2/10/2010

土偶? 原子心母?

国宝の土偶を美智子さまが見学


土偶とは? 豊饒の海、豊饒の大地、豊饒を意味する日本古代の女神だと思う・・・


うみひこ、やまひこのばあさま? 笑い




同時に、これが頭に浮かぶ・・・


ピンクフロイドの原子心母



---Wiki

ピンク・フロイド (Pink Floyd) は、イギリス出身のプログレッシブ・ロック・バンド。



スタイル [編集]

実験的な音楽性やスペクタクル性に富んだライブ、現代社会における人間疎外や政治問題をテーマにした文学的・哲学的な歌詞で人気を博した。芸術面で高い評価を得ながら、『狂気』で4,000万枚、『ザ・ウォール』で3,000万枚のメガ・セールスを記録した、稀有なバンドである。このことから70年代に最も成功を手にしたロックバンドとも言われている。クラシックジャズの素養を持った技巧派の奏者が多いプログレッシブ・ロックの中にあって、ブルースを出発点とする(結成当初は、ブルース・バンドだった)彼らの演奏技術は細かい符割りや変拍子とは無縁であるが、その音楽は独自の浮遊感・陶酔感を湛えている。また、現在に至るまでジ・オーブKLFなどのいわゆるエレクトロニカ関連のアーティストにも多大な影響を与え続けている。
1973年発表のアルバム『狂気』は、芸術性と大衆性を高い次元で融合させ、商業的にも成功した金字塔的な作品であった。この成功が余りに巨大であった為、以降彼らは新作を制作する度に大変な重圧と戦うこととなる(そんな中で、『炎〜あなたがここにいてほしい』や『ザ・ウォール』といった名盤を残している)。内省的なテーマを扱い、前衛的な要素も取り込みながら、常識外れのセールスを記録したこの作品は、プログレッシブ・ロック(或いは、パンク・ロック以前の黄金時代のロック全般)の一つの到達点・飽和点とも言える。
また、フロイドはマスコミへのインタビューや露出を極度に嫌っていた。そのため、彼らの幻想的な音楽、哲学的な詞とあいまって、フロイドに対する神秘的なイメージをかもし出すことになった。その一方で、「ピンク・フロイド」という名前が非常にポピュラーになっても、熱心なファン以外にはメンバーの個人名までは認知されないという状況にもなり、メンバーのソロ活動においては、この知名度の乏しさが足かせとなって、売れ行き不振に繋がっていたマイナス面もあった。

(中略)

エピソード [編集]

  • ピンク・フロイドのアルバム・ジャケットを手がけているデザイン・チーム「ヒプノシス」のリーダーであるストーム・ソーガソンは、ウォーターズとバレットの高校時代からの仲間。『原子心母』や『狂気』などのアルバム・ジャケットは彼の代表作となっている。
  • シド・バレットの後釜のギタリストとしてジェフ・ベックを加入させるという話があった。実際にジェフ・ベックにコンタクトが取られたが、折り合いが付かず、デヴィッド・ギルモアが加入することになった。選ばれた理由は「ウマが合ったから」とのこと。
  • そのデイヴィッド・ギルモアは、フロイド加入以前にモデル活動をしていたことがある。あくまで金稼ぎのためにこなしていた程度らしい。
  • 1971年の初来日の際には、箱根で開催された野外フェスティバル「箱根アフロディーテ」のトリとして登場し、日が暮れて霧が立ち込める中で、幻想的なライヴを披露した。楽器をチューニングする音をオリジナルの「前衛音楽」と勘違いした観客が歓声を送ったというエピソードがある。
  • 2005年LIVE 8出演の際、ウォーターズは「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール Part II」を演奏することを提案したが、ギルモアがこれを拒否した。歌詞の一節"We don't need no education"がアフリカへ向けるメッセージとしては不適当だったからだと、後にインタビューで語っている。
  • ロジャー・ウォーターズ曰く、バンド内では常に「建築家のロジャーとニック」vs「音楽家のデイヴとリック」という構図になっていたらしい。こうしたコンセプト志向とサウンド志向の対立が傑作を生み出していたとも言える。
  • ウォーターズの母親は共産党員だったが、メイスンは両親とも共産党員だった。そうした共通点から意気投合した二人は、大学時代に学生運動反核運動に精を出していた。しかし、ニック自身はそれほど左翼思想に傾倒することはなかった。
  • デビュー間もない頃、ピンク・フロイドとジミ・ヘンドリックスは一緒にツアーに出ていたことがある。彼らはお互いにミュージシャンとして認め合うコメントを残している。特に、ジミはシド・バレットを高く評価していた。
  • アルバム「おせっかい」の一曲目である「吹けよ風、呼べよ嵐」は全日本プロレスにおいて、いわゆる凶悪レスラーの入場テーマ曲として長年愛用されているが、一般的には来日回数が最多のアブドーラ・ザ・ブッチャーのそれとして広く知られ、日本では独自のカップリングでシングル・カットされた。

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