だれだろう? アレキサンダー
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アレクサンドロス(Αλέξανδρος; Aleksandros)は、ギリシャ人の人名であり、ギリシャ語で「男達を庇護する者」(alex「守る」、andros「人、男」)を意味する。元来はギリシャ神話で戦場における戦士の庇護者である女神、ヘラの称号の1つであった。
ギリシャ語名アレクサンドロスの名を持つ著名な人物
ギリシャ神話に登場するイリオス(トロイア)の王子、パリスの別名。
1.の人物の史実上のモデルと思われる、紀元前13世紀に実在した小アジア西部アスワ地方のウィルサ王。ヒッタイトの粘土板文書にアラクサンドゥスの名で登場する。
フェライのアレクサンドロス テッサリアのフェライの僭主。
アレクサンドロス3世 古代マケドニア王国の王。アレクサンドロス大王。
東ローマ帝国中期の皇帝(在位:912年 - 913年) アレクサンドロス (東ローマ皇帝)を参照。
ギリシャ王国の第3代国王(在位:1917年 - 1920年) アレクサンドロス1世 (ギリシャ王)を参照。
ギリシャが軍事政権だった頃に民主主義への回帰のために闘争した政治家アレクサンドロス・パナグリス。
1.-3.のアレクサンドロス大王にちなんだ諸言語の人名
ラテン語のAlexanderアレクサンデル。ローマ皇帝アレクサンデル・セウェルスなど。
フランス語のAlexandre, アレクサンドル(男性形)。
イタリア語のAlessandroアレッサンドロ(男性形)とAlessandraアレッサンドラ(女性形)。
英語やドイツ語のAlexanderアレクサンダー(男性形)とAlexandraアレクサンドラ(女性形)。
ロシア語のアレクサンドルАлександрとアレクサンドラ(女性形)Александра。
セルビア語などのアレクサンダル。
スペイン語のアレハンドロ。
ポルトガル語のアルシャンドル・アレシャンドリ。
ハンガリー語のシャーンドル。
アラビア語・ペルシア語・トルコ語のイスカンダル。
ポーランド語のアレクサンデルAleksanderとアレクサンドラ(女性形)Aleksandra。
ベラルーシ語のアリャクサンダルАляксандарとアリャクサンドラ(女性形)Аляксандара。
ウクライナ語のオレクサンドルОлександрとオレクサンドラ(女性形)Олександра
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アレクサンドロス3世(ギリシア語:Αλέξανδρος ο Μέγας、ラテン文字転写:Aleksandros ho Megas、紀元前356年7月? - 紀元前323年6月10日、在位紀元前336年 - 紀元前323年)はアルゲアデス朝のマケドニア王、コリント同盟の盟主、エジプトのファラオを兼ねた人物である。ギリシア語ではアレクサンドロス大王であるが、この場合は英語読みでアレクサンダー大王またはアレキサンダー大王とすることも多い。
東西融合政策
アレクサンドロスは征服地にその名に因んでアレクサンドリアと名付けた都市を建設して経済の活性化をはかり、また図書館などを完備してギリシア文化の浸透を推進し、帝国の公用語にギリシア語を採用した。さらに東西融合に心を配り、自らダレイオス3世の娘を娶りペルシア人と部下の集団結婚を奨励し(しかしこの集団結婚式においてマケドニア人の女とペルシア人の男が結婚するというのはなかったため、アレクサンドロスの意図が対等な融合であるかには疑問の余地がある)、ペルシア風礼式を取り入れ代官に現地有力者を任命した。
ヘレニズム文化
詳細は「ヘレニズム」を参照
ギリシア文化とオリエント文化が融合したヘレニズム文化がアレクサンドロスの帝国とその後継諸国家で開花し、ラオコオン、ミロのヴィーナス、サモトラケのニケ、瀕死のガリア人などの彫刻が各地で制作された。エウクレイデス、アポロニオス、アルキメデス、エラトステネス、アリスタルコスらの学者も輩出し、その後、古代ローマ、イスラームに強い影響を及ぼし、東方奥深くに入植したギリシア人はガンダーラ美術に大きな影響を与えた。はるか極東の日本の法隆寺の柱にもヘレニズム文化の痕跡が認められている。
逸話、エピソード
ブケパロス
王子時代にブケパロスという馬がペラの王宮に連れてこられた。気性が荒々しく誰も乗りこなすことができなかったが、アレクサンドロスはブケパロスが自分の影に怯えているのに気付き、馬の向きを変えて見事に乗りこなした。それを見た父のフィリッポスは満足と恐れを同時に抱き、「そなたは自分の王国を探すがよい」と言ったという。
決して負けない人
アレクサンドロスはアジアへの遠征に先立って神の神託を求めに行った。そのとき神託所は休業日だったが、アレクサンドロスは強引に神託を求め続けた。うんざりした巫女が「あなたは決して負けない人だ」とこぼし、彼は満足して立ち去った。
ディオゲネス
コリントスにシノペのディオゲネスという賢者がおり、いつも裸で樽に暮らしていたが、本人は人生に至極満足していた。アレクサンドロスは彼に望みを聞いたが、答えは「日陰になるからそこをどいてくれ」というものだった。アレクサンドロスは「もしわたしがアレクサンドロスでなかったら、わたしはディオゲネスになりたい」と語ったという。
毒殺を恐れない
アレクサンドロスが病臥していたとき、侍医のフィリッポスが敵(ダレイオス3世)に買収されて王の毒殺を企てているという報せが届いた。王はその手紙を読んだが、平然として薬を飲み干し、フィリッポスに手紙を見せた。フィリッポスは「今後も、医者としての私の指示に従うようにしてください。そうすれば助かります」と言ったといわれる。その後、王は激しい高熱に苦しんだが、やがて回復した。
貴婦人への礼遇
ダレイオス3世の母と妃がイッソスの戦いの後で捕えられたが、アレクサンドロスは彼女らに非常に敬意を払って接した。のちにそれを伝え聞いたダレイオス3世はアレクサンドロスの度量を賞賛し、もし自分が不幸にして王国を失うとしたら、アレクサンドロスこそが新たな王となるように神に祈ったという。
「勝利を盗まない」
ガウガメラの戦いの前夜に宿将パルメニオンが夜襲を進言したが、アレクサンドロスは「わたしは勝利を盗まない」と言って退けた。ペルシア軍は劣勢のマケドニア軍が確実に夜襲を仕掛けてくるものと予想して一晩中厳重に警戒していたが、アレクサンドロスは翌朝遅くまで悠々と寝続けた。ペルシア軍は無駄に体力を消耗し、マケドニア軍は気力充実して戦闘に臨むことができた。
クレイトスの殺害
アレクサンドロスはペルシア王国を征服した後、東方文化を積極的に導入し、マケドニアの古参将兵の反発を招いた。ある夜の酒宴でアレクサンドロスは武将クレイトスと東方政策をめぐって激しく口論し、衝動的にクレイトスを刺し殺してしまう。まもなく酔いが醒めた王は深く嘆いたという。
砂漠の水
インド遠征からの帰路、アレクサンドロスの本隊は不毛なゲドロシアの砂漠を行軍してペルシア本国へ向かった。兵士たちが飢えと渇きに苦しんで倒れていくなか、一人の兵士が王のために一杯の水を見つけてきた。しかしアレクサンドロスは「わたしは皆とともに渇きに苦しむほうを選ぶ」といって水を捨てた。
伝説
ゴルディオスの結び目
アレクサンドロスがペルシア領であるリュディアの州都ゴルディオンを占領した時(紀元前333年)、町の中心にあるゼウス神殿に一台の古い戦車が祀られていた。その戦車は“ゴルディオスの結び目”と言われる複雑に絡み合った縄で結わえられており、「この結び目には解いたものがアジアの支配者になる」という伝説が伝えられていた。その伝説を耳にしたアレクサンドロスは腰の剣を振り上げ、一刀のもとに結び目を切断し、「運命とは伝説によってもたらされるものではなく、自らの剣によって切り拓くものである」と兵たちに宣言した。
海賊と帝王
海賊が捕えられて縛り首になったが、彼はアレクサンドロスに向かって「俺もお前のように多くの国を攻め滅ぼしていれば、英雄と呼ばれたことだろう」と皮肉った。
海中探検
オリエントの伝説によると、アレクサンドロスは海の中の世界に興味をおぼえ、ガラスの樽の中に入って海中を探検したという。
有角王
ギリシアからインドにかけての各国において、アレクサンドロスの生涯は伝説として伝えられ、その説話は中国など極東地域にまで及ぶ。
たとえば、角があったと伝えられることから「有角王」「イスカンダル双角王」など異称も多い。『クルアーン』(コーラン)にも「ズル・カルナイン(二本角)」という名の人物が登場する。また東南アジアのマラッカ王国は、王朝の初代をアレクサンドロス大王であると称していた。
サンドロコットスとの出会い
プルタルコスなどによれば、アレクサンドロスがインドに侵入した時、マケドニアの陣営に一人の若者が訪れてインド東部への道案内を申し出た。この若者の名はサンドロコットスと言い、彼こそがのちのチャンドラグプタであるという。
インドの賢者
アレクサンドロスはインドで裸の賢者たちと世界の神秘についての対話を交わした。賢者たちはアレクサンドロスの問いに次々と答えたが、王は必ずしも納得しなかった。賢者の一人はなめした皮の上に乗り、皮の端に立つと他方の端が捲れるが中心に立つと安定することを示して、栄光を求めて世界をさまよう王を諷した。
トランプの4人の王の1人
フランスでは、トランプのクラブのキングのモデルとされている。「古代イスラエル」(ダビデ=スペード)、「フランク王国」(カール大帝=ハート)、「ローマ帝国」(ガイウス・ユリウス・カエサル=ダイヤ)、「マケドニア王国」(アレクサンドロス)と、当時の「世界」を征服した4人をモデルとしているらしい。
旧約聖書における預言
アレクサンドロスの急逝と帝国の分割には、聖書の預言も関係しているという。ダニエル書8章には、一頭の大きな一本の角を持つオスのヤギとして表わされている。しかしその角が折れた後に、以前ほどの大きさのない、4本の角が生えてくることになっていた。これは4人の将軍によって彼の帝国が分割されることを予告していたものだという。
その他
アレクサンドロス3世はオッドアイとして有名であるほか、両性愛者としても知られている。
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