ネオリベラリズムの思想的背景。
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ミルトン・フリードマン(Milton Friedman, 1912年7月31日~2006年11月16日)は、反ケインズ主義で有名な、ニューヨーク生まれの新自由主義の経済学者である。ニクソン、レーガン両政権や、チリのピノチェト軍事政権を強く支持した。
人物概要
「巨匠」や「異端児」、「小さな巨人」など数々の通り名を持つ。20世紀後半の主要な保守派経済学者の代表的存在。戦後、貨幣数量説であるマネタリズムを蘇らせマネタリストを旗揚げ、反ケインジアンの宗主として「フリードマンの反革」を実行し、1973年以後の経済に多大な影響を与えた。チリのピノチェト政権、アメリカのレーガン政権(→レーガノミクス)、イギリスのサッチャー政権などの理論的支柱を提供した。又、日本の小泉純一郎政権による「聖域なき構造改革」にも、大きな影響を与えたといわれている。[要出典]
経歴
ハンガリー(現在はウクライナの一部となっている)からのユダヤ系移民の子としてニューヨークで生まれる。
奨学金を得て15歳の若さで高校を卒業、ラトガーズ大学で学士を取得後に数学と経済どちらに進もうか悩んだ結果、世界恐慌の惨状を目にしシカゴ大学で経済を専攻し、修士を取得、コロンビア大学でサイモン・クズネッツ(1971年ノーベル経済学賞受賞)の指導を受け博士号を取得。コロンビア大学と連邦政府で働き、後にシカゴ大学の教授となる。またアーロン・ディレクターの妹であるローズ・ディレクターと結婚し、一男(デヴィッド・フリードマン)一女をもうけた。
後に反ケインジアンの筆頭と目されるようになったが、大学卒業後の就職難の最中で得た連邦政府の職はニューディール政策が生み出したものであった。(国家資源委員会における大規模な家計調査研究は、クズネッツの助手として全米経済研究所で行った研究と併せて、後の『消費の経済理論』と恒常所得仮説につながった。)[1]後に振り返って、ニューディール政策が直接雇用創出を行ったことは緊急時の対応として評価するものの、物価と賃金を固定したことは適切ではなかったとし[1]、大恐慌の要因を中央銀行による金融引締に求める研究を残している。しかし、第二次世界大戦が終わり連邦政府の職を離れるまでの経済学上の立場は一貫してケインジアンであった。
シカゴ学派のリーダーとしてノーベル賞受賞者を含め多くの経済学者を育てた。マネタリストの代表者と見なされ、政府の財政政策に反対する。政府の財政政策によってではなく通貨供給量と利子率によって景気循環が決定されると考えた。また、1955年には、教育バウチャー(利用券)制度を提唱したことでも知られる。頭の回転が速く議論好きで討論に長けていたことで知られる。主著は『資本主義と自由』。
シカゴ学派で学んだ南アメリカの経済学者は多くが出身国で自由主義市場経済を推進し、フリードマン自身もチリのピノチェト軍事政権の経済政策に関与して、1975年にはチリのサンチャゴでピノチェトと会談した。しかし、貧富の差の拡大や失業率や貧困率の悪化を理由に、その後シカゴ学派出身の経済官僚はピノチェト政権から追われた。他の南アメリカ諸国でも反グローバリズム・新自由主義経済反対の勢力が政権につくと同様な状況に追い込まれた。経済開発におけるシカゴ学派のマネタリスト・アプローチの政策的評価には賛否両論がある。
1951年ジョン・ベーツ・クラーク賞、1967年米経済学会会長、1976年にノーベル経済学賞を受賞。1988年にはアメリカ国家科学賞と大統領自由勲章を授与されている。
2006年11月16日 、心臓疾患のため自宅のあるサンフランシスコにて死去。奇しくも、同年同月18日には、親交の深かった東京外国語大学名誉教授小浪充が死去している。
思想
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フリードマンにとっての理想は、規制のない自由主義経済であり、従って詐欺や欺瞞に対する取り締まりを別にすれば、あらゆる市場への規制は排除されるべきと考えた(自由放任主義)。そのため、新自由主義(Neo Liberalism)の代表的存在とされる。「新」が付くのは、ダーウィン主義に影響を受けた自由放任論からの脱却として現れた、ニューリベラリズム(New Liberalism)に基づくケインズ経済学を、再び古典的な自由主義の側から批判する理論だからである。
フリードマンは大麻の合法化を唱えていたことで知られており、麻薬政策についてフリードマンは麻薬禁止法の非倫理性を説いている。1972年からアメリカで始まったドラッグ戦争(麻薬の取り締り)には「ドラッグ戦争の結果として腐臭政治、暴力、法の尊厳の喪失、他国との軋轢などが起こると指摘したのですが、懸念した通りになった。」と語っている[2]。
財政政策批判
政府によって実施される財政政策は、財政支出による一時的な所得の増加と乗数効果によって景気を調整しようとするものであるが、フリードマンによって提唱された恒常所得仮説[3]が正しいとすると、一時的な変動所得が消費の増加に回らないため、ケインジアンの主張する乗数効果は、その有効性が大きく損なわれる。そのため恒常所得仮説は、中央銀行によって実施される金融政策の復権を求めたフリードマンらマネタリストの重要な論拠の一つになった。
議論
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ショックドクトリン
フリードマンは、「現実の、あるいは仮想の(perceived)危機のみが真の変化を生み出す」と主張し、福祉や累進課税などの「規制」の撤廃は、社会危機を扇動せねば実行できないと認識していた。反グローバリゼーションのジャーナリストであるナオミ・クラインは、「チリにおける超インフレの引き金となった9・11クーデター(1973年)や、ロシアのみならずグローバル資本主義の引き金となったソ連崩壊など、大事件を、無規制の資本主義を実現する好機として利用した」と主張して、フリードマンのこの思想を「ショックドクトリン(shock doctrine)」と批判している[4]。
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