10/03/2010

女の時代へ・・・

男は戦争が好き、だから、大赤字

女は生産的、だから、子供を産んで育てる


ガイアが狭くなった、大航海時代は終わった、植民地時代も終わった

じゃ、どうするの?


観光の時代が始まった、交流の時代が始まった - ニコラ・テスラ


未知との遭遇は山ほどある、宇宙誕生以来、あなたはあなたしかいない ー E.T.

下の火花は交流電流、愛の火花です、笑い


テスラ、僕より、ちょうど、100年前に生まれている・・・

オー・マイ・ゴッド!







Tell Me Why
Lyrics someone

Tell me why the stars do shine,
Tell me why the ivy twines,
Tell me why the sky’s so blue.
Then I will tell you just why I love you.

Because something made the stars do shine,
Because something made the ivy twine,
Because something made the sky so blue.
Because something made you, that’s why I love you.

Let’s sing !


2006/10/20
摩訶不思議 ?
詩 あ洋介!&みなみ&燁音

お星さんは、なぜ輝くの ?
つたは、なぜ絡まるの ?
お空は、なぜこんなに青いの ?
教えてくれたら、あんたを好きなわけを言うわ

摩訶不思議が、お星さんを輝かせた
摩訶不思議が、つたを絡ませた
摩訶不思議が、お空をこんなに青くした
摩訶不思議が、あんたを作った。それが好きなわけさ

歌いましょう








青柳洋介 2006/11/02


Life

Contingency is the Father of Discovery.
Necessity is the Mother of Invention.
Life may be on the Border between them.
Life may be on the Edge of Chaos.


生命

偶然は発見の父である
必然は発明の母である
生命はその狭間にあるのだろう
カオスの縁に佇むのだろう




---Wiki



ニコラ・テスラセルビア語ラテン文字表記・英語Nikola Tesla/セルビア語キリル文字表記:Никола Тесла1856年7月10日1943年1月7日)は、19世紀中期から20世紀中期の電気技師、発明家交流電流、ラジオラジコン(無線トランスミッター)、蛍光灯、空中放電実験で有名なテスラコイルなどの多数の発明、また無線送電システム(世界システム)を提唱したことでも知られる。磁束密度単位テスラ」にその名を残す。
8か国語に堪能で、詩作、音楽哲学にも精通していた。

1856年7月9日深夜、ハンガリー王国(現在のクロアチア西部)リカ=コルバヴァ県ゴスピチ (Gospić) 近郊のスミリャン村 (Smiljan) で生まれる。父母はセルビア人で、父はセルビア正教会司祭。姉が2人、兄デン(12歳で事故死)、妹が1人。兄を喪った5歳の頃から幻覚を頻繁に見るようになったとされる。また、「テスラ以上の神童」と呼ばれた兄を上回るために勉学に励み、特に数学において突出した才能を発揮したとされる。
1880年オーストリア帝国グラーツのポリテクニック・スクール在学中に交流電磁誘導の原理を発見する。1881年に同校を中退し、ハンガリー王国ブダペストの国営電信局に就職。23歳でプラハ大学を卒業したらしい(その後、エジソン社のフランス法人に勤めたともされている)。
1884年にアメリカに渡り、エジソンの会社・エジソン電灯に採用される。当時、直流電流による電力事業を展開していた社内にあって、テスラは交流電流による電力事業を提案。これによりエジソンと対立し、1年ほどで職を失うこととなる。
1887年4月、独立したテスラは、Tesla Electric Light Company(テスラ電灯社)を設立し、独自に交流電流による電力事業を推進。同年10月には交流電源の特許を受諾されている。
1888年5月16日、アメリカ電子工学学会でデモンストレーションを行い、それに感銘を受けたジョージ・ウェスティングハウスから100万ドルの研究費と、特許の使用料を提供されることとなった(契約には、特許の将来買取権が含まれていた)。
テスラの発明した交流発電機は、ウェスティングハウス・エレクトリック社によりナイアガラの滝発電所に取り付けられた。また同年には循環磁界を発見。超高周波発生器を開発する。だがウェスティングハウス社技術陣の中でも孤立し、1年で離れることになる。
1891年、100万ボルトまで出力できる高圧変圧器を発明。
1898年点火プラグで米国特許取得。
1901年J・P・モルガンの援助により、ロングアイランド、ショアハムに高さ57mの無線送信塔「ウォーデンクリフ・タワー」 (Wardenclyffe Tower) の建設を開始。1905年に完成するも、その後モルガンとの関係が悪化して資金繰りに詰まり、研究は中断。アメリカ合衆国が第一次世界大戦に参戦すると、1917年にタワーは標的にされるとの理由で撤去された。
1915年、エジソンとともにノーベル物理学賞受賞候補となるが、共に受賞せず。双方が同時受賞を嫌ったためとも言われている。1930年代にも受賞候補に選ばれるが、受賞はしなかった。
1917年、米国電気工学協会エジソン勲章の授与対象になるが、これを断る(後述)。
1943年1月7日ニューヨーク市マンハッタンのニューヨーカー・ホテルで死去。86歳。その死後、数トンに及ぶとされる彼の発明品・設計図は「アメリカ軍とFBIが没収した」「ユーゴスラビアを通じてソ連の手にも渡った」と噂され、半ば伝説のように流布した。実際には一度FBIに押収されて複製された後、母国に返還された。原版はベオグラードのニコラ・テスラ博物館に保管されている。

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