宮田さんの論に賛成の部分もあるが、反対の部分もある。
アメリカ型経営の中で、きちんとした契約を行い、基本は公開、公正な手法は見習うべきである。日本型商習慣は、どうしても、密室談合に繋がりやすい。
アメリカ型経営の欠点とは?
1.株主利益最優先(マネー指向)
2.スピード優先(タイム指向)
日本型経営の欠点とは?
1.日本独特の商習慣
2.密室談合型
3.学閥・地縁・血縁に基づく閉鎖的体質
これを
1.オープンな契約ベース
2.価値優先(バーリュー&バーチュー指向)
3.人的リソースについては、原則として、学閥・地縁・血縁などをベースにしない
に変えるべき・・・
そして、排出権取引だが、これも、金融商品と同じ。何らかの規制を設けるべき。
エコロジーとエコノミーはワンセット
ただし、21世紀型では、この黄金の不等式をベースにして、価値判断する・・・
判定基準:
新時代のマネーの大原則 黄金の不等式
信用、エコロジー、クオリティー > 数字、エコノミー、クオンティティー
最大の重要な点
等号はつきません。神の領域、無理数の領域です・・・
宮田さんの論に対して賛成する点:
アドホック(その場主義)なビジネスが地球全体の最適化に貢献することはあり得ないだろう。
原さんの主張する「公益資本主義」は、私の「ビジネスを社会システムと考える」という考え方との共通点が多くてうれしかった。
価値の循環関係(バリューチェーン)は、企業と顧客が一緒に1つの社会システムを構築していることが基本と考えるのがいいのだろう。
企業と顧客が協力し合って1つの社会システムを作る
次の「新しい経営学」を日本から創造することを始めなくてはならない。
独自の文化や、独自の人生観、価値観、文明観による新しい経営学を構築することが求められている。その時に一番大切なのは社会全体を最適にすることを理念とした経営であり、
社会全体を最適にすることを理念とする経営を
反論する点:
あまりにも日本の価値観にこだわりすぎると、グローバルな世界で、日本が孤立化しかねない。
バーリューやバーチューは、国や文化によって、かなり異なる。その中で、他の国や文化と、価値観をシェアできる仕組みが必要だと思われる。
多様な世界の価値観(ローカル)と、共通する価値観(グローバル)のバランスが重要である。
その鍵は、日本的な密室談合の閉鎖社会とは逆である。互いにオープンになってこそ、相手との違いや、相手の良さも理解できるし、自身の良さもアピールできる。
オープン(開放)、フェア(公正)がキーだと考えられえる。さらに、ディバーシティ(多様性)がキーである。
Creator Aoyagi YoSuKe
注目点)
宮田さんの理念:
コストだけでなく、価値もリスクも価値の循環関係も数字で説明できるようにするのだ。
これは重要なポイントです・・・ だが、黄金の不等式をお忘れなく。数字は後からつけるもの・・・
まずは、理念や信用を優先せて、それを納得の上に、数字を証拠・理由・手段として用いる。
判定基準:
新時代のマネーの大原則 黄金の不等式
信用、エコロジー、クオリティー > 数字、エコノミー、クオンティティー
最大の重要な点
等号はつきません。神の領域、無理数の領域です・・・
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(出典)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20081217/180513/
アメリカ経営学からの決別
「新しい経営学」を日本の経営者が創造せよ
2008年12月19日 金曜日 宮田 秀明
CO2排出量取引 経営者 視点 グローバル 公益資本主義 社会システム 顧客満足度 株主資本主義 原丈人
この1年は、いろいろな素晴らしい人と巡り会えた年だった。毎年のことなのだが、今年は特にそうだ。
もちろん大学や学会で巡り会ったのではない。年々、民間社会で活躍されている方と出会う機会が多くなり、そうした場で出会っている。初対面なのに気が合ったり、すぐに尊敬し合うことができることが分かったり、一生友人になれるような気持ちを持つことができることもある。
一期一会とはよく言ったものだ。
こんなふうに出会った方の1人が原丈人さんだ。米国の政財界にもかかわりながら、シリコンバレーと東京の両方で仕事をしている方だ。
彼は3年前から、サブプライムローン、証券化ビジネスのバブル的な問題点を指摘し、同時にCO2排出量取引が同じようなバブルを引き起こす危険性があると警鐘を鳴らしている。価値のないものに価値を与えるようなビジネス、リスク管理のできていない商品を世界中に広めてしまうビジネスの危険性と、それを止められない株主資本主義の限界を説いているのだ。
CO2の排出量取引もバブルを引き起こしかねない。基本的にはCO2排出量は削減するべきもので、取引すべきものではない。将来の時間軸上で不明瞭な価値を認めることによる危険の方が大きいだろう。EUでは排出量取引が続けられているが、その間EUのCO2排出量は増え続けている。
排出量取引ビジネスが、地球全体の最適化に結びつくとは思えない
今年の6月に「二次電池による社会システム・イノベーション」という大きなプロジェクトをコーディネートし始めてから、たくさんの方からの面会要請が私にあった。残念ながら、ごく一部の方にしかお会いする時間が取れなかったが、排出量取引をビジネスにしている企業の方とはお会いしなかった。環境問題を金もうけの種にしようとすること自体が間違っていると思ったからだ。アドホック(その場主義)なビジネスが地球全体の最適化に貢献することはあり得ないだろう。
「株主資本主義」に違和感を覚えていた日本の経営者は多かったのだと思う。しかし、何か大きな流れのように思って、その流れに流されてしまった面を否定できない。
原さんの主張する「公益資本主義」は、私の「ビジネスを社会システムと考える」という考え方との共通点が多くてうれしかった。
価値の創造は企業と顧客がWin-Winの関係を作って初めて成立する。企業の創造した価値を顧客が認め、対価を支払うことによって一番基本の価値の循環が発生する。企業と顧客との価値の循環関係を作ることに成功したなら、生まれた利益が株主にも還元され、2番目の価値の循環が発生し、事業として成立するようになる。このように、価値の循環関係(バリューチェーン)は、企業と顧客が一緒に1つの社会システムを構築していることが基本と考えるのがいいのだろう。当たり前のことだが、株主第一主義は価値の循環の優先順位を間違えている。
乗用車のビジネスなら、国内では約6000万人の運転免許を持っている市民と自動車会社が「車社会システム」を作っていると考えるのだ。昔はセダンしかなかった乗用車が、ワンボックス、SUV、スモールカー、軽カーなどと多様になってきたのは、自動車会社の商品企画力によるものだが、それはユーザーと自動車会社が相互に影響し合い、1つの社会システムを作っているからできたことと考えるのがいいだろう。
企業と顧客が協力し合って1つの社会システムを作る
ビジネスにとって、一番大切なのは顧客満足度を高めることだ。商品が優れているから売れるのではなくて、顧客満足度が高いから売れる。顧客満足度を高めるためには、マーケティングも大切だが、それより、そのビジネスでは企業と顧客が協力し合って1つの社会システムを作っていて、そのシステムをもっと良くしたり、最適化するためにはどうすればいい社会ができるのだろうかと考えるのが大切だ。そしてその結果として、新しいビジネスモデルが生まれたり、企業の価値が保たれたり、高まったり、企業が存続したり、成長したり、進化したりする。
金融危機以来、日本流の経営が見直されているようだ。それはお手本としてきた米国の経営法の本質的な間違いが露呈し、まるで砂上の楼閣のように崩れてしまったので、相対的に地位が高まっただけと見るのが正しいだろう。
この20年ぐらいの間、株主資本主義をはじめ、米国の経営を学習し、場合によっては鵜呑みにしてきたことが多かった。書店には米国人の書いた経営書があふれ、日本の経営者の必読の書が、これらの本だったりした。今でもこれらに学ぶべきことがないわけではないのだが、これまで以上に冷静に評価した方がいいだろう。
次の「新しい経営学」を日本から創造することを始めなくてはならない。その時、一番力になるのは企業活動の最前線で戦ってきた経営者の方々だ。残念ながら現在の日本の大学の経済学部や経営学部にそのような力はないようだ。マルクス経済学や近代経済学や米国流の経営学をただ輸入して消化して伝えているという部分が多いのだ。過去50年程度を見直してみても、日本の経済学部、経営学部の知的な価値の創造は、工学部などの理系学部によるものに比べれば圧倒的に小さい。
社会全体を最適にすることを理念とする経営を
東京大学工学部では、東大工学部の博士の学位を持っていれば東大教員の候補者になれるが、経済学部では、欧米の大学で取得した博士号がなければ、その可能性は低い。つまり、日本の大学の経営学部や経済学部の国際競争力は低く、ブランド価値も人材養成力も不十分なのだ。その結果の1つとして、大学教員や卒業生が、米国流の株主資本主義を盲目的に信じて導入することの助けをした事実は否めない。
独自の文化や、独自の人生観、価値観、文明観による新しい経営学を構築することが求められている。その時に一番大切なのは社会全体を最適にすることを理念とした経営であり、それが、原丈人さんの言う「公益資本主義」と呼ばれるものだろう。これを実現するためには科学的論理性を大切にすることも大切だ。コストだけでなく、価値もリスクも価値の循環関係も数字で説明できるようにするのだ。
正しい価値観による、全体最適を目指した「理系の経営学」を推進したい。
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シェア(分かち合い、分担)の問題を考えるとき、ゼロ・サム社会を認識することが重要です。
『ゼロ・サム社会』 レスター・C・サロー TBSブリタニカ 1980年
推薦文: ガルブレイス、サミュエルソン
パラダイムとしてのゼロ・サム・ゲーム
集団(富める人対貧しい人、黒人対白人、男性対女性、農民対都市住民)ごとに相対的所得の違いがあるという問題に、社会は取り組まなければならないが、この問題が提起しているのは、パラダイムとしてのゼロ・サム・ゲームである。ある集団の所得が上昇するということは、すべて、他の集団の相対的所得が減少することである。利得される分は、同額の損失合計と釣り合いが取れる。
万人のための経済成長という考え方では、この問題は解決できない。なぜなら、求められているのは、もっと多くのもの、ということではなく、公平性だからである。しかし、アメリカ社会は、絶対的な公平性を信条とする社会ではない。どの点では公平性の要求が満たされるべきであり、どの点では拒否されるべきか? 要求が入れられたり拒否されたりする場合、どのような原則にもとづくべきなのか? そのような疑問に答えられるようになり、その答えを実行できるようにならなければ、アメリカ社会は停滞してしまうだろうし、同時にまた、集団ごとに分裂してしまうだろう。この問題を避ける道はない。慇懃にこれを無視しても、これを解決することにはならないだろう。
コメント:
1.アメリカで採用された、分裂の法則は、8:2の法則だ。つまり、2割の勝ち組が8割の所得を得て、8割の負け組が2割の所得を得る。
2.その過程で、マネーゲームが横行した。投機的なマネーゲームは、ロスを生産するだけである。
3.先進国は継続的成長を主張したが、温暖化などの環境問題と、資源の枯渇問題が、継続的な成長に歯止めをかけて、真の意味でのゼロ・サム社会へ突入した。
4.各国の中央銀行は、実体経済を超えて、通貨を市場へ供給した(通貨の鋳造、流通権は中央銀行が持っている。創りたければ、いくらでも「水増しマネー」を創ることができる)。この点に関しては、実体経済の成長と、通貨の流通量を調べれば、中央銀行が行なってきた「水増し」が明らかになる。
提言:
今や、真の意味で、ゼロ・サム社会に突入したことを認識すべきである・・・
そして、継続的な成長をモデルにした市場経済システム自体を修正しなければならない。つまり、ゼロ・サム社会でも通用するモデルにしなければならない。ゼロ・サム・ゲームの中での過当な競争は、互いに殺し合いをすることと同じで、結局は、経済的なムダを発生させる。
グローバルな世界で、役割分担、責任分担などを明確にして、ムダな開発や製造を、できる限り少なくしなければならない。よって、似たような技術を有している企業などは、積極的にパートナーシップ契約を締結して、技術開発や製造のムダを省くべきである。これが、いわゆる、「業界再編」と言われているものである・・・ 業界再編がグローバル・レベルで発生するはずだ・・・
追伸:
「慇懃無礼」に対する「返礼」と何度も言いましたが、結局、この本にも出ていました。
世界が激変しているのに、何もせずに、慇懃な返事を返すだけ・・・ ムダな仕事をしている・・・ 5年間も、この繰り返し・・・ 3年で、景気が回復するわけがない・・・
日本人は、意味を理解できないから、権威付けをしなくてはならない・・・ 今まで、言ってきたことと大差なし・・・ そして、日本人の権威の大半は、サルマネですが・・・ クリエイティブでない・・・ サルマネ お家制度の弊害です・・・
ローカルなお家制度(家族)ならば、まだしも・・・(家族の問題と社会の問題を区別すべき)
それを社会システムの基盤に置くことは、ロスを産むし、グローバルの世界では通用しない・・・
親や祖父母が優秀だからと言って、その子供が優秀だとは限らない。実力以上の地位についている人があまりにも多い・・・
逆に、とんびが鷹を産んだ、ということもある・・・
よって、学閥・地縁・血縁を社会のベースにするべきではない。ロスが多い・・・
学閥については、入試に受かった、卒業した。それだけのこと・・・ 学生もピンからキリまでいるし、大学を卒業してからの長い人生でひとはさまざまな経験をする。大学を卒業した時点から進化していない人も多いし、逆に退化している人さえいる・・・ よって、学閥自体があまり意味がない。なおかつ、学閥を越えて、多様な交流があったほうが、互いに刺激になり、さらにベターな結果を生んだりする・・・
つまり、ここでも、キーは、オープン(開放)、フェア(公正)、そして、付加えると、多様性(ディバーシティ)になります。
慇懃にこれを無視しても、これを解決することにはならないだろう。
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