Jonny Walker V.S. Napoleon
Aoyagi YoSKe
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温故知新 - フィードバックシステム
世界で初の人種のるつぼは、アムステルダムだった。マンハッタンよりも古い。人種のるつぼこそ自由を産む・・・
幻の大陸、オーストラリア、海図なき挑戦・・・
社主はお年を召しているので、先遣隊は若手、行け~~~
社主は後から、視察旅行に行きます。そして、ポイントだけを指摘する。改善命令だ~~~
シャーク湾はオーストラリア大陸の西端にあり、ヨーロッパの探検家が初めてオーストラリア大陸に足を踏み入れた地点だ。長い間、ヨーロッパの探検家にはオーストラリアは幻の大陸だった。オーストラリアはほんとうに存在するのだろうか、広大な南の大海の中にそんなものがあるはずはないなどと疑っていた。航海術や装備が未熟だったので、大陸を発見する試みはことごとく失敗した。大陸の近くまで航海して、大陸の音が聞こえる地点まで来た頑健な探険家もいた。しかし、彼らは不思議な大陸へ接近したことには気づかずに、ヨーロッパから数か月の厳しい航海をしてきて疲労こんぱいしただけで帰っていった。
オランダ人のダーク・ハートグが初めてオーストラリアへ上陸した。一六一六年、現在のインスクリプション岬にエンドラヒト号を接岸した。だが、島は不毛の地で、風が強かった。この島はシャーク湾の列島の中にあって、現在ではハートグ島と呼ばれている。ハートグは上陸地点にシロメ(錫と鉛などの合金)の飾り版を置いたが、その飾り版は安置されてはいなかった。一六九七年に別のオランダ人ド・フラミン船長がインスクリプション岬に立ち寄って、ハートグの飾り板を取り除き、自分の飾り板を据えつけた。だが、後年にハートグの飾り板に戻された。一七二二年、フランソワ・ド・サン・アルワーンがインスクリプション岬に上陸し、正式にフランス領土だと宣言した。フランスのコイン二枚と羊皮紙一枚をびんに入れて埋め、乗組員一名の遺骸も埋葬した。この不毛の地で所有権を巡って争いが起きたとは想像しがたい。
一六九九年、イギリス人ウイリアム・ダンピアーがシャーク湾と命名した。一八〇〇年代初期、ジェオグラフ号のボーダン船長と、ナチュラリスト号のハメラン船長のフランス人探検家がシャーク湾および海域の海図を初めて作った。一八二七年、イギリス人が西オーストラリアに初めて入植地を作った。入植地はシャーク湾からかなり南方のキング・ジョージ・サウンド(現在のアルバニー)と、スワン・リバー(現在のパース)だった。オーストラリア全土は最終的に大英帝国の支配下に入った。
もちろん、オーストラリアの歴史はヨーロッパ人から始まったのではなく、四千年以上も前にオーストラリア先住民のアボリジニから始まった。シャーク湾にはナンダ族とムルガナ族がいた。シャーク湾にある最も古いアボリジニの居住地跡には、貝塚(貝、カニの爪、哺乳類の骨、石器などが堆積している)があるが、今から五千年も前のものだ。今のところ、歴史家や考古学者がシャーク湾の綿密な調査をしていないので、古い居住地跡がまだ他にもあるかもしれない。

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