3/07/2009

お釈迦さまには、寺は不要

釈迦さまは、菩提樹の下で、涅槃寂静、そして、仏になった・・・

お釈迦さまには、お寺は不要である。

坊主は、めったなことではお釈迦さまの境地に到達できない。

だから、お釈迦さまの象徴として、寺がある。

坊主がお釈迦さまの境地に至れば、寺もおシャカになる、つまり、寺がなくなることを意味する。

立派な寺があるということは、そこの坊主の悟りの程度が低いということである。

そして、立派な寺を作るために、信徒から寄付金をもらう、のは本末転倒である。


坊主とは、あの世と、この世をつなぐ媒介者。この世のことに金が入用なのは分かる。

だが、宗教である。信徒がくれたお布施がたまれば、寺を作るのである。

信徒は、お礼として、お布施を上げるのである。よって、お布施に金額はない。

大金持ちであれば、たくさんのお布施をすることも、自由だし、

貧乏人で、お金がなければ、お金の代わりに、お参りすれば良い。

そして、お布施がたまれば、寺の維持費や、再建費用とする。

これが、元来のお寺の姿・・・

坊主が民を苦しめては、元も子もない・・・

つまり、坊主がお釈迦さまの境地に至れば、寺はなくなる。

信徒は坊主や寺がなくても生きていける。これが、究極の坊主と寺である。

坊主も寺も、無の境地に至ったということ。

つまり、必要でなくなったときこそ、お釈迦さまの境地なのである・・・



だが、現実的には、法や、医療などでも、人の苦しみは救えないことが多い。

このような人たちを救済するために、坊主や、お寺があるのである。


この間も書いたが、自身の子供を殺されたお年寄り・・・

いくら、犯人を逮捕して、死刑にしたところで、子供は帰ってこない。虚しさが残るだけだろう・・・

確信犯であれば、つまり、最高刑の死刑を前提にすれば、人を殺すこともある。

これが法治の限界である。


よって、その限界を補うために、坊主や寺がある。

被害者の家族などの心を救わない坊主は、似非坊主である・・・

坊主の本来の仕事をしていない・・・ 


墓守よりも、お寺の管理よりも、読経するよりも、苦しんでいる民を救済することこそ、坊主の仕事である。


そう言う意味で、ダライラマ14世や、マザーテレサは、民を救済する菩薩なのである。

【菩薩】(梵語 bodhisattova 覚有情と訳す)
[仏]悟りを求めて修行する人。もと、成道以前の釈迦牟尼および前世のそれを指して言った。


菩薩とは、成道するために、「民の救済者となる人」のことだと考えている。
成道すれば、活仏になる。そして、涅槃寂静の後、仏となるのである・・・

と個人的に考えていますが・・・ どうなのでしょうか? 坊主さま?


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