7/02/2009

京都祇園山笠のくじ取り

芦刈老人

月のなにがし?

面白い目だな・・・

エンデバーの発射予定は? 7月12日

博多祇園山笠、追い山? は7月15日・・・

こういうのを、山が目白押し、と言うのでは?


祇園は、スサノオの祭り・・・

祇園精舎の鐘の声


このように見ると、日本は、まさしく、神仏混淆だ・・・

---Wikipedia

祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)、正式名称祇樹給孤独園 精舎(ぎじゅぎっこどくおん しょうじゃ、サンスクリット:Jetavana Anathapindadasya-arama)は、中インドのシュラーヴァスティー(舎衛城)にあった寺院で、釈迦が説法を行ったとされる場所。天竺五精舎(釈迦在世にあった5つの寺院)の一つ。

名称の由来

名称の意味は「祇陀(ジェータ)太子の森(Jetavana)」と、「身寄りのない者に施しをする(Anathapindada)」という言葉を並置した物であり、以下の由来による。

インドのシュラーヴァスティーにスダッタ(須達多)という、身寄りのない者を憐れんで食事を給していたため、人々から「給孤独者(anathapindada)」と呼ばれていた富豪がいた。

ある日、スダッタは釈迦の説法を聞いてこれに帰依し、彼に説法のための寺院を寄付しようと思い立った。
そして見つかった土地が、ジェータ太子の所有する森林であった。その土地の譲渡を望むスダッタに対して、ジェータ太子が「必要な土地の表面を金貨で敷き詰めたら譲ってやろう」と戯れで言った。しかしスダッタが本当に金貨を敷き詰め始めたため、ジェータ太子は驚いて、そのまま土地を譲渡し更に自らも樹木を寄付して、寺院建設を援助した。

これ故、この僧園はジェータ太子と給孤独者スダッタ両者の名を冠して祇樹給孤独園と呼ばれ、そこに建てられた精舎を祇樹給孤独園精舎と称するようになった。

---Wikipedia

祇園祭(ぎおんまつり、ぎおんさい)は、祇園神(スサノオ・牛頭天王)を祀る祇園神社に奉納される祭礼である。

概要

「祇園祭」の名前は祭神によるもので、行事の内容については一定ではなく、地域により差がある。また、祭神が同じ「天王祭」も同一のものと分類される。一方、祇園信仰と関係のない神社の祭であるにもかかわらず「祇園」の名前が付けられている場合もある。祭神の性格から、その多くは7月から8月にかけて、疫病退散、厄除けを祈願して行われる夏祭りであり、総本社である京都の八坂神社(祇園社)のものを始めとして、日本各地で行われている。

京都の祇園祭

概要

祇園祭は京都の八坂神社の祭りで、京都三大祭り(他は上賀茂神社・下鴨神社の葵祭、平安神宮の時代祭)、さらに大阪の天神祭、東京の山王祭(あるいは神田祭)と並んで日本三大祭りの一つに数えられる。また、岐阜県高山市の高山祭、滋賀県長浜市の長浜曳山祭と並んで日本三大曳き山の一つにも数えられる。7月を通じて行われる長い祭りであるが、神輿渡御や山鉾巡行や宵山が中心となる。宵山、宵々山には旧家や老舗での宝物の展示も行われるため屏風祭の異名がある。また山鉾巡行では文化財が公道を巡るため動く美術館とも例えられる。

一説には869年(貞観11年)、疫病の猖獗を鎮める祈願を込めて、卜部日良麿が66本の矛を立て、神輿3基を送り牛頭天王を祀り御霊会を行ったのがその起源であるという。970年(安和3年)から毎年行うようになった。その後、応仁の乱や第二次世界大戦などでの中断はあるものの、現在も続いており、千年を超える歴史がある。かつては祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)とよばれていた。その略で、現在でも祇園会と呼ぶこともある。
宵山には毎年40万人以上の人が集まり、祇園祭最高の盛り上りを見せる。一方、山鉾巡行・神輿渡御は、宵山ほどの人出はなく(それでもかなりの人出ではあるが)、祇園祭といえば前夜祭である宵山を先に思い描く人も多い。
ちなみに諺で時機を逃して用をなさないことを「後の祭り」というものがあるが、これは祇園祭の大一番である山鉾巡行・神幸祭神輿渡御が終わり、この後の祇園祭がたいしてメインとなるものがないことからこの諺が言われるようになったとされる。また、祇園祭は1966年(昭和41年)まで「前祭」(7月17日)と「後祭」(7月24日)の2回に分けて山鉾巡行を行っていた経緯があり、「前祭」では山に加え豪華絢爛な鉾が多数巡行するのに対し、「後祭」では鉾の巡行が無く山のみの巡行で、小規模であることからこの諺が言われるようになったという説もある。

くじ取り式

山鉾巡行の順番を決めるもの。室町時代から競争を避けるために行われるようになった。ただし、先の巡行の先頭の長刀鉾、5番目の函谷鉾、21番目の放下鉾、22番目の岩戸山、23番目(先の巡行の最後)船鉾、あとの巡行の先頭の北観音山、次の橋弁慶山、後の巡行の最後の南観音山は「くじ取らず」と呼ばれ、順序が予め決まっている。京都市役所の市会議場で行われる。

宵山・山鉾巡行

祇園祭のハイライト。元々は付け祭りだったが、こちらの方がはるかに大規模になった。山鉾からは祇園囃子のコンチキチンという独特の節回しが聞かれる。現在のような囃子ができたのは江戸時代から。また、ゴブラン織りをはじめとする豪奢な山鉾の飾りも見どころの一つ。前述の通り、かつては山鉾巡行自体が17日(前祭・さきのまつり)と24日(後祭・あとのまつり)の2度行われていたが、1966年(昭和41年)より17日に統合された。山鉾の数は現在は32基(鉾9基・前祭の山14基・後祭の山9基)で、これも時代によって変化している。山鉾は午前9時に四条烏丸を出発し、午前中にコースを回る。見所の一つは辻回しと呼ばれる鉾の交差点での方向転換である。鉾の車輪は構造上方向転換が無理なため路面に青竹を敷き水をかけ滑らして向きを90度変える。巡行終了後は直ちに解体・収納される(長刀鉾の稚児は新町御池で鉾から降りる)。

以前は巡行時に鉾の上から囃し方が粽(ちまき)を観衆に投げていたが、落ちてきた粽を取り合い中年女性が怪我をしてからは危険とされ、鉾の上から粽を投げるのは現在は原則禁止になっている。
また、山鉾には日本には存在しないエジプトのピラミッドやラクダなどが描かれたものが存在する。


---Wikipedia

博多祇園山笠(はかたぎおんやまかさ)は、福岡県福岡市で毎年7月に開催される700年以上の伝統のある祭である。

概要

福岡市博多区のおもに博多部(那珂川と御笠川(石堂川)間の区域)で7月に行われる祭で、博多区の櫛田神社にまつられる素戔嗚尊に対して奉納される祇園祭のひとつ。神社の祭りは正式には「櫛田神社祇園例大祭」と呼ばれ、それに応じて氏子の町内が始めた付け祭りが発展する過程で山笠と呼ばれる山車が登場する様になったため神社の祭りも含めて「博多祇園山笠」と呼ばれるようになった。参加者や福岡市民などからは「山笠」「ヤマ」とも略称される。国の重要無形民俗文化財に指定されている。

博多どんたくとともに、博多を代表する祭りの一つとして知られる。山笠の掛け声は1996年(平成8年)に日本の音風景100選の一つに選ばれた。

なお、地域外の者からは福岡市が主催している祭りと誤解されがちだが、山笠は櫛田神社の氏子たちが行う奉納行事のひとつであり、地域の住人たちが伝統的に行ってきた町内行事である。
山笠を担いで市内を回ることを、山笠を「舁く」(かく)と言い、担ぐ人のことを「舁き手」(かきて)と言う。

7月15日:追い山、鎮めの能

博多祇園山笠のクライマックスにあたる行事(タイムトライアル)。午前4時59分に一番山笠が山留めをスタート、博多の総鎮守櫛田神社境内の清道を回って奉納する。その後、二番山笠から八番山笠「走る飾り山」までが5分おきに出発し、多数の男たちが交代を繰り返しながら博多の町を舁き回り、須崎町の廻り止めまで約5kmのコースを駆ける(八番山笠は別コース)。

山笠が清道を回り終えると、櫛田神社境内にて喜多流の能楽師により紋付き袴の姿で「鎮めの能」が舞われる。

スタート時刻が午前4時59分と言う中途半端な時刻なのは、一番山笠のみ櫛田神社境内で祝い歌「博多祝いめでた」を歌う1分間が与えられており、5分おきと言う山笠の出発間隔を調整するためである。
各流では、追い山が終わると、直ちに飾り山・舁き山などを解体し、その年の行事を終える。しかしその時点で、すぐに次の年の行事に向けての動きを始める。

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