7/21/2009

村上春樹について

戦後生まれの団塊の世代でしょ?

60年安保よりも、70年安保の世代ですよね?

ディタッチメント(ヒッピー?)から、コミットメント(ボランティア型社会参画)へ方針転換したとしても、1Q84のような表現になる?

今一度・・・



村上春樹の主張は?

過去を書き換えると、このような現在が実現できたはずだ。

よって、これを参考にして、今から、未来を創りましょう、という問題提起だよね?


これこそが、村上春樹のコミットメントの方法論なのでは?


つまり、過去の検証とその修正の文学である。ただし、過去の記述については、問題発生が想定されるので、メタファーを使用している。

ですよね?


大江健三郎の『遅れてきた青年』でしたっけ? 読んでいないが・・・

そんな感じなのかな?


Amazonの書評です・・・

 僕は今この作品の主人公と同じ大学に通っているが、今の僕たち学生にとって、主人公の精神構造はある意味で非常に理解しがたい。というのも彼の強烈な上昇志向、そしてそれと相反する反体制への思い(そのどちらも作品上は飼いならされた羊のように萎縮してしまうのだが)はやはり六十年代の青年特有のものだから。現在の東京大学のキャンパスを歩いてみればそれは一目瞭然だ。チャラチャラとしたどこにでもいる若者がそこにはうずめいている。大江氏が学生時代に見出した情景はもうそこにはないのだ。戦後世代の抱える喪失感と地方出身者特有のぎらぎらした出世欲を併せ持つ青年像は今やリアリティーを持ち得ない。

 しかしそれはこの作品が歴史の中で忘却されていいということだろうか?当時の青年たちの抱えていた(もしかした今もなお抱えているかもしれない)喪失感をもっともグロテスクな、しかしそれ故に切実な形で表現しているこの作品が忘れ去られてもいいということだろうか?それは僕にもわからない。もしかしたらそうなのかもしれない。だがもしそうであったなら、こんなに痛ましいことはない。そこには流れ行く時代特有の痛ましさがあるのだから。

 ただ一縷の望みもある。それは大江氏の作家(story tellerというよりはauthor)としての優れた資質に他ならない。僕には彼の才能が政治的な問題のために過小評価されている気がしてならない。もし百年後、真っ当な評論家がそうした時代のしがらみに囚われず彼の作品群を評価してくれれば、と僕は夢想する。

 当時青年であった人も、今青年である人もこの作品を一度手に取って読んでください。主人公の抱える喪失感は確かに時代特有のものに違いない。しかし現代という時代が、或いは人類の歴史そのものが、何らかの意味で喪失という痛みを抱え続けるのならば(僕はそうであってほしいと願う)、大江氏のこの作品は輝きを放ち続けるはずなのだから。


これこそ、重要な事実じゃないの?

大江健三郎は、アラブ人作家でありニューヨーカーであった、サイードと友人であった。姜尚中はサイードの弟子であった。

9.11以後、サイードに強烈なプレッシャーがかかったはず。2003年に亡くなった?

The Pen and the Sword - Edward W. SAID

---Wikipedia

姜 尚中(강상중 カン サンジュン、1950年8月 - )は、熊本県生まれの政治学者。日本名は永野 鉄男(ながの てつお)。日本式の音読みでは姜 尚中はキョウショウチュウ。

在日韓国・朝鮮人二世として熊本市に生まれる。姜尚中の父は1916年に朝鮮南部の慶尚南道昌原郡南山里に生まれる。仕事を求めて1931年に日本へ渡る。母は1923年に朝鮮に生まれる。釜山近くの鎮海から許嫁の父を訪ねるべく、関釜連絡船で1941年に日本へ渡る。姜尚中の父母は強制連行されて日本に来たのではなく、仕事を求めて自らの意思で日本へ渡った。姜尚中は強制連行された者の子孫ではない[1]。

--
Aoyagi YoSuKe - Art Harbour

Main Bank: Mizuho Bank, Ltd. Kitazawa branch

Partnership: Google, Inc. AdSense program / Amazon.co.jp Associate program

http://artharbour-gaia.blogspot.com
(The Gaia Art Harbour)

http://artharbour-gaia.blogspot.com/2007/06/gaia-art-harbour-web.html
( About Art Harbour)

9.11 2008 is 1.1 2001 in Ethiopian Calendar

0 件のコメント:

コメントを投稿