動物の生態を見て、参考にするのは問題ない・・・
だが、あなたは「人」であることをお忘れなく?
イルカの本より
約六千万年前、二本の蹄を持つ、牛、カバなどの祖先が、海に戻り始めた。新しい生き物は水中に住み始めた。その姿は、アライグマやカワウソに似ていた。初めは、浅瀬でエサを漁っていて、泳ぎも上手ではなかった。その後、水中に深く潜るようになり、水中に住むようになった。そのため、その鼻孔は、頭頂へ移っていった。つまり、イルカの噴気孔がある場所に、鼻孔が移っていって、水面で呼吸しやすくなった。耳も、水中で音を聞きやすいように変化して、目も、水中で見やすいように変化した。後ろ足は、じょじょに消えていって、魚雷型の強靭な尾ビレに変化して、前足は、胸ビレに変化した。皮膚は、体毛が消えて、水にさらされ続けても大丈夫なように変化した。形態や生理機能が、劇的に変化して、海で生きるための難題に適応していった。
この変化は、少しずつ起きた。意図した計画も、目標もなかったのだが、数え切れない世代を経ていくうちに、海洋環境に順応していった。まず、古代のクジラに、少しの変異が現れて、その子孫に受け継がれた。進化生物学の観点からは、個体は、生活に順応すればするほど、子孫を多く残せる。次世代には、さらに多くの個体が遺伝子と特性を子孫に伝える。ダーウィンに始まる生物学者は、このような段階的な変化の過程を、
「自然淘汰」
と呼んだ。
だが、単純に見える淘汰説は、大きな影響をもたらした。繁殖が成功する割合と、進化が「伝達する割合」が比例することが、とくに重要である。繁殖が成功すれば(他の種よりも多くという意味で)、その種は、将来の代表的な種になる。繁殖できなければ、種の将来に、何も貢献できない。
私は、淘汰説から、繁殖という黙示を受けた。動物の行動と、生物学的な特性のカギは、繁殖にある。当時、私は、自身の繁殖に興味がなかった。大学の身近な人たちも、繁殖に関しては、ほとんど話さなかった。また、将来を考えて、繁殖して、遺伝的に優位になろうとも思っていなかった。
生き物は、進化のメカニズムなど知る必要はない。クモは、巣を作る理由を知らないが、とにかく、巣を作り、しかも、上手に作る。そのクモの祖先が、巣を上手に作ったので、そのクモは、他のクモより繁栄した。生き物は、繁殖が大事だと無意識に感じて、繁殖したいと望む。だが、実際には、繁殖と無関係に見える細かいことに捉われて、行動を決めている。最近の研究によれば、個々の生き物は、無関係に見える深い意識に大きく左右されながら、種の将来の道筋を決めるための行動を取ることが分かってきた。
私は、進化論を考えるとき、自身が無駄な行動を取らないように、繁殖の(遺伝子の)伝達を考えて、損得勘定をした。進化の単純なメカニズムから言えば、個体は、自身が損をしないように繁殖しようとする。
すべての食物を他へ与える寛大な動物は、餓死するか子孫を残せない。そのため、寛大な行動を取らせる遺伝子は絶滅するしかない。他方、できるかぎり食物に群がり自身を肥育して、子孫にも充分な食物を与えて、まさかのときに備えて食物を蓄える動物は、寛大な競争相手に比べて、子孫を多く残せる。食物に群がらせる遺伝子は生き延びる。だからこそ、寛大な行動にはいささか驚くし、出くわすこともめったない。
進化の論理は人類のモラル・スタンダードにとって、必ずしも「喜ぶべきこと」ではない。遺伝子と、遺伝子がさらされる環境の下で、生き物は複雑に絡み合っている。生き物は必ずしも合理的には行動しないし、整然とも行動しない。人類のすばらしい点は、歴史や遺伝子に束縛されないことだ。戦争、窃盗、幼児殺害などの醜い利己的な行動も取るが、同時に友情や、寛大さや、愛や、知能などに基づく偉大な利他的な行動も取る。つまり、繁殖と矛盾した行動を取る。自然淘汰は根源的で無慈悲であるが、同時に卓越してエレガントでもある。
私は、イルカとイルカの知能に関して斬新な疑問がわき、新たな進化の要因を発見した。人以外の動物では、イルカがもっとも大きな脳を持つ(体の大きさに対する脳の大きさの比)。脳が大きければ、きわだった特徴が現われる。脳は高度な組織からなるので、カロリーをたくさん消費する。しかし、大きく高度な脳の利点は大きい。脳は単に
「燃費の悪い大型車」
ではない。
脳の利点が何であるか、どのような環境下であれば、利点がコストを超えるかが重要な点だ。イルカの脳と人の脳との差は、生理学的に重要だ。大脳皮質によって抽象的な思考や推論ができる。大脳皮質は
「脳の高位の処理」
と関連があり、意識の礎とも考えられる。
大脳皮質は人の脳の中で、もっとも新しい組織であり、革新的に進化した。約百万年前、人の祖先の頭蓋骨は急に大きくなったが、頭蓋骨と大脳皮質が同時に大きくなったのは明らかだ。人類が知的に行動して、精巧な道具、芸術、文明、文化などを生むにしたがって、大脳皮質も大きくなった。
イルカの大脳皮質は大きいが、人のものと比べれば薄い。大脳皮質を形作るニューロンは、イルカと人とでは様態が異なるので、イルカがどのように考えて感じるかをニューロンから断定するのは難しい。
人と同じように推論する力を持っているか?
死に関して知覚できるか?
正邪と公正と罪に関して考えられるか?
海のことを人に教えてくれるか?
イルカ同士でどのように感じあっているか?
人に関して何か考えているか?
イルカの脳は大きいが、人の脳とはかなり異なるので、イルカの行動は簡単には理解できない。よく耳にするイルカの話は、「イルカはどれくらい賢いのか」だ。でも、この質問は、人の脳で起きていることを解明するのと同じく難しい。人は自身のことを賢いと考えているので、「イルカも人と変らないくらい賢いのか」という疑問を持つ。その議論を何故やめないのか、何故イルカと人を比較するのか。人は自分は愚かだと言うし、賢さの基準も明確ではない。
生物学者や心理学者は、知能とは何かを考えて苦しむ。生き物を観察して、実験して比較すると、必ず、
「どれほど賢いのか」
と尋ねられて、
「どのくらい賢いのだろうか」
という疑問につねに悩まされる。
0 件のコメント:
コメントを投稿