8/24/2009

竹中さんへ

テレビで、がたがた言うよりも、賢人会議で、本領発揮してください・・・

テレビは、たまに、面白い賢人会議を生中継する - 総務大臣認可


なぜ、このような案が出るか?

NHKが、NHK予算審議会を生中継したから・・・

ひどい審議会だった。出来レースそのもの - 鳩山総務大臣

国民には知る権利がある - 憲法


公開すると、問題点が明らかになる・・・

なぜ公開するか? 公務だから・・・ 公務は、原則、公開です・・・ 当然です

国民には知る権利がある。納税の義務=知る権利

私事をムリに公開すると、プライバシーの侵害になることもある・・・


Aoyagi YoSuKe


テレビ局は、カメラと中継車を持っていけばよい。

経費削減にもなる。賢人会議という高品質の番組も提供できる。

国民の知る権利の支援にもなる。


一挙、三徳である - 堺の鉄包丁、源吉


源吉とは、堺の庖丁職人が小さな工場で作っている鉄包丁である。東急ハンズで買った。

肉、野菜、魚に対応。

ただし、鉄包丁なので、砥がなくてはならない。


刀研ぎより、包丁砥ぎを勧める。刀狩りはしても、庖丁狩りはしない - 秀吉


包丁砥ぎこそ、板前の魂。包丁一本、さらしにまいて・・・ - 渡りの板前、フリーランス・コック


出典)

http://www.uchiyama.info/oriori/sonota/uta/houzenji/

「 月の法善寺横町 」   
             作詞 十二村哲   作曲 飯田景応   唄 藤島桓夫

1番 庖丁一本 晒にまいて 旅へでるのも 板場の修業 待ってて こいさん 哀しいだろが ああ 若い二人の 想い出にじむ法善寺 月も未練な十三夜

『こいさんが私を初めて法善寺へ連れて来てくれはったのは「藤よ志」に奉公に上がった晩やった。早う立派な板場はんになりいや言うて、長い事水掛不動さんにお願いしてくれはりましたなァ。あの晩から私(わて)は、私はこいさんが好きになりました。』

2番 腕をみがいて 浪花に戻りゃ 晴れて添われる 仲ではないか お願い こいさん 泣かずにおくれ ああ いまの私には 親方はんにすまないが 味の暖簾にゃ 刃が立たぬ 

『死ぬ程苦しかった私らの恋も、親方はんは許してくれはった。あとはみっちり庖丁の修行を積んで一人前の料理人になる事や。な、こいさん、待っててや。ええな、こいさん。』

3番 意地と恋とを 庖丁にかけて 両手あわせる 水掛不動 さいなら こいさん しばしの別れ ああ 夫婦善哉 想い出横丁法善寺 名残つきない 燈がうるむ   
                           
 道頓堀の南側の小さな路地の中にある。思っていたより狭く短い路地という感じだった。しかし、石畳の通りや店構えなど風情がある。水掛不動尊は苔に覆われている。訪ねた時には、熟年の女性方が数人お参りをしている。『こいさんが私を初めて法善寺へ連れて来てくれはったのは「藤よ志」に奉公に上がった晩やった--』と唄の中のせりふを言う人もいある。この数人は仲間同士でこの法善寺横丁を訪ねに来たようだった。みんな「月の法善寺横町」が大ヒットしていたころ青春時代を過ごしていたようである。

<藤島桓夫>
 昭和2年大阪市に生まれる。昭和20年旧制大鉄工業学校(現阪南大学高等学校)卒業。大阪中央電話局入社。昭和25年歌手デビュー、「初めて来た港」「お月さん今晩は」などヒット曲続く。
 昭和35年「月の法善寺横町」一世を風靡する。平成4年日本レコード大賞「功労賞」受賞。平成6年2月没。4月勲4等瑞宝章受賞。

 「法善寺横丁」と唄の「月の法善寺横町」とは文字が違っている。歌碑は「横町」をつかい、通りの名は「横丁」を使っている。ここに来て初めて気がついた。  
   
 大阪市観光情報  大阪観光コンベンション協会  全国旅そうだん  月の法善寺横町          

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