が的中したのだ。

 もう一度、ボートを見ようと思って引き返すと、冷たい雨が激しく降りかかってきて、ボートは大きく揺れて浸水して重い。すべての重量が錨のロープにかかると、ロープは耐えられない。ロープは今にも切れそうだった。ロープが切れれば、私の手に負えそうになかった。私は、風雨の中で震えながら、しばらく立ちすくんでいたが、目から涙があふれて頬を伝わった。私がどうすれば良いかと戸惑っていたとき、メイソンの義理の息子クレイグが現れた。クレイグは穏やかで気さくで陽気な子だったが、彼でさえ不安になっているのが、すぐに見て取れた。



「モーターを外すのを手伝うよ」

と、クレイグが風の音に負けないように大声で言った。



水浸しになると、モーターが壊れるので、二人で海に入って、力ずくでモーターを外した。クレイグがモーターをその付近でいちばん頑丈そうな、石炭ガラでできたトイレに運び入れた。

 私はキャラバンへ戻る途中で、年長のカップルのキャンプのそばを通りすぎた。ふたりとは、二週間ばかり楽しく過ごしていた。ふたりとも、八十歳代で、長年、モンキー・マイアを訪れていた。彼らのテントは、ずぶぬれの塊になって、二、三本の支柱のそばに転がっており、残骸があたりに散らばっていた。ふたりとも、目を大きく見開いて、車の中で身を寄せ合っていた。

 浜では、波が砕けていた。キャラバンへ戻ると、テントは完全につぶれていた。ポットと、鍋と、皿が地面に散らばっていて、ベッドの脇にある本箱は、ずぶぬれになっており、シーツと毛布の間には、水たまりができていた。キャラバンの一メーターくらい前で、波が激しく砕け散っていた。風に吹かれてできる塩っぽい泡が、波の頂点から吹き出している。できるかぎり多くの荷物を車に積み込んで、嵐にさらされる浜の前線から、車を後退させるしかないと悟った。キャラバンやボートなどは、見捨てるしかなく、最善の結果になるのを期待するだけだった。

 人間ニッキーが現れて、私の持ち物を車に入れるのを手伝ってくれた。記録がすべて入っているコンピュータ、ノート、カメラ、双眼鏡、ビデオ、重要な記録を閉じたファイル・フォルダーと数冊の本などを積みこんだ。波がキャラバンにぶつかって砕け散り、うずたかく積み上がった荷物の中に流れ込んだ。

 ニッキーと私は、ワゴンに飛び乗って、トイレの風下へ移動した。ここは、浜の前線と比べて風雨が弱く、エンジンを切って、ふたりで身を寄せ合って座った。曇ったフロントガラスが、突風で激しく揺れていた。私たちは、ずぶぬれになって不安でいっぱいだった。デビーが私の車の横に小さなバンをつけようとしていたが、私たちは、声をかけることもできずに、座ったままでその様子を見ていた。私たちの頭上を、ゴミ箱のふたや、テントの破片や、衣類などのがらくたが飛来していて、物が衝突して、耳をつんざく大きな音がする。

 夜が明けると、空は乾いた血の色をしていた。一時間経つと、騒音が消えて、薄気味悪い静寂が訪れたので、ためらいながら、車のドアを開けて外に出てみた。他の人たちも避難場所から出てきた。外は驚くほど静かで、浜の前線が、かろうじて見えるだけだった。

 ボートは停泊場所に一そうもなくて、ひっくり返って、波に洗われているボートが数そう岩場にあった。モーターがボートの周りに散らばっていた。岩場の上に吹き飛ばされて、キャンプ場よりも高い位置に乗り上げているボートもあった。桟橋も吹き飛ばされて、数本の杭だけが残っていて、海面から突き出している。浜には、板切れが散らばっており、海草と砂の山の間に、たくさんの残骸があった。海の水が急に引いて、私は湾内が空になるかと思った。高潮の後に、潮が急に引き、浜辺近くの海盆が現れた。沖には、数そうのボートが転覆して浮かんでいた。絡まったロープや残骸が、ボート同士をつないでいるかのように見えた。私のボートはその中にあったが、沖はまだ激しく波立っていて、薄気味悪く、白く霞んでいた。

 このような状況なので、私は取り乱していた。イルカに気をかけたのは束の間だったが、ようやく、イルカのことが心配になってきた。こんなに海が荒れていて、イルカは息ができたのだろうか、浜へ打ち上げられていないだろうかと心配した。

 イルカは、水から長い間は離れられない。イルカには、水の冷却効果が必要で、水がなければ、体温が上って、皮膚が乾いて、太陽にさらされると、水ぶくれができる。また、水中では、重力の影響をあまり受けないが、地上では、すべての体重がかかって内臓がつぶれる。前回、サイクロンがシャーク湾を襲ったときには、数頭のイルカがデナム付近の浜に打ち上げられた。イルカは、太陽から身を守るために、海草の山の下に身を隠して、湿気を取ったらしい。

 モンキー・マイアに隣接する浜を歩くと、幸なことに、イルカは打ち上げられていなかった。山積みになった海草、ボートの破片、キャンプの備品、死んだ魚、海の生き物の残骸などがあった。かなりの手間をかけないと、これらすべてを片づけられそうになかった。だが、幸運なことに、建物は壊れずに、けが人も出なかった。

 被害状況を調べていると、風がまた激しくなった。今度は南風で、後方から、浜へ向かって吹きつけていた。風が勢いを増してきて、後方に飛ばされたゴミ箱のふたやゴミの破片が、逆方向へ、つまり海の方向へ飛び始めて、風の勢いに気づいた。ニッキーと私は、走ってワゴンに飛び乗った。サイクロンの目に入って、一時的に小康状態になっていただけだった。私たちは、今は、巨大な空気の渦の反対側にいた。

 二時間くらい経って、私たちはふたたび外に出た。空は晴れていたが、光は弱く、薄気味悪かった。他の人も外へ出て、ぼうぜんと歩き回っていた。常連さんたちは集まってしきりに話していたが、被害を受け入れていて、時々笑いながら話していた。常連さんたちが、早く立ち直ったのは疑いがなかった。彼らは、オーストラリア特有の強烈な自然に慣れているのだろう。嵐はシャーク湾の北部の海岸辺りに停滞して、急に向きを変えて、私たちを直撃した。気象予報が外れて、予想外の展開だったので、私たちは無警戒だった。だが、ボートが生きる糧であるデナムの漁師には、最悪の展開だった。

 嵐の後の数日間、モンキー・マイアの人たちは一致団結した。生活場所を確保できる人が、確保できない人にベッドを貸して、食べ物を分け合って、ゴミを協力して片づけた。短期滞在者や、運悪くモンキー・マイアを訪れた観光客は、持ち物をワゴンへ積み込んで、シャーク湾を離れた。彼らが、ふたたびモンキー・マイアに戻って来ることはないと思えた。

 人間ニッキーとデビーと私は、怖いもの知らずの若手として、シュノーケルとフィンをつけて、サメがうようよいる海で泳いだ。老漁師には、私たちが必要だった。私たちは、老漁師のボートからさらわれて、海の底に沈んだ道具を探し回った。数時間かけて、海底をゆっくりと探すと、道具箱や、網や、モーターや、ちぎれたロープが見つかった。海水でダメになっていたものも多かったが、使えるものもあった。私のボートは良いほうだった。ひっくり返ったボートを元に戻して、絡まったロープをほどいて、モーターを取りつけた。ボートから消えていたのは、道具袋だけだった。

 一週間くらいで、キャンプの状態が回復したので、私は早起きして、イルカに会いに出た。ホーリーは浜にいたが、気だるそうに見えた。私がシュノーケルとマスクをつけて勢いよく海に入ると、ホーリーは私を見ながら沖で待っていた。ホーリーもいっしょに泳ぎたいようで、がまんしながら私を待っているのが分かった。私は慌ててフィンをつけようとして倒れた。私がホーリーに近づくと、ホーリーはホイッスルを出した。イルカの本来の生息地で出会うのと、モンキー・マイアで出会うのは大違いだった。首をピンと張り詰めて、人を見上げるのと違って、ここでは、優雅で落ち着いて自在だった。ホーリーは、ゆったりと私のそばへ滑り込んで来て、ほんの数インチ離れたところで半目を閉じていた。ホーリーがとても穏やかだったので、私もリラックスして、ホーリーのわき腹に手を伸ばした。ホーリーは、目を少しだけ開き、私を見ようと旋回して、元の位置に戻った。ホーリーは私のそばを離れず、私がホーリーの体に腕を回しても、ホーリーは私を受け入れた。私たちは並んだままで、深みへゆっくりと入った。

 ホーリーがリラックスして、穏やかで暖かかったので、私もすぐに同じような気分になって、夢見心地で漂った。そして、ホーリーは、私の腕からゆっくりと離れて海底へ向かった。私たちは深さ約六メーターの地点にいた。私は、ホーリーを追って潜ろうかと考えたが、私のぎこちない泳ぎではダメだと思って、海面で待つことにした。ホーリーは海底で何かをつついていたが、水が濁っていたのでよく見えなかった。しばらくして、ホーリーは私のところに戻ってきた。そのとき、ホーリーは大きくて白くて重そうなものを、口にくわえて引きずっていた。ホーリーが近寄ってきて、くわえていたビニール袋を私に差し出したので、私が受け取ると、ホーリーは離れていって潜った。ホーリーは私と泳ぐのを終わりにしたようで、私はホーリーを追いかけてもムダだと感じた。ホーリーが、リラックスした気分をそれほどまでに表したので、私も、無理はしたくなかった。私はしばらく海の中を歩いていたが、そのビニール袋をどこかで見たような気がして開けてみた。中には、レンチのセット、プライヤー、ドライバー、点火プラグ、照明具が入っていた。それは私のボートから消えた道具袋だった。



 いろいろな意味で、サイクロンがモンキー・マイアの常連さんたちと、私たちとの関係を変えるターニング・ポイントになった。私たちの間にあった、ずれや誤解が、嵐によって洗い流された。大きな力で、小さなずれを乗り越えて、しかるべき場所に行きついた。老ボンディーとは、バラ色の関係にならなかったが、常連さんの多くとは、急にうまくいくようになった。嵐をともに乗り越えたことがコミュニティーへの通過儀礼だった。

 常連さんたちは、孤立した状況に慣れていて、互いに面倒を見合っていた。私たちは、常連さんからボートの基本的な修理の仕方、魚釣りの方法、ロープのつなぎ方、有効な結び目の作り方、天気の見方などを学んだ。今や、常連さんは、夕食用に新鮮な魚をいつでも提供してくれて、いっしょにビールを飲む仲になった。その当時、夕方には、浜をぶらつくのが慣例で、常連さんたちのテーブルで立ち止まって、釣れた魚をほめて、天気などについても話した。常連さんたちは、アカダイ、クロダイ、マグロ、タラなどの寸法を測り、冷凍するために内臓を抜いていた。私たちは、肩に乗っていた重石が取れたと感じた。密につながっているが、著しく気まぐれなコミュニティーの一員になれた。


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この台風の成果は?

アーバン・タイフーン・ワークショップ 2006年6月26―29日 東京、下北沢
市民参加型の都市計画と未来のオルタナティブ・コミュニティ

アーバン・タイフーン・ワークショップは、参加型都市計画のためのグローバルな実験的試みです。このワークショップは、下北沢の多様な文化を背景としたコミュニティー・グループや、専門家たちとのコラボレーションのうえに成り立ちます。

ワークショップでは、日本国内だけでなく海外からも、活発にクリエイティブな活動をしている人たちを招き、下北沢の現在と未来についてブレインストーミングをします。下北沢の街は、行政による26メートル幅の新規道路と再開発の計画、これに対する特徴的な反対運動で現在注目を集めています。

ワークショップでは、建築、都市デザイン、アート・インスタレーション、オーラル・ヒストリー、グラフィック・コミュニケーション、映像といった、さまざまな領域・形態の試みを行います。 海外からの参加者とともにワークショップを行なううえで、言葉でのコミュニケーションは主に英語をつかいますが、 さまざまな領域・形態の試みは言葉以外の手段をつかったコミュニケーションも生みだすことになるでしょう。

このワークショップの目的は、下北沢ならではのユニークな雰囲気=スピリットをさまざまな形態で提示し、行政の計画に代わるオルタナティブを作り出すこと。ワークショップそのものが、楽しさのあふれる都市への参加となるのです。

- 背景
- 目的
- 構成
アーバン・タイフーンと2つのイベント:

1) シンポジウム「ユビキタス情報社会における都市デザインとコミュニティ」
6月28日
http://www.urbantyphoon.com/ubiquitous/

東京大学大学院 学際情報学府が主催するイベント。このシンポジウムは、ユビキタスの情報技術が、建築と都市計画における市民参加にとってどのような可能性をもっているか検証することを目的としています。実験的なアプローチとして、アーバン・タイフーン・ワークショップはこのシンポジウムと直結します。パネリストは、吉見俊哉、水越伸、イェフダ・サフラン、五十嵐太郎、ヨランダ・ダニエルス、小林正美、カーラ・レイタオ、田中浩也、パブロ・コルバラン、本江正茂、中嶋謙互、ほか。

2) カルチュラル・タイフーン
6月30~7月2日
http://www.cultural-typhoon.org

文化研究に関心のある研究者が国内外から数百人参加して毎年開催されるイベント。今年のカルチュラル・タイフーンは都市文化をテーマに下北沢で開催されます。アーバン・タイフーン・ワークショップでの成果は、カルチュラル・タイフーンのシンポジウムで報告し、議論することになります。



このワークショップに飛び入り参加したトキの特典は?

下北の女子高で開催された。女子高の構内に初めて入った。

トイレに行きたくなって、探したら、男子トイレは満杯。女子高には男子トイレはほとんどない(当然だよね?)・・・

我慢できなかったので、内部へ侵入・・・ 女子トイレで、用を足した・・・ 初体験、やばかった~~~

ドキドキ紋の初体験。女子高生が入ってきたらどうしよう・・・ 授業中だったのか? 休みだったのかよく分からないが、女子トイレ侵入罪で逮捕されなかった・・・


生理現象には勝てない・・・

マニラでは、一度は食当たり、一度は水当たり・・・

正露丸で対処した・・・



思い出した・・・ 野性の証明、アマゾネス入門・・・

イルカの本より

 作業を中断して港に戻ることはほとんどないが、リチャードとハンサムな若い助手エリックといっしょに海に出たときに、途中で引き返したことがある。寒くて風が強く、胸が躍る日だった。特定のイルカを長時間観察していたので、観察を中断するのはためらわれた。夢中になって、高速でボートを走らせていたが、私はオシッコをがまんできなくなった。がまんの限界になって、歯が浮く感じだった。リチャードとエリックはデータを集めていたが、私がトイレ休憩を願い出ると、ふたりは後ろ向きになり、私にわずかのプライバシーを与えてくれた。だが、ボートは大揺れし、背後からは冷たい風が吹きつける。とても落ち着いて用を足せそうになかった。一、二分経つと、リチャードが嫌味を言いながらのぞき始めた。ふたりは十二歳の少年のようにケラケラと笑った。私は降参した。

 十分経って、もう一度試したが、同じありさまだった。震えて気分も悪くなり始めた。私は三回、四回と試みたが、そのたびごとに、リチャードとエリックの笑い声は大きくなっていった。私はついに追跡を中断すると言って、キャンプに戻った。用を足している間は、ボートを泊めたままにして置くようにと頼んだ。トイレに入るころには、気分がひどく悪くなって、気が落ち着くまで、時間が必要だった。リチャードは長年にわたり、何度もこの件について話した。好もうと好まざろうと、フィールド・ワークに出ると、このような親近感を共有することになる。

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