2/24/2011

柳美里

誕生日は同じ、一回り下のサル年

ご勝手の腐れ縁、笑い

問題の出会いは? 一瞬

2008年 - 3月4日、「スタジオパークからこんにちは」に出演する。


これで、柳のブログへアクセス、大量のメールを送った、笑い


破れかぶれブログ


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柳 美里
(ゆう みり)
誕生1968年6月22日(42歳)
日本の旗 日本神奈川県横浜市
職業小説家劇作家
言語日本語
国籍韓国の旗 韓国
最終学歴横浜共立学園高等学校中退
活動期間1994年 -
ジャンル小説戯曲
代表作『フルハウス』(1996年)
『家族シネマ』(1997年)
『ゴールドラッシュ』(1998年)
主な受賞歴野間文芸新人賞(1996年)
泉鏡花文学賞(1996年)
芥川龍之介賞(1997年)
木山捷平文学賞(1999年)
処女作石に泳ぐ魚』(1994年)



柳 美里(ゆう みり、유미리1968年6月22日 - )は、神奈川県横浜市中区出身[1]在日韓国人劇作家小説家である。国籍韓国横浜共立学園高等学校中退、演劇活動を経て1994年に小説家デビュー。1997年芥川賞受賞。作品は私小説が中心で、無頼派の系譜を継ぐ作家とも評される。
現在は神奈川県鎌倉市在住。 家族は長男と内縁の夫。父親は元・釘師。母親は不動産会社を経営。

祖父は韓国密陽市で靴屋を営み、健脚で幻の東京五輪のマラソン選手候補であった。 1968年6月22日6:18 茨城県土浦市にて生まれる[2]。父は、祖父が経営するパチンコ店「旭御殿」に釘師として勤めていたが、祖父が韓国に帰国したため失職し、横浜市南区黄金町のパチンコ店「三益球殿」に再就職する。1歳をむかえる前に横浜市に転居、以後横浜市で育つ。
横浜共立学園中学校卒業、1983年に横浜共立学園高等学校に入学するもいじめにあい、1年で退学し、翌年東由多加率いるミュージカル劇団東京キッドブラザースに最年少で入団。1986年、同劇団第9期研究生の卒業公演「ウィンターナイトドリーム」に出演する。8月、東京キッドブラザースのセカンドカンパニー「PAN and CIRCUS」旗揚げ公演「BILLY ビリィ BOY!」に役者として参加。地方公演(名古屋・大阪・京都・高松)にも出演する。[3]
演出助手を経て、1987年に演劇ユニット「青春五月党」を旗揚げ。 1988年、『水の中の友へ』で劇作家としてデビューする。1993年、『魚の祭』で第37回岸田國士戯曲賞を受賞(宮沢章夫と同時受賞)。 1994年、処女小説「石に泳ぐ魚」を文芸誌『新潮』に発表し小説家としての活動を開始。『石に泳ぐ魚』は、実在の顔に腫瘍を持つ韓国人女性をモデルにしたことで、モデルとされている本人によりプライバシーを侵害されたとして訴訟問題に発展し、2002年に最高裁で出版差し止め判決が出された。一部の図書館ではこの判決を受けて、同書及び同じ文章を掲載した文芸誌『新潮』の該当部分を閲覧禁止にしている(詳細は石に泳ぐ魚を参照)。1996年、『フルハウス』で第18回野間文芸新人賞、第24回泉鏡花文学賞を受賞。
1997年、『家族シネマ』で第116回芥川龍之介賞を受賞。在日韓国人による芥川賞受賞は、日本のみならず海外メディアをも賑わせた。特に韓国での盛り上がりは凄まじく、柳が渡韓した際、空港には数百人の韓国人が出迎えた。この年2月に『家族シネマ』と『水辺のゆりかご』の出版を記念し、東京と横浜の4書店でサイン会が行われる予定だったが、「独立義勇軍」「新右翼」を名乗る男性から「サイン会を中止しろ。もし中止しなければ客に危害を加える」との脅迫電話が書店にかかり、二度目の電話で「爆弾を仕掛ける」とエスカレートしたため、出版社、書店、所轄の警察署が協議して急遽中止の決定がなされる。その後、記者会見を開き、版元である講談社と角川書店の話し合いの結果、次善の策として中止から4ヵ月後の6月11日に日本出版クラブ会館にて厳戒態勢の下、サイン会を開く。[4]これは日韓両国の新聞テレビで扱われたほか、『ル・モンド』『ニューヨーク・タイムズ』『BBCワールド』などでも表現の自由が侵害されていると報じられている。またこの問題は新しい歴史教科書をつくる会小林よしのり西尾幹二藤岡信勝らと論争に発展した。


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