6/02/2011

日本人は見かけを気にしすぎ

ルワンダの大統領はメガネをかけていた

日本のテレビを見ていて、メガネをかけている人はほとんど登場しない

これも、昔の劣等感

日本人の特徴=メガネ、カメラ、ちび


日本人の近眼は多いはず

今では全人口の半分が、眼鏡やコンタクトレンズを使って視力矯正している世の中になってしまいましたが、昔はココまで近視の人の人口は多くありませんでした。
昔は、「眼鏡をかけている小学生は珍しい。」という印象がありましたが、今では眼鏡オタの小学生は全然珍しくはなくなりました。




フィリピン・アキノ大統領


2011年4月13日水曜日


アキノ大統領@AH フィリピン




ウイングは福岡へ向かった・・・


1987年8月28日にグレゴリオ・ホナサンによって起こされたクーデター未遂事件では、アキノは襲撃された大統領府マラカニアン宮殿から道2本離れたところにいた。彼の4人の警護官のうち3人が犠牲となり、最後の一人は彼を守りながら負傷した。アキノ自身も5発被弾し、そのうち1発は今なお彼の首に留まったままである[1]


@貧困対策にバースコントロールは必須です


射撃ビリヤードの熱狂的なファン[13]。またオーディオマニアでもあり、メロウな音楽、ボサノバ、オリジナル・フィリピン・ミュージックを好む。また、フランシスコ・タタド前上院議員の姪でバレンズエラ市議員のシャラーニ・ソレダードは恋人[14][15]。結婚はしていない。1日2箱を吸うヘビースモーカーで、大統領選の期間中、「当選したらタバコをやめる」と宣言していた。しかし、「(大統領就任で)重圧が増える」と言い訳して、禁煙を断念した[16]



ベニグノ・アキノ3世の第15代フィリピン共和国大統領就任式は2010年6月30日に首都マニラのリサール公園内で執り行われた。彼は就任演説で、国民を貧困から脱却させること、教育施設やインフラの整備、医療サービスなどを最優先に取り組むと述べるとともに、民主主義のために命を捧げた両親の遺産を引き継ぐことを強調した。大統領の任期は6年(2016年6月29日まで)。
カトリック教徒であるが、その教えに反する避妊について肯定的な見方を取っている。2010年9月30日、フィリピン司教協議会(the Catholic Bishops' Conference of the Philippines)会長は、彼のフィリピン人夫婦に人工的な産児制限の為の避妊具や避妊薬を支給するというリプロダクティブ・ヘルス法案に対する支持により、カトリック教会からの破門に直面するだろうと発言した [11]。しかし、破門の可能性にもかかわらず、アキノは避妊薬や避妊具の使用についての立場を変えないと語った[12]




---Wiki


ポール・カガメ
Paul Kagame
Kagame1.jpg

任期:2000年4月24日 –

出生:1957年10月23日(53歳)
ギタラマ県(現南部州
ルハンゴ郡
政党:ルワンダ愛国戦線 (RPF)
配偶者:ジャネット・ニラモンギ



ポール・カガメ (Paul Kagame1957年10月23日 - ) は、ルワンダ政治家軍人大統領ルワンダ愛国戦線の最高指導者。ベルギー領ルアンダ=ウルンディのギタラマ県ルハンゴ出身[1]ツチ系。
少数派のツチが権力を掌握していたルワンダでツチとベルギー当局との関係悪化に伴い1960年に多数派のフツ反乱を起こし、カガメは家族と共にウガンダ西部トロのカフンゲ難民キャンプで過ごし、ナタレ学園で学んだ[2]1979年ヨウェリ・ムセベニ率いる国民抵抗運動/軍 (NRM/A) に参加しウガンダのオボテ独裁政権の打倒を目差してゲリラ闘争を行う。1986年にオボテに代わったティトー・オケロを逐ってムセベニ政権が誕生すると、カガメは国民抵抗軍(勝利により事実上のウガンダ軍となる)の情報部長官に就任し、公的にも一時ムセベニ大統領の側近となった。
1990年10月、ウガンダに拠点を置く反政府ゲリラ組織ルワンダ愛国戦線 (RPF) がルワンダを越境攻撃し北部を制圧。その頃カガメは米国レブンワース基地アメリカ陸軍指揮幕僚大学で軍事訓練を受け、後にRPF最高司令官となる。当時のジュベナール・ハビャリマナ政権をフランスベルギーなどが支援し、戦闘は膠着状態に。長期に渡る和平交渉を経て、1993年に和平が成立。しかし1994年にハビャリマナ大統領と隣国ブルンジンタリャミラ大統領が搭乗する航空機が撃墜され死亡すると、政府軍及びフツ強硬派民兵インテラハムウェによるツチなどへのジェノサイドが発生、推計で約80万人が死亡した。するとカガメ率いるRPFはツチ保護を名目に全土を制圧し、フツのパステール・ビジムングを大統領とする新政権を発足。カガメは副大統領兼国防相に就任し、事実上政権を掌握し、軍事的にも同国に強大な影響力を保った。
1998年2月、カガメは正式にRPFの代表となり、2000年にビジムング大統領が辞任したことを受け、同年4月22日に暫定政権大統領に就任。2003年8月25日1994年以来の大統領選で約95%の得票率で当選し、同年9月12日には正式な大統領となった。

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