5/29/2009

預言者

預言者

【預言者】よげんしゃ

神の言葉を預かり、民に新しい世界観を示す人。特に旧約聖書では前8~7世紀におけるイスラエルの宗教的指導者。

コーランではアダム、アブラハム、モーセ、イエスらを預言者とし、ムハンマドはその最後の人物とされる。

---Wikipedia

預言者(よげんしゃ)とは、神と直接接触・交流・対話し、直に聞いた(とされる)神の言葉を人々に伝え広める者のこと。語源や用字については後述を参照のこと。

唯一神との契約を重んじるアブラハムの宗教に特徴的な存在であり、旧約聖書に登場するモーセをはじめとするヘブライ人(ユダヤ民族)の宗教的指導者たちが、原初の預言者たちである。彼らユダヤ教で認められた預言者たちに続いてあらわれた預言者が、キリスト教やイスラム教などの基礎を打ち立てていった。

ヤムニア会議によってユダヤ教正典と決定されたヘブライ語聖書式の配列では、「トーラー」「ケスービーム(諸書)」の間に「預言者(Nəbhī'īm, nevi'im, ネビーイーム)」がくる。「預言書」という表記も見られるが、厳密ではないという意見もある。

前預言者(ぜん―)、前の預言者 (ネビービーム・リショーニーム)
イェホーシュア(リーショーン、シェーニー)(ヨシュア記、上下) Yəhōšua‘, yoshua
ショーフティーム(士師記): Šōpht‘īm, shoftim
シェムーエール(リーショーン、シェーニー)(サムエル記、上下): Šəmū’ēl, shmu'el
メラーヒーム(リーショーン、シェーニー)(列王記、上下) Məlākhīm, melakhim
後預言者(ご―)、後の預言者(ネビーイーム・アハローニーム)
三大預言者
イェシャアヤー(イザヤ書):イザヤ Yəša‘yāh, yeshaya
イルミヤー(エレミヤ書):エレミヤ Yirəmyāh, yirmya
イェヘズケール(エゼキエル書):エゼキエル Yəchezqē’l, yekhezkel
十二の小預言者 (トレー・アサル trēy-‘ǎsar)
ホーシェーア(ホセア書):ホセア Hōšēa‘, hoshea
ヨーエール(ヨエル書):ヨエル Yō’ēl, yo'el
アーモース(アモス書):アモス ‘āmōs, amos
オーバドヤー(オバデヤ書):オバデヤ ‘ôbhadhyāh, 'ovadya
ヨーナー(ヨナ書):ヨナ Yōnāh, yona
ミーハー(ミカ書):ミカ Mīkhāh, mikha
ナフーム(ナホム書):ナホム Nachūm, nakhum
ハバックーク(ハバクク書):ハバクク Chăbhaqqūq, khavakuk
ツェファニヤー(ゼファニヤ書):ゼファニヤ Ŝəphanyāh, tsfanya
ハッガイ(ハガイ書):ハガイ Chaggay, khagay
ゼハリヤー(ゼカリヤ書):ゼカリヤ Zəkharyāh, zkharya
マルアーヒー(マラキ書):マラキ Mal’ākhī, mal'akhi
キリスト教はユダヤ教の伝統から出現したナザレのイエスの活動から始まる宗教であり、旧約聖書に記された預言者たちをユダヤ教と同様に預言者と認める。ニカイア・コンスタンティノポリス信条では、「聖霊は……預言者をもってかつて語った」と告白する。

キリスト教ではイエス自身を預言者とは看做さず、神の子にして救世主(メシア)(この場合はイエス・キリスト)であると信じる。先の信条の引用から伺えるように、カトリックやプロテスタントなど一般のキリスト教派にとって、預言者とは過去のもの、すなわちイエス以前のものである。したがってこれらの教会は、旧約聖書の預言者や新約聖書に「預言者」として言及されるイエス以前に活動していた若干名以外に、預言者をたてない。預言の活動自体はキリスト教内にも行われ、預言を行う信徒たちは、当時、預言者と呼ばれていたことが、新約聖書文書から伺えるが、教会の慣習としては、それらイエス以降に預言を行うものを預言者とは呼んでいない。

一方、キリスト教から派生したモルモン教などの新興宗教では、自派の指導者(大管長)を預言者とするものがある。

ユダヤ教とキリスト教を取り入れて誕生したイスラム教においては、預言者(ナビー)は神の言葉を伝えて人々を正しい方向へ導く者のことであり、使徒(ラスール)もほぼ同義に使われる。

イスラーム教は、旧約聖書の預言者たちや、新約聖書のイエス(イーサー)も歴代の預言者として認め、中でもノア(ヌーフ)、アブラハム(イブラーヒーム)、モーセ(ムーサー)、イエス(イーサー)、ムハンマドを「五大預言者」として位置づけるが、イスラームを説いたムハンマドが最高最後の預言者であり、ムハンマドが神から預かり伝えた言葉がすなわちクルアーン(コーラン)であるとみなす。クルアーンはアラビア語によってアラビア人に伝えられた聖典であると同時に神自身の言葉をそのまま伝える唯一の聖典であるから、アラビア人だけでなく全ての人類が受け入れるべき最良の聖典であると考えられている。

旧約聖書で預言者に対応する最も一般的なヘブライ語はナービー (nabi) である。この語源には様々な説が提示されているが、有力なのはアッカド語起源で「与えられた者」もしくは「語る者」を意味したという説である[1]。

古典ギリシア語では、プロフェーテース (προφήτης, Prophetes) の語があてられた。本来これは「代わりに語る者」の意味であり、この場合は「神の代弁者」の意味を持つ[2]。なお、接頭辞προ- には「代わりに」のほかに「前に」の意味もあることから、「前もって語る人」を語源的意味とする論者もいるが、その場合でも聖書の文脈では「神の代弁者」の意味で用いられていたと断っている[3]。

とはいえ、聖書の預言には、未来を対象とするものも少なからずあるため、「前もって語る人」の側面を含むのも事実である。結果として、この語から派生した英語の Prophet やフランス語の Prophète は、「神の代弁者」と「(聖書と結びついているかに関わらず)未来を語る者」の二通りの意味を持っている(ただし、「未来を語る者」については、英語では Foreteller なども、フランス語では Prédiseur などもそれぞれ用いられる)。

現在の日本語で Prophet に対応しているのが、「預言者」である。これは漢訳聖書の訳語に由来する。清代には、西洋の宣教師らによって複数の漢訳聖書が作られた。18世紀書初頭のジャン・バセ訳(『四史攸編』)や1813年のロバート・モリソン訳(『新遺詔書』)では「先見」の訳があてられたが、19世紀半ばには「預言者」の語をあてるものもあったようであり、1860年代初めに日本人向けに作成されたヘボン訳『新約聖書』(四福音書のみ)では後者に基づいて「預言者」が採用された。[4]

ただし、「預」は「豫」(「予」の旧字体)の俗字であり、中国では「預(あらかじ)め語る者」の意味でしかない。一方、日本では「預」に「預かる」という本来の用法にはなかった意味が加わっていたことから、漢語としての由来を知らぬ者が、プロフェーテースの原義に引きずられて、神の言葉を「預かる」者が「預言者」、未来や人の運勢などを予め語る者を「予言者」と理解した。

本来は「副詞+動詞」という構造であった「預言」という語を、みだりに動賓構造(動詞+目的語)に置き換えることは明らかな誤りであるとしてこれを問題視する見解もあるが[5]、他方で上記のような誤用の経緯をきちんと踏まえた上で、「神の代弁者」と「未来を語る者」とを区別する便宜的な訳し分けとして存続してもよいとする専門家もいる[6]。

現在のウィキペディア日本語版では、「預言」と「予言」の区別は上記の通り本来誤用であることを認識しつつも、辞書類などでも採用されている広く人口に膾炙した区別であることや、上記の通り専門家の中にも是認する者がいることから、「預言者」を「神の代弁者」、「予言者」を「未来を語る人」の意味に用いている。

この区別を踏まえて、ある予言者(例えばノストラダムス)は神の言葉(預言)を聞いた、と解釈する場合に、その予言者を「預言者」と呼ぶことがある。

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青柳洋介

2008年4月 8日 (火) アート & サイエンス | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

大天使

Wikipediaより

【大天使】(archangel)天使の9階級中の第8階級の天使。ガブリエル、ミカエル、ラファエル

ガブリエル - 「神のことばを伝える天使」

ミカエル - 「ユダヤ人の守り手」

ラファエル - 「癒しをつかさどる天使」

---ガブリエル

ガブリエル(ヘブライ語名 ガヴリーエール גַברִיאֵל、アラビア語名 ジブリール جِبرِيل)は旧約聖書『ダニエル書』にその名があらわれる天使。ユダヤ教からキリスト教、イスラム教へと引き継がれ、キリスト教ではラファエル、ミカエル、ウリエルと共に四大天使の一人であると考えられてきた。また、容姿は女性で描かれる事が多い(日本ハリストス正教会ではロシア語読みからガウリールとよばれる)。

聖書においてガブリエルは「神のことばを伝える天使」であった。ガヴリーエールという名前は「神の人」あるいは「神は力強い」という意味である。ガヴリーエールは、しばしば剣と盾を持ってエデンの園の入り口を守るミカエルと混同されることがある。

ユダ王国の滅亡からバビロン捕囚時代を舞台に書かれた旧約聖書の『ダニエル書』の中で、預言者ダニエルの幻の中に現れるのがガヴリーエールであり、神がその名前を呼ぶ場面がある。(8章15節~17節参照)ダニエルは幻の意味について思い悩むが、そこへガヴリーエールが幻の意味を解き明かすために現れる。ガヴリーエールは「終わりの日」に関するその幻の意味についてダニエルに説明する。ガヴリーエールはキュロス王の出現と、ユダヤ人の解放、エルサレム神殿の再建について語る。3世紀のラビ・シメオン・ベン・ラキシュは、ガヴリーエールという名前や天使の思想はユダヤ人が新バビロニア王国に捕囚されていた時代にバビロニアの宗教の影響によって取り込まれたものだという説を唱えた。この説は現代の学者たちによっても広く受け入れられている。『タルムード』では太祖ヨセフに道を示したのも、モーゼの遺体を運んだのもガヴリーエールであるとされている。

ガブリエルはキリスト教の伝統の中で「神のメッセンジャー」という役割を担うことが多い。たとえば『ルカによる福音書』では祭司ザカリアスのもとにあらわれて洗礼者ヨハネの誕生をつげ、マリアのもとに現れてイエス・キリストの誕生を告げる。聖書本文に名前は出ないが、伝統的に『ヨハネの黙示録』にあらわれて、ヨハネに神のことばを告げる天使もガブリエルであると考えられてきた。カトリック教会ではガブリエルは通信事業の守護者であり、その聖名祝日はラファエル・ミカエルと共に9月29日である。

ガブリエルがマリアを訪れてイエスの誕生を告げた出来事は「お告げ」あるいは「受胎告知」といわれ、カトリック教会では3月25日に記念されている。聖母マリアの純潔を示す、白百合を携えて描かれていることが多い。のまた、ロザリオの祈りの喜びの元儀の第一元儀はこの「お告げ」の出来事になっている。

正教会のイコノスタシスではしばしば天使ミカエルとともに王門脇の扉上にガブリエルのイコンが描かれる。

ユダヤ教、キリスト教から天使の姿はイスラム教にも受け継がれた。イスラム教ではガブリエルはジブリールと呼ばれている。 イスラム教では、ジブリールがアッラーフの命を受け、預言者ムハンマドに『クルアーン』をもたらしたとされるため、ジブリールは天使の中で最高位とされる(カイロ版2章97節等)。

610年頃、ムハンマドは突如金縛りに襲われる。そのとき天から大天使ジブリールが現れ、「誦め(よめ)」と言う。ムハンマドは「何を誦めと言うんですか?」と苦しさを堪えて尋ねたところ、ジブリールはフッと消えていった。この時点よりイスラム教は成立したと言われている。
---ミカエル

ミカエル(ヘブライ語:מיכאל)は旧約聖書『ダニエル書』にその名があらわれる天使。ユダヤ教からキリスト教、イスラム教へと引き継がれ、キリスト教ではラファエル、ガブリエル、ウリエルと共に四大天使の一人であると考えられてきた(日本ハリストス正教会ではロシア語読みからミハイルとよばれる)。キリスト教、ユダヤ教においてもっとも偉大な天使である。 また、かつて神に反逆し、堕天使となったルシフェルとは、双子の兄弟であったという伝説があり、ミカエルの方が弟にあたる。

『ダニエル書』においてミカエルは天使長たちの一人としてペルシアの天使たちと戦うためにつかわされている。ミカエルという名前を直訳すれば「神に似たるものは誰か」という意味になるが『タルムード』によれば「誰が神のようになれようか」という意味だとされる。3世紀のラビ・シメオン・ベン・ラキシュは、ミカエルという名前や天使の思想はユダヤ人が新バビロニア王国に捕囚されていた時代にバビロニアの宗教の影響によって取り込まれたものだという説を唱えた。この説は現代の学者たちによっても広く受け入れられている。R.A.トーレイのあらわした『聖書知識の宝庫』(Treasury of Scripture Knowledge)によればミカエルはイエス・キリストの天上における名称であるというが、ほとんどのキリスト教徒はこの説を受け入れていない。

ミカエルの姿は旧約聖書の外典である『エノク書』を通じてキリスト教徒へと伝えられた。カトリック教会などではミカエルは、大天使ミカエルあるいは聖ミカエルという名で知られる。正教会では神使ミハイルと呼ぶ。オカルティストはミカエルに、赤色・南・炎といった属性を付与しているが、キリスト教とはあまり関係がない。

旧約聖書の中でミカエルの名前が出るのは『ダニエル書』のみである。その中で断食後のダニエルの見た幻の中でミカエルがイスラエルの守り手として現れる。旧約聖書にミカエルの名前があらわれるのはこの箇所だけである。聖書学者たちの中には『ヨシュア記』の中にすでにミカエルの姿の原型があらわれていると考えるものもある。

旧約聖書そのものにはミカエルへの言及がほとんどないにもかかわらず、ラビ伝承によってミカエルはさらに多くの役割を与えられることになった。『ダニエル書』に描かれるイスラエルの守護者というイメージから、ミカエルと堕天使サマエルとの争いという伝承が生まれた。サマエルは時としてサタンと同一視されることもあり、もともと天使であったが天国から追放されて堕天使となったとされる。サマエルが天国から突き落とされたとき、ミカエルの羽を押さえ込んで道づれにしようとしたが、ミカエルは神自身によって救い上げられたという。また、ロトを壊滅するソドムから逃げ出させたのも、イサクがいけにえにされるのをとめたのも、モーセを教え諭して導びいたのも、イスラエルに侵攻するセンナケリブの軍勢を打ち破ったのもミカエルであるとされている。旧約聖書外典『モーセの昇天』に描かれたミカエルとサマエルの死闘は、のちに竜(悪魔の象徴)と争うミカエルというイメージを生み出した。

ラビたちによって天使へのゆきすぎた信心が規制されるようになっても、ミカエルのみは「イスラエルの守り手」として特別な地位を保たれた。ユダヤ教ではミカエルへの祈りが盛んにつくられている。ほかにも天上のエルサレムへユダヤ教徒の魂を迎え入れるのも、終わりのときにラッパを吹き鳴らすのもミカエルであるとされている。中世以降、カバラ思想が発達していくと、イスラエルの守りミカエルは、そのまま「ユダヤ人の守り手」となった。

ミカエルは旧約聖書外典である『エノク書』にもあらわれる。『エノク書』は初期キリスト教徒たちの間で広く読まれていたようで、新約聖書の『ユダの手紙』や『ヨハネの黙示録』にもミカエルへの言及がみられる。黙示録ではミカエルが天使を率いて赤い竜(サタン)と戦う場面が描写されている。新約聖書外典である『モーセの黙示録』ではモーセがシナイ山で十戒を受けたとき、十戒を記した石板をモーセに渡したのはミカエルであるとされている。

その後、ミカエルは人ではないが聖人の一人としてキリスト教徒の間で広く崇敬されるようになった。キリスト教徒たちはミカエルをラファエル、ガブリエルとならぶ三人の大天使の一人であるとみなした。ミカエルは守護者というイメージからしばしば山頂や建物の頂上にその像がおかれた。ルネサンス期に入ると、ミカエルはしばしば燃える剣を手にした姿で描かれるようになった。中世においてミカエルは兵士の守り手、キリスト教軍の保護者であった。現代のカトリックでは、兵士ではなく警官や救急隊員の守護聖人になっており、地域ではドイツおよびウクライナの守護聖人とされている。

カトリック教会における日本の守護聖人もかつてはミカエルであるとされた。これはフランシスコ・ザビエルによって定められたが、のちにフランシスコ・ザビエル自身が日本の守護聖人とされている。

カトリック教会ではミカエルはラファエル、ガブリエルと共に9月29日が祝い日になっており、かつてイギリスの大学ではこの日が始業日であった。カトリック教会ではミカエルにささげられた教会や修道院が492年に作られたカシノ山の聖堂(イタリア)をはじめ多数つくられたが、もっとも有名なものとしてフランスのモン・サン・ミッシェルがあげられる。

正教会ではしばしばガウリイル(ガブリエル)とともにイコノスタシスの門に描かれる。

末日聖徒イエス・キリスト教会では人祖アダムの天上における姿がミカエルであると考えられている。エホバの証人においてはミカエルとイエスは同一人物であるとされている。

イスラム教ではミカエルはミカール(ミーカーイール)と呼ばれる。彼は四人の大天使(ミカールとジブリール、アズラーイール、イスラーフィール)の一人であるとされ、『クルアーン』の中でもミカイルについて言及されている箇所がある(カイロ版2章(雌牛の章)98節)。
イスラームでは、ジブリール(ガブリエル)が神と預言者ムハンマドの仲立ちをし啓示をもたらしたとされるため、天使の首位を占めるのはジブリールであり、ミカイル(ミカエル)は次点であるとされている。

---ラファエル

ラファエル(英・独:Raphael、仏:Raphaël、ヘブライ語:רפאל)はユダヤ教に由来し、キリスト教へと引き継がれた天使。キリスト教ではミカエル、ガブリエルと共に三人の大天使の一人であると考えられてきた。ラファエルについては聖書の中でほとんど言及されていないが、唯一旧約聖書外典の『トビト記』にあらわれる。(各宗派での『トビト記』の位置づけについては後述。)イスラム教ではイスラーフィール(アラビア語:اسرافيل)として知られる。

ラファエルという名前はヘブライ語で「神は癒される」という意味であり、ユダヤ教の伝統で癒しをつかさどる天使であるとされてきた。3世紀のラビ・シメオン・ベン・ラキシュは、ラファエルという名前や天使の思想はユダヤ人が新バビロニア王国に捕囚されていた時代にバビロニアの宗教の影響によって取り込まれたものだという説を唱えた。この説は現代の学者たちによっても広く受け入れられている。

キリスト教はユダヤ教から多くの思想を受け継いでいるが、天使の思想もその一つである。ラファエルは後にユダヤ教徒によって正典からはずされた『トビト記』にのみ、その名前が出る。『トビト記』ではラファエルは人間の姿で現れ、「アナニアスの子アザレア」としてトビトの息子トビアスの旅に同伴する。ラファエルは道中トビアスを守り、目が見えなかった父トビトを癒した後で、自分がラファエルであることをつげる。『トビト書』の12章で自らについて、ラファエルは自分がトビトの目を癒し、義理の娘サラを悪魔アスモダイから救うためにつかわされたと語る。

もともと『トビト記』はユダヤ教徒によっておおむね受け入れられていた。そのためキリスト教がユダヤ教からわかれた時点でキリスト教徒たちは『トビト記』を旧約聖書の一部として受けついだ。しかし後にユダヤ教徒は『トビト記』を正典からはずしている。『トビト記』はこのようにキリスト教徒によって旧約聖書正典として受け入れられたが、セプトゥアギンタよりマソラ本を重視したマルティン・ルターによってふたたび正典からはずされたため、現代ではカトリック教会と正教会だけが正典としている。

新約聖書では、ガブリエルとミカエルの名前はあらわれるが、ラファエルの名前は出ない。ただ『ヨハネによる福音書』の5章で言及されている「ベトサダの池で時折水を動かして癒しを行う主の天使」がラファエルと結びつけて考えられている。

ミカエル、ガブリエルと比べるとラファエルにささげられた教会や修道院ははるかに少ない。わずかにアメリカ合衆国のアイオワ州ドブクェに聖ラファエル司教座聖堂がある程度である。キリスト教文化圏ではしばしば地名や都市名に聖人の名前を冠する伝統があるが、ラファエルのついた地名もまたそれほど多くはない。それでもいくつかの例をあげるとフランスおよびカナダのケベック州にはサン・ラファエルがあり、ボリビア、アルゼンチン、コロンビア、チリ、ペルー、メキシコなどのラテンアメリカ諸国にもサン・ラファエルスという地名がある。アメリカ合衆国ではもともとメキシコ領だった名残でサンラファエルズという地名がカリフォルニア州に残る。近くにサン・ラファエル山脈や特定の季節のみあらわれるサン・ラファエル川などがある。

カトリック教会における祝い日は、ガブリエル、ミカエルと同じ日で9月29日である。

キリスト教と直接関係はないが、中世のオカルティストたちは天使たちにさまざまな属性を付与する中で、ラファエルには黄色、東方、空気といった属性が与えている。

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青柳洋介

2008年4月 8日 (火) アート & サイエンス | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

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