6/30/2010

オバマ・サウジアラビア国王

流浪と地縛 - 二項対立



協力して、パレスチナ問題にあたる?

イスラエルが土地にこだわるのは、流浪の民になったことのPTSDが大きいのでは?

デラシネのつらさこそ、嘆きの壁?

その反面、ユダヤの民は知恵を獲得したのでは?


ユダヤ人の優秀な学者や銀行家やアーティストなどが多い理由なのでは?


土地に縛られると、ヒトの進化が止まる、遺伝子は、安全の代償に、進化を捨てるのでは?


どう思いますか?

変わらないモノは何もない、宗教だって、変わらなければ、衰えていくはず・・・

予定調和は否定済み・・・

過去は結果、変わらない、今は刹那、生きている、未来は創造、新しく創る・・・

祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きアリ

沙羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらわす・・・


みなさんへ・・・

諸行無常とは?

宇宙はダイナミック、生きていることの証である・・・

人類がいつまで生き延びるか否かは、その知恵にかかっているんじゃないの?

そういう気がしますが・・・

エジプト文明が生まれて、7000年くらいでしょ?

だが、世界は、ハルマゲドンになった・・・

【Harmagedon ギリシア】ハルマゲドン

(もとヘブライ語でメギドの丘の意)


新約聖書ヨハネ黙示録で、神とサタンとの最終戦争の場所。


宗教的には、ハルマゲドンにおける大きな戦いが終結したということなのかな? 終結でなくて、大きな戦いのひとつが終わった。まだ、小競り合いは続くだろうが、神のサイドが有利になった。その大きな要因は、天気である。天気は神のサイド・・・ サタンも、天気には勝てなかった・・・


神とサタンの戦いは、つまり、Divine SystemとBabylon Systemの戦いである・・・


Babylon Systemが優勢になった時点から、メディアコントロールが顕著になった・・・

1970年前後のことだろう・・・

安保闘争(日本)

Free Speech Movement(USA)

FEN(米軍極東放送)で、しきりに、エコロジー、セクシュアルハラスメントのキャンペーン放送をしていた。

環境問題のテレビ番組がよく流れていた(日本) 紙の問題、環境ホルモンなど

ロス・オリンピックで、オリンピックが商業主義に変わった(オリンピックで儲ける)

靖国参拝合憲、オウム真理教発足(1987年) ここら辺りから、Babylon Systemへまっしぐら・・・

金融危機(2008年) Babylon Systemが自ら崩壊した・・・


古代 [編集]

詳細は「古代イスラエル」を参照
旧約聖書によると、民族の始祖アブラハムが、メソポタミアウルから部族を引き連れて「カナンの地」(現在のイスラエルパレスチナ付近)に移住したとされる。彼らは「移住民」という意味の「ヘブライ人」と呼ばれた。この付近で遊牧生活を続けたヘブライ人は、紀元前17世紀頃カナンの地から古代エジプトに集団移住するが、やがてこの地で奴隷とされる。その後、エジプトのヘブライ人指導者モーセが中心となり、約60万人の人々がエジプトからシナイ半島に脱出を果たす(「出エジプト」)。彼らは神から与えられた「約束の地」と信じられたカナンの地(パレスチナ)に辿り着き、この地の先住民であったカナン人ペリシテ人(いずれもフェニキア系民族と考えられる)を、長年にわたる拮抗の末に駆逐または同化させて、カナンの地に定着した。この頃から「イスラエル人」を自称するようになり、ヘブライ語もこの頃にカナン人の言葉を取り入れて成立したと考えられる。
紀元前10世紀頃、古代イスラエル人はヤハウェ信仰(ユダヤ教の原型)を国教とする古代イスラエル王国をカナン(パレスチナ)に建国したが、ソロモン王の死後、紀元前930年頃、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した(「ユダヤ」とは元来、ユダ王国のあったパレスチナ南部を指す)。北のイスラエル王国は紀元前721年にアッシリアによって滅ぼされ(失われた十支族)、さらに南のユダ王国は紀元前586年に新バビロニアの侵攻により滅亡、多くの人民が奴隷としてバビロンに囚われた(バビロン捕囚)。彼らはユダ王国の遺民という意味で「ユダヤ人」と呼ばれるようになった。アケメネス朝ペルシアによる新バビロニア王国滅亡に伴い、捕囚のユダヤ人は解放されてエルサレムに帰還し、ペルシア帝国の支配下で自治国として統一イスラエルが復興された。ユダヤ教の教義も、この頃にほぼ確立された。アケメネス朝の滅亡後、古代マケドニア王国、セレウコス朝シリアなどに宗主国が引き継がれ、最終的にはローマ帝国領のユダヤ属州とされる。この頃にはヘブライ語は既に古典語となり、日常語としては系統の近いアラム語にほぼ取って代わり、のちに国際語としてギリシャ語も浸透した。また、ヘレニズム諸国の各地に商人などとして移住したユダヤ人移民(ディアスポラ)の活動も、この頃に始まる。ローマ支配下の紀元20年代頃、ユダヤ属州北部ナザレの民から出たイエス・キリストナザレのイエス)が活動したと伝える。

ゲゲゲとダイアモンドを合わせると・・・

日本人よ、夢は終わった、虚業は終わった、実業だ!


日本は虚業の巣窟です・・・


その原因は、戦後60年、民主化がまったく進展していない。


さらに悪いことは、後ろ向き、昔に戻ろうとした - 靖国参拝&皇国史観



NHK出版の猪狩さんが言ったダイヤモンドとは?

これだ・・・ 今、判明した・・・




株式会社ダイヤモンド社(ダイヤモンドしゃ)は、日本の主に経済ビジネスなどの書籍雑誌を出版している出版社である。日本で最初のビジネス誌で草分け的存在の「東洋経済新報」(現「週刊東洋経済」)から遅れること約20年後に「ダイヤモンドを創刊して設立。本社は東京都渋谷区神宮前六丁目にある。

沿革 [編集]

  • 1913年 - 創業、「ダイヤモンド」誌(月刊)を創刊
  • 1933年5月 - 株式会社化し、商号を株式会社経済雑誌ダイヤモンド社に変更
  • 1946年9月 - 「ダイヤモンド」誌を旬刊化
  • 1955年3月 - 「ダイヤモンド」誌を週刊化
  • 1969年3月 - P.F.ドラッカー著『断絶の時代』を刊行
  • 1971年5月 - 商号を株式会社ダイヤモンド社に変更

主な出版物 [編集]

外部リンク [編集]





ターゲットは?

日本軍の亡霊です、笑い

ついに、セッチン詰めだ、団子3兄弟

金正日、朴せいき、小泉純一郎?


Jonnie Walker


グローバル・ジャスティスが起動している・・・


昨年、コラソン・アキノ、金大中が亡くなった

アジア民主化の母と父・・・


ロシアでは、メドベージェフ

アメリカでは、オバマ


裏外交で、プーチンとクリントン


完全に追い詰められた闇の勢力、サタン


勝負あった・・・


ハルマゲドンの戦いは、もうすぐ、終わる・・・


公正なリスク・マネジメント機関、ローマクラブ・・・


この存在を無視したことが、被害の拡大に繋がっている・・・


---Wiki


ローマクラブ(Club of Rome)は、イタリアオリベッティ社の副社長で石油王としても知られるアウレリオ・ペッチェイ(Aurelio Peccei)博士が、資源人口軍備拡張経済環境破壊どの全地球的な問題対処するために設立した民間のシンクタンク世界各国の科学者経済人教育者各種分野の学識経験者など100人からなり、1968年4月に立ち上げのための会合をローマで開いたことからこの名称になった。1970年3月に正式発足。
定期的に研究報告を出しており、第一報告書『成長の限界』(1972年)では現在のままで人口増加や環境破壊が続けば、資源の枯渇や環境の悪化によって100年以内に人類の成長は限界に達すると警鐘を鳴らしており、破局を回避するためには地球が無限であるということを前提とした従来の経済のあり方を見直し、世界的な均衡を目指す必要があると論じている。その続編『限界を超えて-生きるための選択』(1992年)では、資源採取や環境汚染の行き過ぎによって21世紀前半に破局が訪れるという、更に悪化したシナリオが提示されている。その後も環境・情報・経済・教育などをテーマとした報告書が引き続き刊行されており、日本語版はダイヤモンド社から刊行されている。
設立者のアウレリオ・ペッチェイは油田視察中に原因不明のヘリコプター墜落事故で亡くなっており、イタリア国内ではマフィアによ暗殺説など様々な憶測がなされ映画にまでなった。

日本人の名誉会員 [編集]

関連図書 [編集]

  • 『成長の限界―ローマ・クラブ「人類の危機」レポート』ドネラ H.メドウズ ほか(著) ダイヤモンド社 ; ISBN 4478200017 ; (1972/05)
  • 『限界を超えて―生きるための選択』ドネラ・H・メドウズ ほか(著), ダイヤモンド社 ; ISBN 4478870276 ; (1992/12)
  • 『成長の限界 人類の選択』ドネラ・H・メドウズ ほか(著),ダイヤモンド社 ; ISBN 4478871051 ; ((2005/3)

外部リンク [編集]




---Wiki


ユダヤ人
Jews.jpg
アインシュタイン • マイモニデス • ゴルダ・メイア • エマ・ラザルス
総人口
1,300-1,400 万人[1]
居住地域
イスラエルの旗 イスラエル 5,309,000[1]
アメリカ合衆国の旗 アメリカ5,275,000[1]
フランスの旗 フランス492,000[1]
カナダの旗 カナダ373,000[1]
イギリスの旗 イギリス297,000[1]
ロシアの旗 ロシア228,000[1]
アルゼンチンの旗 アルゼンチン184,000[1]
ドイツの旗 ドイツ118,000[1]
ブラジルの旗 ブラジル96,000[1]
オーストラリアの旗 オーストラリア88,831[2]
ハンガリーの旗 ハンガリー80,000–100,000[3]
ウクライナの旗 ウクライナ80,000[1]
南アフリカ共和国の旗 南アフリカ72,000[1]
ベラルーシの旗 ベラルーシ65,000-70,000[4]
メキシコの旗 メキシコ40,000[1]
ベルギーの旗 ベルギー31,200[5]
オランダの旗 オランダ30,000[5]
イタリアの旗 イタリア28,600[5]
エチオピアの旗 エチオピア26,196[6]
イランの旗 イラン25,000[7]
チリの旗 チリ20,700[5]
ウルグアイの旗 ウルグアイ18,000[5]
スウェーデンの旗 スウェーデン18,000[8]
トルコの旗 トルコ17,800[5]
カザフスタンの旗 カザフスタン12,000-30,000[9]
スペインの旗 スペイン12,000[5]
オーストリアの旗 オーストリア9,000[5]
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン6,800[5]
デンマークの旗 デンマーク6,400[5]
言語
ユダヤ諸語
宗教
ユダヤ教
関連する民族



ユダヤ人ヘブライ語: יהודים, 英語: Jew, 漢語: 猶太)とは、ユダヤ教を信仰する者(宗教集団)、あるいはユダヤ人を親に持つ者(民族集団)という2つの捉え方がある。中世以前は前者の捉え方がなされていたが、19世紀の国民国家出現以降は差別する側からもされる側からも後者の捉え方が出現した。明治時代に作られた日本語である「ユダヤ人」という呼称が現在はほぼ一貫して使用されている。それ以前や戦中頃までは「セム人」と称されることが多かった。ユダヤ人は「中東イスラエルに住む、ユダヤ教を信仰する民族」として認識されている。日本では信仰としてユダヤ教を信じる者は「ユダヤ教徒」と呼称され、「イスラエル国家を形成する民族ユダヤ人」とは別として認識・呼称される事が多い。
シオニストはユダヤ教とユダヤ民族を切り離して捉えることが多いが、これはナチスの論法と同様の矛盾をはらんでいる。まず、イスラエルに起源を持ちヘブライ語を話していた血統的な民族集団が1000年以上の流浪と混血の中で保持されていると考えること自体無理があり(ナチス出現直前の差別感情著しいドイツで7割近いユダヤ人がキリスト教徒と結婚しており、このような状態がほんの2、300年続いただけで血統は消散してしまうのは自明である)、しかもトルコ源流のユダヤ教徒の流れとの区別も定かでない。いわゆる「ユダヤ鼻」のような肉体的共通性なども単なる偏見の産物でしかないという調査もある。「民族としてのユダヤ人」という考え方は、「ユダヤ人だからドイツ人(ロシア人、フランス人…)ではない」、あるいは「黒人(ネグロイド…)なのでユダヤ人ではない」といった差別につながりやすく、特にエチオピア系黒人ユダヤの増加が摩擦を生みがちな現代においては要注意である。
古代イスラエル人またはユダヤ人の別称としてヘブライ人とも称されるが、ユーフラテス川を超えてきた移民という意味である。ヘブライズムキリスト教ユダヤ教の思想の基幹を成し、ヨーロッパ思想の源流ともいえる。また現代、ヘブライ語を話す民族をさす場合、「ユダヤ人」よりヘブライ人と称するほうが好まれる。

「ユダヤ人とはユダヤ教を信仰する人々」という定義は、古代・中世にはあてはまるが、近世以降では、キリスト教に改宗したユダヤ人(例えばフェリックス・メンデルスゾーングスタフ・マーラー)も無神論者のユダヤ人(例えばジークムント・フロイト)も一面では「ユダヤ人」と呼ばれるのが現実であり、特に19世紀以降の西欧では、民族を指す言葉と考えた方が良い、という人もいる。ハスカーラー改革派などはドイツ人になろうとし、実際にそのようであった時代もある。
また、ヘブライ聖書の古い時代の「契約」には、異教徒・異民族との結婚を奨励しない思想もあった(実際の結婚生活がそうであったかどうかは別)。これは、共同体維持のためとも考えられる。しかし実際問題として、ナチス台頭直前のドイツにおいてユダヤ教徒の7割近くはキリスト教徒と結婚している。
一般的にナチスはユダヤ人を肌の色、容姿など人種的なものとして扱ってきたように思われているが、実際のナチスの法(ニュルンベルク法)による概念では人種ではなく宗教の属性による分別が行われている。
帰還法では「ユダヤ人の母から産まれた者、もしくはユダヤ教に改宗し他の宗教を一切信じない者」をユダヤ人として定義している。

M. Gottlieb画、シナゴーグで祈るユダヤ人(1878年

11世紀の翻訳書

民族性 [編集]

歴史の中で他教徒から非常に多くの迫害を受けているが、現代に至るまでユダヤ人は滅ぶことはなかった。迫害は、当時のキリスト教社会が信仰の自由を許さなかったこと、キリスト教の一部の神学者イエス・キリストを殺害したのがユダヤ人としたこと、ユダヤ人はキリスト教社会やイスラム教社会で疎まれていた金貸しや錬金術師が多く、トラブルが多かったことが原因ではないかと考えられている。18世紀頃から宗教的迫害が薄れていったことで、ユダヤ人は自由な信仰、活動が可能になり、今では多くの大企業の設立者や天才科学者にユダヤ人が存在する[10]
ユダヤ人はタルムードに従って行動すると思われているが、それはラビ的ユダヤ教徒の場合に限られる。ただし、一般的なユダヤ人の宗教はラビ的ユダヤ教である。ユダヤ教においては、他の世界宗教とは多くの違いが見られる。例えば一般的な世界宗教では性行為は罪とされているが、ユダヤ教は性行為も恋愛も適度にするなら問題なく、それを抑圧することがむしろ問題だと考えている。だから強姦などの性犯罪にも寛容的である。また、何よりも学問を重視し、紀元70年ローマ軍によりイスラエルが一度滅びたときもラビ・ヨハナンが10人が入れる学校を残すことを交渉し、ローマ皇帝ティトゥスがこれを許したため、ユダヤ人は絶滅を免れた。今では最も知的な民族集団の一つと考えられており、一例では米国の大学院生の27%はユダヤ人である[11]
東ヨーロッパに住み着いたユダヤ人はアシュケナージ(アシュケナジム)と呼ばれ、ドイツ語圏に住む彼らの多くはドイツ語を話し、ドイツ語圏外に住む彼らの多くはドイツ語方言であるイディッシュ語を話していた。
前近代のキリスト教圏においてユダヤ人(ユダヤ教徒)は政治家、農民など土地の保有と公的な職業に就くことを認められなかった。逆にキリスト教が禁じている金貸しを営むことが可能であったため、伝統的に金融業や商業に従事するものが多かった。また世界的に散らばり独自の情報ネットワークを持っていた。そのため現在でもユダヤ人には商人やメディア関係が多いとされる[要出典]アルトゥル・ショーペンハウアーは『フランクフルトでユダヤ人の足を踏んだらモスクワからサンフランシスコまで情報が行き渡る』と指摘していた。
スファラディ(セファルディム)系ユダヤ人は、オスマン・トルコ圏やスペインフランスオランダイギリスなどに多く、かつてはラディーノ語を話していた。
アシュケナージや、スファラディといったヨーロッパに移り住んだユダヤ人に対して、中東地域、アジア地域に移り住んだユダヤ人はミズラヒと呼ばれていた。
ほかにもイランインド(主に3集団)・中央アジアグルジアイエメンモロッコなどを含んだ大きな観念であるミズラヒムカライ派・カライム人中国ジンバブエなどのユダヤ人のほか、インド(ミゾ)・ウガンダアバユダヤ)・アメリカ黒人ブラック・ジュー)などの新たな改宗者、イスラエル建国はメシア到来まで待つべきだとするサトマール派ネトゥレイ・カルタキリスト教関連のメシアニック・ジュダイズムネオ・ジュダイズムなど多くの分派もある。エチオピアベルベルのユダヤ人は孤立して発展し、タルムードを持たない。
現在世界に散らばるユダヤ人は、全てがユダヤ教徒というわけではないが、ユダヤ人にとってユダヤ教は切り離せない宗教である。写真はユダヤ人の言語(ヘブライ語)から各国語に翻訳された聖書の一部である。また彼らは伝統的な特徴のある民族衣装も持つとも言われる[要出典](→ユダヤ教徒の衣装)。

世界のユダヤ民や宗教的集団 [編集]

世界に散らばるユダヤ教徒のコミュニティーや宗教的集団には以下がある。
(エジプト、メソポタミア、モロッコ、トルコ、ペルシアなどのコミュニティーに関しては英語版Islam and Judaismも参照)

歴史 [編集]

古代 [編集]

詳細は「古代イスラエル」を参照
旧約聖書によると、民族の始祖アブラハムが、メソポタミアウルから部族を引き連れて「カナンの地」(現在のイスラエルパレスチナ付近)に移住したとされる。彼らは「移住民」という意味の「ヘブライ人」と呼ばれた。この付近で遊牧生活を続けたヘブライ人は、紀元前17世紀頃カナンの地から古代エジプトに集団移住するが、やがてこの地で奴隷とされる。その後、エジプトのヘブライ人指導者モーセが中心となり、約60万人の人々がエジプトからシナイ半島に脱出を果たす(「出エジプト」)。彼らは神から与えられた「約束の地」と信じられたカナンの地(パレスチナ)に辿り着き、この地の先住民であったカナン人ペリシテ人(いずれもフェニキア系民族と考えられる)を、長年にわたる拮抗の末に駆逐または同化させて、カナンの地に定着した。この頃から「イスラエル人」を自称するようになり、ヘブライ語もこの頃にカナン人の言葉を取り入れて成立したと考えられる。
紀元前10世紀頃、古代イスラエル人はヤハウェ信仰(ユダヤ教の原型)を国教とする古代イスラエル王国をカナン(パレスチナ)に建国したが、ソロモン王の死後、紀元前930年頃、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した(「ユダヤ」とは元来、ユダ王国のあったパレスチナ南部を指す)。北のイスラエル王国は紀元前721年にアッシリアによって滅ぼされ(失われた十支族)、さらに南のユダ王国は紀元前586年に新バビロニアの侵攻により滅亡、多くの人民が奴隷としてバビロンに囚われた(バビロン捕囚)。彼らはユダ王国の遺民という意味で「ユダヤ人」と呼ばれるようになった。アケメネス朝ペルシアによる新バビロニア王国滅亡に伴い、捕囚のユダヤ人は解放されてエルサレムに帰還し、ペルシア帝国の支配下で自治国として統一イスラエルが復興された。ユダヤ教の教義も、この頃にほぼ確立された。アケメネス朝の滅亡後、古代マケドニア王国、セレウコス朝シリアなどに宗主国が引き継がれ、最終的にはローマ帝国領のユダヤ属州とされる。この頃にはヘブライ語は既に古典語となり、日常語としては系統の近いアラム語にほぼ取って代わり、のちに国際語としてギリシャ語も浸透した。また、ヘレニズム諸国の各地に商人などとして移住したユダヤ人移民(ディアスポラ)の活動も、この頃に始まる。ローマ支配下の紀元20年代頃、ユダヤ属州北部ナザレの民から出たイエス・キリストナザレのイエス)が活動したと伝える。
紀元66年からローマ帝国に対し反乱を起こすが(ユダヤ戦争)、鎮圧されてユダヤ人による自治は完全に廃止され、厳しい民族的弾圧を受けた。ユダヤ人の自称である「イスラエル」という名や、ユダヤ属州という地名も廃され、かつて古代イスラエル人の敵であったペリシテ人に由来する「パレスチナ」という地名があえて復活された。以来ユダヤ人は2000年近く統一した民族集団を持たず、多くの人民がヨーロッパを中心に世界各国へ移住して離散した。以降ユダヤ教徒として宗教的結束を保ちつつ、各地への定着が進む。その後もパレスチナの地に残ったユダヤ人の子孫は、多くは民族としての独自性を失い、のちにはアラブ人の支配下でイスラム教徒として同化し、いわゆる現在の「パレスチナ人」になったと考えられる。
最盛期の人口は2億5000万人である[要出典]

中世 [編集]

ヨーロッパ各地に散った後もユダヤ人はユダヤ教の信仰を堅持した。「キリスト殺し」の罪を背負うユダヤ人は、ヨーロッパキリスト教社会では常に迫害された。彼らは土地所有を禁じられて農業の道を断たれ、ギルドから締め出されて職工の道を閉ざされ、店舗を構える商売や国際商取引の大幅制限などで商業の道を制限されていた。しばしば追放処分を受け、住居も安定しないユダヤ人がつける仕事は事実上金融以外には存在しなかった(アガペーを説くキリスト教会はキリスト教徒に対して金を貸して利子を取る仕事は禁じていた)。11世紀末頃にはすでにユダヤ人は「高利貸し」の代名詞になっていた。被差別民でありながら裕福になったユダヤ人はやっかまれ、ユダヤ人迫害はますます強まっていった[12]ウィリアム・シェイクスピア戯曲ヴェニスの商人』に登場する金貸し、シャイロックもユダヤ人という設定である)。
13世紀になってキリスト教徒とユダヤ教徒との交際が禁止されるなど、ユダヤ人は迫害を受けるようになり、社会不安が高まるごとにユダヤ人は迫害の対象とされていき、公職追放なども行われた。その後、特に14世紀のペスト大流行の頃からユダヤ人に対する弾圧として、ヨーロッパ中で隔離政策が取られるようになっていき、教会から離れた場所に設けられたゲットーと呼ばれる居住区に強制隔離されることが一般化した。
7世紀 - 10世紀に、カスピ海北部にハザール王国が出現し、ユダヤ教を国教としたが、その後相次いだロシア、ルースィ、ブルガール、オグズとの戦争により王国は滅んでいる。残党のハザール人も、結局はイスラム教に改宗したが、わずかに未だにユダヤ教カライ派の信仰を保っているハザール人の集落も東ヨーロッパには現存している。

近代 [編集]

19世紀後半に入ると古代に祖先が暮らしていたイスラエルの地に帰還してユダヤ人国家を作ろうとする運動(シオニズム運動)が起きた。この運動は第二次世界大戦時のホロコーストをきっかけに盛んになり、後のイスラエル国家建設に繋がっていくことになる。
「ユダヤ人」は世界に離散後もそのほとんどがユダヤ教徒であり(キリスト教イスラムに改宗した途端、現地の「民族」に「同化」してしまう)、ユダヤ教の宗教的聖地のひとつであるイスラエルの地に帰還することもその理由の一つである。
イスラエル建国以前はイスラム教徒とユダヤ教徒は共存してはいたが、しばしば大規模な反ユダヤ暴動が起きた。主な暴動を挙げると、1920年7月の暴動(ユダヤ人216人死傷)、1921年1925年1926年の暴動、1929年8月23日(ユダヤ人133人死亡、339人負傷、アラブ人439人死傷)の暴動、1936年から1939年のエルサレムでの暴動があった。なお1936年の時点でエルサレムの人口は12万5000人、うちユダヤ人が7万5000人を数え多数派を占めていた[13]。現在のパレスチナ人およびアラブ人と、ユダヤ人入植者との対立は、イスラエル建国後のイスラエル領土の拡張政策(大イスラエル構想[2])によって引き起こされていると一般的に考えられる。

年表 [編集]


反ユダヤ主義 [編集]

ユダヤ人の歴史の要素の一面として、時には迫害・襲撃・追放をも含んだ反ユダヤ主義ということが言われるが、これはあくまで極一面であって、ディアスポラの地で2000年、地域によっては1000年以上の隣人として共存・共発展してきた面もあり、たとえばキリスト教では親ユダヤの宗派も多く存在する。宗教弾圧を受けた面もあれば、セム的一神教アブラハムの宗教の本流としての「啓典の民 People of the Book, Ahl al-Kitab」、「聖なる民 ‘am Qodešマルティン・ブーバーは「聖にする民」と訳している。cf.レビ記11:45)」としての面もある。イスラム世界においては、貢納を行えば信仰は許されたが、メルラーと呼ばれるゲットーも存在していた。これを編み出したのはハルーン・アル・ラシードであった。また反ユダヤ暴動もしばしば起きていた[14]
(詳しくは反ユダヤ主義を参照)

ホロコースト後のシオニズムの問題 [編集]

離散していたユダヤ人はイスラエルを建国する。パレスチナ分割案など連合国家案などが出されたが、アラブ人は譲ることなく第一次中東戦争が始まった。反イスラエル・ブロックを形成したパレスチナアラブ諸国は、「イスラエルは一方的に独立宣言をし、国連の分割決議で定められた領土を超えて占領し、アラブ人がイスラエル占領地から追い出され、多くのパレスチナ難民が発生している」と世界中に訴えている。しかし第一次中東戦争で建国の翌日にいきなり先制攻撃を行ったのはアラブ側であり、またアラブ諸国はパレスチナ難民の受け入れを拒み続けており、一方的にイスラエルのせいにしている。
また、アシュケナジムによるセファルディムに対する差別意識はすさまじく、戦後、セファルディムの子供たち10万人に対し誘拐および全身に強力なX線を照射されるという事件が発生し、多数の子供たちが虐殺されている。これはユダヤ人によるホロコーストだとも呼ばれている。

博物館 [編集]

文化遺産 [編集]

ユダヤ人関連の文化遺産として以下がある。



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