十月に入ると、南半球は夏が近づいて急に気温が上がり、太陽が燃え盛り、水面のまぶしい光が辛くなる。リチャードも私も、太陽と潮で赤く日焼けして干からびてしまった。来る日も来る日も風が吹いて、イルカもいよいよ来ない。イルカはこの時期にはこのような行動パターンを取る。小さなテントは浜辺でオーブン状態になって、私たちは暗くなるまで何もできない。私がある朝起きると、サソリがテントの天井に留まっていて、私の鼻先でしっぽをそり上げている。私がサンダルをつかんでサソリをたたきつぶすと、太陽でボロボロになったナイロンのテントに穴が開いた。アメリカへ戻る潮時だった。
モンキー・マイアの初訪問は、私たちの期待をはるかに超えていた。八月の初めから十月の終わりまでの三か月で、リチャードと私はイルカの行動に関する興味深い発見をした。野生のイルカとの交流には大満足で、イルカに触れて遊んで、個体識別を身につけた。嵐のような日々だったが、今後の研究のイメージができて、アイデアもたくさんわいた。イルカの行動に関する系統的なデータを浅瀬で収集できるし、ボートさえあれば沖で発見の機会もある。私たちは表面をかじったにすぎなかったが、可能性が無限に広がって、アイデアもあふれて、アメリカへ戻ることにした。
代表的なイルカ
ホーリフィン
豆つぶ大の穴が背ビレの真ん中にあるので(銃弾であけられた)、ホーリフィンと名づけた。ホーリフィンはモンキー・マイアの女家長で、一九八二年当時、乳離れしていない二歳のジョイとニッキーという七歳の娘を連れていたが、ホーリフィンはすでに年かさだった。歯はすり切れていて、息は魚臭くて、顔は少し間抜けな感じで老けていた。一九七五年にニッキーを産んだが、イルカは十二歳から十五歳くらいで初産するので、ホーリフィンは十七歳から二十歳だったはずだった。ニッキーが初産でなければ、もっと年上だったのかもしれない。
Aoyagi YoSuKe
Book Creator
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