アメリカでも、時々、カルト宗教が発生する・・・
この記事は僕が考えていたことを分析している・・・
閉鎖性、セクショナリズムは大問題 => 昔から僕も考えていた
そして、この傾向は大学に限らず、現時点ではさらに大きくなっている。大問題である。
仲間内で、絆で結束していて、小さなグループが多数存在している。
グループ内とグループ外に、明確な線引きをしている。つまり、一味化している・・・
それと、歴史と伝統の仇打ち=復讐も大問題である・・・
キーワード・センテンス
S: 秘密主義(Secrecy)
E: 教養(Educated)
L: 殺人(Lethal)兵器
F: 連帯(Fraternal)関係
ポイントはアメリカの平等は「機会平等」だということにあると思います。
機会平等と自己責任?
「誰しも平等に勉強するチャンス、仕事をするチャンスが与えられている。そこで何をするのも自由だ。結果的に成功すれば結構、失敗してもそれは自己責任だから仕方がない・・・」
ダンズィグ氏のもう1つの語呂合わせは
S: 秘密主義は独善性(Solipsism)を生み
E: 閉鎖社会は常軌を逸し(Eccentric)させ
L: 指導構造により検討や実現出来ることが制限(Limited)され
F: 組織は分断され(Factionalized)全体像が崩壊する
という、オウムが辿った道のりを記しています。僕が『さよなら、サイレント・ネイビー』の中で使った表現は「部分最適・全体崩壊」というものでしたが、米国元海軍長官で危機管理のエキスパートが数年後に同じ結論に達しているのを知り、やはりそう見るか、と感慨深く思いました。
S: 多くの日本組織は秘密主義やそれによる独善の弊害に陥っていないか?
E: 閉鎖環境の中で「会社の常識社会の非常識」のように常軌を逸した慣習を営々と続けたりはしていないか?
L: セクショナリズムによって問題の検討や各々の部局が実現できることが制限されてはいないだろうか?
F: 日本型組織は権威と権限、予算執行権などが分断され、局所局所は最適に見えながら、全体像は崩壊したものになってはいないだろうか?
という、4つの「SELFの問い」を、あらゆる省庁、あらゆる企業や団体が、自ら胸に手を当てて考える価値があるのではないか、と率直に思わざるを得ませんでした。自分に言えることで具体例を挙げるなら、私が属している東京大学は、上記のすべてで“クロ”判定です。
秘密主義(学生の個人情報だなんだというお題目の頻用と合わせて)、閉鎖性と特異な慣習(学部の自治と独立、という東大闘争以来の金科玉条も大活躍)、諸々の制限によって全体像の把握すら困難で(何かあるとすぐ憲法の「学問の自由」が飛び出してくる)、結果として部局部課は動きますが、大学として統一整合した全体像は一切存在しない(小泉政権=米国ブッシュ・ジュニア共和党政権期に行われた国立大学の法人化は総長権限の増大を目指しましたが、それが奏効しないと分かる頃の米国の民主党政権交代前後からは「今、大学は<改革疲れ>している・・・」という誰も理解不能な題目の下、改革を推進したはずの人々が揺り戻しに腐心するという不思議・・・内容に一貫性はないですね。あ、本省の覚えは一貫して良いのかもしれませんが)というようなことになっていますね。
かつてルワンダ共和国を訪れた時、日本ではいまだに復讐主体の処刑が続いていると実情を話し、現地のアフリカ人司法関係者から哀れなものを見る目で見られたことがありました。内戦に次ぐ内戦で、処刑に対して処刑で対抗し、それが未来になんのプラスももたらさないことを痛感しているアフリカ社会の指導層たちから見て、日本の司法の立ち後れは理解しがたいものに映ったらしいこと。私にもショックでした。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100329/213687/?P=1
米国最高首脳が今オウム実行犯に接見する理由
――医療保険改革法以降のアメリカとリチャード・ダンズィグの思惑
伊東 乾 【プロフィール】
オバマ政権 医療保険改革法 自己責任 機会平等 グアンタナモ リチャード・ダンズィグ 再発防止 司法取引 復讐 中川智正 拷問 オウム真理教 テロリスト エリック・ホルダー BC兵器 死刑休止
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3月21日(日本時間では22日の朝)、米国下院で「医療保険改革法案」が219対212、僅差の賛成多数で可決されました。極めて歴史的な出来事、はっきり言えばバラク・オバマ米大統領の当選以上に大きな意味を持つニュースです。アメリカは世界で唯一「国民皆保険」制度のない先進国でしたが、この法案可決によって、新たに3000万人以上のアメリカ国民が健康保険に加入できることになったのです。逆に言うなら、この原稿を書いている現在、何千万という人々が無保険の状態で老病死苦と直面しているという、日本であまり報じられない合衆国のもう1つの横顔が見えてくるのでもあるわけです。
そんな報道のある中、今週のどこかの日に米国民主党政権の最高首脳が、小菅の東京拘置所にオウム真理教の実行犯たちを訪ねて、接見に来るという予定の情報が入ってきました。リチャード・ダンズィグ(Richard Danzig)。ビル・クリントン政権の海軍長官で、前回の選挙ではオバマ候補の安全保障担当顧問を務め、現在は新米国安全保障研究所長のポジションにあるアメリカの最高首脳が、オウムの、とりわけ科学者の幹部たちに2度目の接見にやってくるのです。その狙いは何か?
ダンズィグ氏は3月18日付け朝日新聞の「オピニオン 私の視点」欄(19面)に「オウムの組織 強さと弱さが不可分に同居」という長文の論考も寄稿しています。今回はこれを引用しながら問題を考えたく、話の取っ掛かりは大きな曲がり角に立つ米国の象徴的事件「医療保険改革法」から検討したいと思います。
「医療保険改革法」の光と影
医療保険改革法に最後まで反対、抵抗した野党共和党は「同法廃止を掲げて11月の中間選挙に臨む」と挑戦姿勢を明確にし、オバマ大統領は「やれるものならやってみろ」とあくまで強気の構えです。
ここで、でも皆さん「普通の日本人」の「常識的感覚」からして、ちょっと違和感を持ちませんか? 「自由と平等の国 アメリカ」と、私たち戦後生まれの日本人はお経のように聞かされて育ってきました。<アメリカは明らかな平等先進国、日本の制度は遅れた封建的なもの・・・>、そんなお題目を意識の下に持っている人がおられるかもしれません。少なくとも子どもの頃の私は、そんな印象を持っていました。
逆に、保険がないために治療費の支払いが不能になって、加療途中なのに病院を追い出されるなんて話を聞けば、大半の日本人は「なんてひどいことを!」と思うのではないでしょうか? また、その救済制度である保険導入に反対する人など、言語道断と思われるのでは?
ところがどうでしょう、実際には、医療保険改革法に賛成した民主党議員には脅迫が相次いでいる、と報じられています。FBI(米連邦捜査局)が乗り出すなど、にわかに緊張が高まっているという。大統領自身の身辺安全警護も厳重になっているに違いありません。エイブラハム・リンカーンやジョン・F・ケネディのような局面が発生しうる、実は現在が一番危ない時期であると認識すべきと思います。
自由と平等の国のはずのアメリカで、誰しも平等に医療保険に加入できる法案が今可決されたばかりで、かつそれに賛成した議員の身の危険が案ぜられる・・・脅迫、はさておき、前ブッシュ・ジュニア(ジョージ・W・ブッシュ)政権の与党でもあった共和党側の反対の理由もまた、実は「自由」と「平等」に基づいている、そこから話をスタートしたいと思います。
ポイントはアメリカの平等は「機会平等」だということにあると思います。
機会平等と自己責任?
「誰しも平等に勉強するチャンス、仕事をするチャンスが与えられている。そこで何をするのも自由だ。結果的に成功すれば結構、失敗してもそれは自己責任だから仕方がない・・・」
「医療保険改革法」に本気で反対する人たちは、そのように考えます。「自分たちは様々なリスクも冒しつつ、一生懸命働いて、今の生活を獲得した。そうでない、何もしないで怠けている連中にまで、どうして保険など与えてやる必要があるのか?」といった議論です。つまり「機会平等」と「自己責任」において反対するわけです。ブッシュ・ジュニア時代、自民党で言えば小泉純一郎政権期に進められた様々の諸改革も、この「機会平等」と「自己責任」を原則に進められました(政府には毎年米国から「改革要請」が来ますから、日本の政策も当然影響を受けます)。
これに対して改革導入派も同じ原理に基づいて反論します。「従来、教育の機会均等が失われ、望む職業に就くことができないなどの差別があった。国民皆保険制度の導入は、医療を受ける機会の均等を、遅ればせながら導入するもので、アメリカ国民の歴史的勝利にほかならない」。
反対派も言うでしょう。「移民に門戸を開いた大陸国アメリカで、皆保険のような社会主義的政策を導入すれば、ばらまき型福祉の歯止めが利かなくなって国を滅ぼすことになる。私たちは子どもたち、孫たちの未来、明日の米国に責任を負っている。子孫に負の遺産を残すような『医療保険改革』は、断固として封じねばならない」等々。
この連載では、核兵器廃絶を訴えるオバマ大統領の「プラハ宣言」から「東京宣言」までが、原子力エネルギーの平和利用施策と表裏一体で、サントリーホールでの演説は日本にカウンターパートとしての役割を求めるものだ(「オバマ核軍縮ビジネスモデルと原発産業(その1)」「『グリーン』と『原発』はコインの表裏・・・『東京演説』を読む」)といったことを書いているわけですが、果たせるかな3月23日、マイクロソフトのビル・ゲイツ氏が東芝との原子力開発技術協力の可能性を検討開始している、というニュースも報じられました。米国の言うような、良くも悪しくもグローバルな「自己責任」と「機会平等」の様々な側面は、今後も折々に報じられるニュースに即して、お話したいと思います。
中東テロリストの生物化学兵器武装対策
さて、こんな具合に背景を準備したうえで、新米国安全保障研究所長のリチャード・ダンズィグ氏のオウム真理教幹部への接見について考えてみます。この接見を知らせてくれたのは小菅の東京拘置所に収監されているオウムの「治療省大臣」中川智正元医師で、担当のG弁護士を通じて連絡があり、先週金曜日の朝に接見してきました。
中川さんと元来面識があったわけではありません。僕が大学時代の同級生で、日比谷線にサリンを散布し、現在は死刑が確定している豊田亨君の拉致から洗脳、ロボット化の過程を追いかけた『さよなら、サイレント・ネイビー』を獄中で読み、感動を記した手紙を頂いてから行き来が始まったものです。
オウム関係の様々な書籍でいろいろ言われる中川さんですが、僕が実際に会う限り、完全に正気に戻っており、非常に落ち着いています。中川さんはリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー元ドイツ連邦共和国大統領がナチスの犯罪について述べた「既に犯した罪と、それに対する罰は当然のことだし仕方がない、でも罪と罰は過去に対するものだが、社会への責任は未来に対するものだ」という言葉を引きながら、今こうして生きている中で、社会の未来に役立つことがしたいと言います。
そんな陰ながらの罪滅ぼし、獄中からの社会貢献の1つが、米国安全保障担当最高首脳のヒアリングに応じることなのです。
ダンズィグ氏の中川元医師訪問の主要な関心は「中東テロリストのBC兵器、つまり生物化学兵器武装による大量破壊を未然に防止するため、オウム真理教でのケースを再発防止目的で詳細にヒアリングすることにあります。
前回は2008年4月23日に30分の面会、その後、手紙のやり取りなどがあり、また今回接見申し込みの手紙が外務省を通じてあった、と連絡してくれたものです。何か差し障りがあるといけませんので、この内容については確認のうえで、後日また記せることを書こうと思います。しかし、ダンズィグ氏は明らかに日本社会に対してメッセージを発しようとしています。それはオウムに始まりながら、より一般的に日本社会の組織構造が持っている強さと弱さを指摘しているように、私の目には映ります。
以下、冒頭にも記しました3月18日付け朝日新聞の「オウムの組織 強さと弱さが不可分に同居」という論考(「オピニオン 私の視点」欄)を引用しながら、これを検討してみましょう。
「秘密」が生み出す集団の暴走
先にクリントン政権の海軍長官と書きましたが、ダンズィグ氏は制服組ではなく、シビリアンの法律家です。前回も今回も、形としては公人ではなく、BC兵器の安全保障に関する個人的研究のために、小菅を訪れるとのこと。ただし(ここでは差し障りがあるといけないので書きませんが)、仲介している役所の部署名など聞く限り、完全な私人とも到底思えない印象を持ちました。
「朝日」寄稿の冒頭はこんな具合に始まっています。
15年前、救済を唱えるカルトのオウム真理教は東京の地下鉄を化学兵器で攻撃した。オウムの特徴について再考し、特にその中枢の指導層について考えることは、いまも存在する、あるいは将来に生まれるかもしれないテロ組織を考える上で教訓になりうる。オウムの少人数の指導層には、強さと弱さが分かちがたく同居していた。そこから、最も重要な洞察が導かれる。
アメリカの古典的インテリらしく、ダンズィグ氏は論考をSELF(「自己」)という4つの頭文字でまとめています。
S: 秘密主義(Secrecy)
E: 教養(Educated)
L: 殺人(Lethal)兵器
F: 連帯(Fraternal)関係
ダンズィグ氏はオウムの犯罪を、教養ある生い立ちを持った人々が秘密主義の中で殺人兵器の使用をも辞さない姿勢で先鋭化する過程でメンバー間で築き上げた連帯関係によって、社会から見れば理解不能な「完全な忠誠」が確保され、何十億ものカネが集まり、動き、通常ではあり得ない暴力行為が実行されながら当局の摘発を逃れる構造が生まれた、と説きます。
ご興味を持たれた方にはぜひ全文をご参照ください。とりわけ僕が注目したのは、以下のような部分です。
殺人兵器の使用によって、組織の経験は増強される。暴力のもつ、憎むべきすべての要素を非難しながら、我々はその魅力にも目を向けなければならない。暴力はセックスに似た要素をもつ。興奮を高めるホルモンを放ち、その瞬間に集中させ、絶頂的な解放をもたらす。つまり、それを用いるものには満足がもたらされる。他人とともに実行すれば、同志愛が築かれる。
これらの特徴は、強い連帯感をも生む。シェークスピアは英国のヘンリー5世が戦闘直前に兵に語りかける場面を描いたとき、兵士たちが「兄弟の絆(きずな)」でつながっていると王に語らせた。
ベトナム戦争中の虐殺はもとより、沖縄で繰り返し起きる事件など、米兵集団にも様々な問題行動を起こします。海軍長官としてその長の立場にもあったダンズィグ氏が、個人として上のように記していることは、極めて興味深い内容を秘めているように思います。
ダンズィグ、もう1つのSELF語呂合わせ
米国の優秀な教養人弁護士らしく、ダンズィグ氏は論考を、同じ語呂合わせのもう1つの組み合わせで締めくくっています。こういうレトリック、修辞の巧さは知識ある人に妙な納得をもたらしますね。実はこれも、200年以上続いた米国の陪審裁判で、市民良識層から納得を引き出す、非常に強い武器になっているのです。米国法曹の彼は、弁護士も検事も判事も、同様の流麗なレトリック、つまり説得する作文能力と演説能力で演じ分けることができる。
さらに言えば、海軍長官のような閣僚、オバマ候補の選挙対策で「安全保障担当顧問」として、やはり卓越した法曹であるオバマ大統領のセキュリティ演説のスピーチライティングをすることもできる。こういう人材が日本にあまりにも少ない事実。膨大な数の学生を教えてみて、今さら日本でこうした改善を叫ぶつもりもなくなってしまいましたが、日本はどこか大変に甘くできている、極めて発想が幸せな国であると思わざるを得ません。
さて、ダンズィグ氏のもう1つの語呂合わせは
S: 秘密主義は独善性(Solipsism)を生み
E: 閉鎖社会は常軌を逸し(Eccentric)させ
L: 指導構造により検討や実現出来ることが制限(Limited)され
F: 組織は分断され(Factionalized)全体像が崩壊する
という、オウムが辿った道のりを記しています。僕が『さよなら、サイレント・ネイビー』の中で使った表現は「部分最適・全体崩壊」というものでしたが、米国元海軍長官で危機管理のエキスパートが数年後に同じ結論に達しているのを知り、やはりそう見るか、と感慨深く思いました。
ところが朝日新聞への投稿の中、ここでダンズィグ氏はいきなり、全然違う例を出すのです。
経済界や政府の健全な組織は、指導者を交代し、新たな活動をする場合には新たな専門家を招き入れ、それによって消費者や市民の求めに共鳴する。オウムの経験は、開放性の欠如と引き換えにテロ組織が支払う重いツケを示している。その偏執性の結果、メンバーの地位は必要な技量によって決まるのではなく、信用性によってのみ与えられるようになった。技量が不十分だったとしても、派閥の支持によって地位を保つことが可能だった。そして、新鮮な空気による調整もできないまま、奇矯な構想が花開いた。たとえば、オウムは宇宙船建造を目指し、オーストラリアでウランを掘削して原爆を造る計画を進めた。
ここで彼の言う経済界や政府の健全な組織というのが、米国的とりわけ米国民主党的な意味での経済界であり政府の「健全な」組織であることに注意しましょう。ここを言いたいが故に(しばしばイントロ引っ張り過ぎ、などと、読者にTwitter[ツイッター]上で難ぜられるところですが、僕はこういう、テレビなら「分かりにくい」と一蹴されて終わるようなところのみ、もっぱらここで書きたいので=そうでないとこれを書いている意味がないので)、つまり「機会の均等」が保障され、自己責任において権利と義務のバランスが計られる「健全さ」の中で「新たな専門家を招き入れ」「それによって消費者や市民の求めに共鳴する」と書いていますが、これはこの点で日本の現状を知らない米国閣僚ダンズィグ氏の買いかぶりと言わねばなりません。
オウムの構造、日本の構造
実際の日本では、政府は「新たな専門家を招き入れ」たりすることがありません。かつての55年体制政治では、政治家も役所も密室や料亭で閉じた空間の中で腹芸を繰り返し、調整型と称せられる人物が、合理的根拠と別に「顔」など立てながら話を取りまとめてしまいましたから「それによって消費者や市民の求めに共鳴する」なぞということがなかった。利益集団の代表が各々勝手に言いたいことを言い、結論とは論理的につながっていない、そういう50余年を続けてきたわけです。
昨年の選挙で日本も政権交代が起き、このコラムでも当初は大いに期待したのですが、実際に起きたことは、個別の問題には素人の議員や閣僚が高度な専門性を要求される政策に丸腰の手作りで踏み込んで失敗しかけたり、難しい政策を検討せずとも体面が保ちやすい財政にのみ焦点を絞って選挙での人気取りに目配りしながらの「仕分けパフォーマンス」を演じたり、呆れて言葉の出ないケースも続いています。
つまり、ダンズィグ氏がオウム真理教の組織について行った分析の一部は、そのままかなり多くの日本の既存組織、すなわち官公庁や大企業、地方自治体や各種民間団体にもそのまま当てはまるのではないか? と思わざるを得なかったのです。彼の言葉をそのまま使って問い直すなら
S: 多くの日本組織は秘密主義やそれによる独善の弊害に陥っていないか?
E: 閉鎖環境の中で「会社の常識社会の非常識」のように常軌を逸した慣習を営々と続けたりはしていないか?
L: セクショナリズムによって問題の検討や各々の部局が実現できることが制限されてはいないだろうか?
F: 日本型組織は権威と権限、予算執行権などが分断され、局所局所は最適に見えながら、全体像は崩壊したものになってはいないだろうか?
という、4つの「SELFの問い」を、あらゆる省庁、あらゆる企業や団体が、自ら胸に手を当てて考える価値があるのではないか、と率直に思わざるを得ませんでした。自分に言えることで具体例を挙げるなら、私が属している東京大学は、上記のすべてで“クロ”判定です。
秘密主義(学生の個人情報だなんだというお題目の頻用と合わせて)、閉鎖性と特異な慣習(学部の自治と独立、という東大闘争以来の金科玉条も大活躍)、諸々の制限によって全体像の把握すら困難で(何かあるとすぐ憲法の「学問の自由」が飛び出してくる)、結果として部局部課は動きますが、大学として統一整合した全体像は一切存在しない(小泉政権=米国ブッシュ・ジュニア共和党政権期に行われた国立大学の法人化は総長権限の増大を目指しましたが、それが奏効しないと分かる頃の米国の民主党政権交代前後からは「今、大学は<改革疲れ>している・・・」という誰も理解不能な題目の下、改革を推進したはずの人々が揺り戻しに腐心するという不思議・・・内容に一貫性はないですね。あ、本省の覚えは一貫して良いのかもしれませんが)というようなことになっていますね。
辛口すぎますか? これ、国民の税で賄われている大学を、公開情報の範囲だけで見ているだけですよ。
私が東大当局にたいへん厳しいのは、同級生の豊田君のようにオウムなどカルトに持って行かれた若い才能のケースを念頭に、再発予防教育の必要を10年訴えてきましたが、一切知らぬ存ぜぬの頬被りで、ごまかし通した姿勢があるからです。
日本の大学の現状は、ここでダンズィグ氏が指摘する「SELF」そのものにほかなりません。お分かりいただけるでしょうか? 適切に手当てしなければ同じミスが繰り返し起きるでしょう? 5年10年の間に第二の豊田、第二の中川医師が国立大学法人から出てきて何も不思議でない!! これに我慢がならない!!!
しかも彼らが押しなべてアニメが好きだったんですね、「銀河鉄道999」とか「風の谷のナウシカ」とか。前回、東京都のエロコミック規制条例の問題を別の観点から考えたもう1つの動機もここにあります。前々回、霊感商法のマインドコントロール漫画、とだけ、シレッと書きましたが、シャレで済むことになってない。こういう部分、都が何を考えているのか、担当者に問い糾してみたいものです。
ともあれ、保身の大事な「自己中大学」では、米国安全保障担当の言う危機管理テストで、赤判定が出て当然。掛け値なしに記しているつもりです。心ある関係者には、少しは我が事と思って事態を考えていただきたい。
米国最高首脳が問いかける「失敗学」
察するに、ダンズィグ氏は、日本社会自体は彼らの目で見て「健全なもの」であるが、その中に特異的な例としてオウムのようなモノが生まれてきた、という前提で考えている様子です。そしてそのうえで、特異な「失敗ケース」であるオウムの事例を、幾度も繰り返し、折々に触れて問い直す必要性を説いています。
オウムは死と破壊をもたらした。しかし、その例は、私たちの理解を助ける遺産になる。オウムのたどった道は、奇妙な活動や実りのない策略をめぐらす集団であっても、その技術を効果的に組み合わせることでサリン攻撃のような衝撃を引き起こせることを示す。それ以上に、オウムの指導層はテロ組織に共通にみられる特徴を浮かび上がらせている。そのような集団を迎え撃つには、私たちが彼らの強さと弱さ、そしてこれらが分かちがたく共存していることを理解する必要がある。過去から学ぶことが、私たちの将来を守るために、最良の考察を与えてくれる。
ダンズィグ氏は「オウムの過去を学ぶことが、私たちの将来を守るために、最良の考察を与えてくれる」とする「失敗学」を、3月18日、つまり3月20日の「地下鉄サリン事件15年」直前に、朝日新聞オピニオン欄に宛てて、(極めて秀逸な日本語訳がなされた)周到な「オピニオン記事」を投稿し、日本社会に何かを問いかけています。
が、これに対する日本の知識人の目立った反応を(不勉強かもしれませんが)僕はまだ見ていません。そこで僕もできることを今回しています。
さらに言うなら、この記事はたぶん間違いなく、米国大使館関係者の手によって英訳されてダンズィグ氏の下に届けられるはずです(米国の安全保障・危機管理担当最高首脳が日本語で新聞に意見記事を載せて、そのリアクションをサーベイしていないわけがない)。
そこでダンズィグ氏向けにも一言書いておきましょう。
「素晴らしいSELFのアナグラムに加え SELF-Mind Control 集団の自己マインドコントロールの自走性を『日本社会システム全体の特性』と捉える観点をあなたはお持ちですか?
もしそう見るなら、日本の弱い点、リスクも見えるだろうし、また日本のメリット、例えば今のオバマ政権の課題で言うなら、『国民皆保険』が早くに成立して、米国の保険行政の現状からははるか『先進国』である『日本』の特徴や、そこからアメリカが知恵を得る、大きな鍵も潜んでいるのです。
こういった内容にご興味おありでしたら、一度お目に掛かってお話も致しましょう」
訳される方はよろしくお伝えください。
さらに彼は、評論家然とこの記事を書くに留まらず、翌々週、現実に小菅の東京拘置所を訪問し、ガラス越し、通訳付きで、本当にヒアリングを継続しようとしているわけです。その事実と合わせ、日本としてできるリアクションを、公の場でダンズィグ氏と米国向けに、今回の記事ではしているつもりです(直接のダンズィグ氏への伝言は、中川被告に頼みました)。
昨年のオバマ大統領訪日の際、米国上下院議員の訪日団と意見交換する席に呼んでもらい、僕もいろいろな議論をしました。この中で、共和党側を含め全議員から共通して聞いたのは「オバマ政権3年目」(あるいは2期8年なら3年目と7年目)に起きるであろう司法改革の話でした。
初の黒人司法長官エリック・ホルダーの下、極めて優秀な人権派弁護士であるオバマ大統領の政権が着々と準備している改革案については別の機会に取り上げたいと思います。オバマ政権前半、最大の案件である、今生きている米国国民の健康福祉のための「医療保険改革」が峠を越しつつある時、司法や安全保障に関して、アメリカは大きく動き、日米関係も必然的に様々な風にさらされることになります。
「サイレント・ネイビー」よ、さようなら
かつて私が『さよなら、サイレント・ネイビー』を書いた時、言いたかったのは、罪を犯した人が、黙って刑に服しても、再発防止の観点からは未来に何の責任を取ったことにもならない、オウム事犯よ、語ってくれないか? というメッセージでした。「サイレント・ネイビー」というのはイギリス海軍の言葉で、職業軍人は職務について一切秘密を守ったまま死んでゆくのを潔しとする気風のことです。日本でもこうした「潔さ」が好まれる傾向がありますが、そんなことをしていると、何度でも同じ過ちを繰り返して再発防止に役立ちません。だから「サイレント・ネイビーの美風よ、さようなら」と決別して、サリンを撒き、裁判では一貫して潔く黙っている、本当は表情的で楽しい関西人だったことを知っている同級生、豊田亨君に「詳細を語ってくれないか?」と問いかけたものでした。
死刑が確定した豊田君も、二審まで死刑判決で現在最高裁で審理中の中川さんも、実際まだ公式には語っていないオウムでの科学者の仕事が山のようにあります。何も隠し立てしているわけではない、検事も弁護人も、裁判というストーリーを構成するのに必要最小限の取り調べ、取材しかせず、網羅的な「オウム事犯」のすべてを解き明かすことは裁判の仕事ではないからです。
米国は2010年まで先進国で唯一「国民皆保険の制度がなく」「死刑制度を存置する」国家でした。しかし同時に米国には「司法取引」の制度が存在しています。自爆テロ事件などが起きると、その場で命を落とした人以外に必ず「見届け役」がいて、捜査で逮捕されますが、米国の取り調べは「拷問」か「司法取引」しかなく、「聖戦を戦っている」と神風を信じているイスラム原理主義者には全く通用しません。オバマ大統領自身が判断して、米国世論を揺るがせたグアンタナモ監獄での拷問が停止されたのをご記憶の方もおられるでしょう。
そんな中、1995年という早い時期に発生し、逮捕後にマインドコントロールが解けた「オウム事犯」のケースは、宗教事犯との対話可能性という点で、イスラム原理主義テロリストに手を焼いている米国捜査当局にとって、驚異的な捜査の成功例に映ります。オウム裁判で多数のマインドコントロール鑑定書を書かれた静岡県立大学の西田公昭先生も、内閣府の依頼で危機管理の国際プロジェクトに参加されています。
復讐は未来に何の責任を果たすか?
私は死刑廃止論者ではありません。この国でそんなこと、簡単にできるわけがないと思っているからです。民衆裁判的に死刑判決を多用すると、フラストレーションの溜まった層のガス抜きにもなります。さらに本当のことを書くなら、法務大臣に就任し、死刑を執行すると必ず激励の手紙が何通も来るそうです。「秩序を守る!」などとして死刑執行命令書に判を押す議員の本当の目論みは、次回選挙の当選を確実にしたい集票にあるという現実を知りました。
マスコミ向けに強気の発言をしている元法務大臣の政治家が、執行を気に病み、夜中に夢にうなされて飛び起き、震えながら仏像を拝んでいるという話も聞きました。自分の選挙のために判を押した、という意識があるから、そういうことになるのでしょう。己の心に嘘はつけない証拠だと思いました。
私は「死刑廃止」ではなく、韓国やロシアが採用している「モラトリアム」、僕なりの訳語では「死刑休止」を現実的に考えるようになりました。今日の法体系を見るに、事件があった時、被告人に対する「復讐」は裁判の本質的・唯一的な目標ではありません。社会全体の未来を見渡した時、社会からリスクを取り除き、同様の事件の再発を防止することが、司法の本質的な目標になっています。前回書いた「東京都青少年健全育成条例」も、過去の作品を取り上げるより、青少年の未来の安全を念頭に作られている「はず」です、本来の趣旨からするならば。
かつてルワンダ共和国を訪れた時、日本ではいまだに復讐主体の処刑が続いていると実情を話し、現地のアフリカ人司法関係者から哀れなものを見る目で見られたことがありました。内戦に次ぐ内戦で、処刑に対して処刑で対抗し、それが未来になんのプラスももたらさないことを痛感しているアフリカ社会の指導層たちから見て、日本の司法の立ち後れは理解しがたいものに映ったらしいこと。私にもショックでした。
とはいえ、一国が長年堅持して来た法の改正には時間がかかるでしょう。民意が動くのに要する時間など読めません。でもその間も被告人や確定者は生きています。彼らは罰は罰として過去への贖罪を決意しています。しかし、彼らにも今日があり、明日がある。そして彼らは社会の未来に向かって、今だから、彼らだからできる貢献をしたい。米国最高首脳リチャード・ダンズィグ氏のオウム事犯訪問は、まさにこの「再罰防止」のために、彼らの経験を生かそうとする行為そのものになっています。再びダンズィグ氏の言葉を引いておきましょう。
オウムの指導層はテロ組織に共通にみられる特徴を浮かび上がらせている。そのような集団を迎え撃つには、私たちが彼らの強さと弱さ、そしてこれらが分かちがたく共存していることを理解する必要がある。過去から学ぶことが、私たちの将来を守るために、最良の考察を与えてくれる。
あまりにも「いかにも」なタイミングで再来日し「あくまでも一個人の研究のため」としながら、オウム事犯との面接を続ける米国最高首脳、危機管理安全保障担当ダンズィグ氏。彼の行動から何を読み出し、日本は何を考えるべきであるのか? 問われているのは私たち自身である、と考えるべきではないのでしょうか?
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