釈迦さまは、菩提樹の下で、涅槃寂静、そして、仏になった・・・
お釈迦さまには、お寺は不要である。
坊主は、めったなことではお釈迦さまの境地に到達できない。
だから、お釈迦さまの象徴として、寺がある。
坊主がお釈迦さまの境地に至れば、寺もおシャカになる、つまり、寺がなくなることを意味する。
立派な寺があるということは、そこの坊主の悟りの程度が低いということである。
そして、立派な寺を作るために、信徒から寄付金をもらう、のは本末転倒である。
坊主とは、あの世と、この世をつなぐ媒介者。この世のことに金が入用なのは分かる。
だが、宗教である。信徒がくれたお布施がたまれば、寺を作るのである。
信徒は、お礼として、お布施を上げるのである。よって、お布施に金額はない。
大金持ちであれば、たくさんのお布施をすることも、自由だし、
貧乏人で、お金がなければ、お金の代わりに、お参りすれば良い。
そして、お布施がたまれば、寺の維持費や、再建費用とする。
これが、元来のお寺の姿・・・
坊主が民を苦しめては、元も子もない・・・
つまり、坊主がお釈迦さまの境地に至れば、寺はなくなる。
信徒は坊主や寺がなくても生きていける。これが、究極の坊主と寺である。
坊主も寺も、無の境地に至ったということ。
つまり、必要でなくなったときこそ、お釈迦さまの境地なのである・・・
だが、現実的には、法や、医療などでも、人の苦しみは救えないことが多い。
このような人たちを救済するために、坊主や、お寺があるのである。
この間も書いたが、自身の子供を殺されたお年寄り・・・
いくら、犯人を逮捕して、死刑にしたところで、子供は帰ってこない。虚しさが残るだけだろう・・・
確信犯であれば、つまり、最高刑の死刑を前提にすれば、人を殺すこともある。
これが法治の限界である。
よって、その限界を補うために、坊主や寺がある。
被害者の家族などの心を救わない坊主は、似非坊主である・・・
坊主の本来の仕事をしていない・・・
墓守よりも、お寺の管理よりも、読経するよりも、苦しんでいる民を救済することこそ、坊主の仕事である。
そう言う意味で、ダライラマ14世や、マザーテレサは、民を救済する菩薩なのである。
【菩薩】(梵語 bodhisattova 覚有情と訳す)
[仏]悟りを求めて修行する人。もと、成道以前の釈迦牟尼および前世のそれを指して言った。
菩薩とは、成道するために、「民の救済者となる人」のことだと考えている。
成道すれば、活仏になる。そして、涅槃寂静の後、仏となるのである・・・
と個人的に考えていますが・・・ どうなのでしょうか? 坊主さま?
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