あなたたちが目指すべきは、教祖、オリジンです・・・
イエスキリストが何を行なったか?
釈迦が何を行なったか?
ムハンマドが何を行なったか?
まずは、初心に、原点に帰らないとダメなのでは?
彼らの代弁者が、大きな教会や、ムスクや、寺を作っただけ・・・
聖典も同じようなものだろ?
教会やムスクや寺にこもって、礼拝を上げることが本来のミッションかを考えろ!
あなたがたの信者同士で、殺し合いをしている・・・
地獄絵図じゃないか?
信者や信徒に対して、責任を持て!
Creator Aoyagi YoSuKe
よって、クリスマスに際して・・・
新世紀のクリスマスにふさわしい・・・
ローマ法王、野蛮な信徒の身代わりとなり、テロリストに十字架で処刑される・・・ 2008年12月25日
新世紀のキリストは、ローマ法王だった・・・
エラーを起こしているのは、あなた方です・・・
僕ではありません。情報でもありません。コンピュータでもありません。
情報はウソをつかない。コンピュータもウソをつかない。
ウソをつくのは、人にあらず、人でなし・・・
らっぱ吹き係が、らっぱを吹く、進軍ラッパを吹く・・・
ホラ吹き係が、ホラを吹く、進軍ほらを吹く・・・
P.S.
Ave Maria
《カト》天使祝詞、アベマリア、聖母マリアの祈り◆【略】AM◆【同】Hail Mary
P.S.
やっと、思い出した・・・ スジャータ・・・
(出典)
http://k.hatena.ne.jp/keywordblog/めいらくグループ
釈迦は6年にわたる生死の境を行き来するような激しい苦行を続けたが、苦行のみでは悟りを得ることが出来ないと理解する。修行を中断し責めやつしすぎた身体を清めるためやっとの思いで付近のネーランジャー川(尼連禅河)に沐浴をしたとき、たまたまスジャータが森の神に供物の乳糜(牛乳粥)を捧げるために付近を通りかかり、川から上がったもののまさに命尽きようとしていた釈迦にこの供物を捧げた。
故秋野不矩さんの絵本
『きんいろのしか』
少年と少年を取り囲む牛たちとの交感の絵・・・ これは、奇跡の絵の一枚です・・・
少年と牛たちは、話し合っている・・・ コミュニケーションしている・・・
「変人」のFujitaも、「良心」の不矩さんも、、、
最後は、神や仏の世界に行った・・・
【醍醐味】だいごみ
①[仏]醍醐のような最上の教え
②醍醐のような味
③深い味わい、ほんとうのおもしろさ。
【醍醐】だいご
五味の第5。乳を精製して得られる最も美味なるもの。仏教の最高真理にたとえる。
【五位鷺】ごいさぎ
(醍醐天皇が神泉苑の御宴の折、五位の位を与えた故事による名という)
見栄えは良くありません。ずんぐり、むっくりの・・・ 変な鳥・・・ 一度か、二度、この近くで見かけた・・・
中型のサギ。背は緑黒色で、翼・腰・尾は灰色、、、
とてもじゃないが、見目麗しくとは逆・・・ 真っ白で細身のコサギとは、正反対の不細工なやつ、、、という感じですが・・・ 笑い

イスラムの絵を1枚拝借します・・・(イラクのSunshineから、借りました)
大黒さま(出雲大社から、借りました)
キリスト教、仏教(曼荼羅など)の絵画は日本では有名なので、、、みなさんご存知だと思うので、略します・・・
やはり、吉宗、この近辺で、鷹狩りをしていた・・・ 「享保の改革」 改革派・吉宗、、、昔、この近辺に出没していた・・・ 米将軍とも呼ばれた?
しかし、平安末期になると、ミルクは急に利用されなくなりました。戦乱が多くなりそれまで牛乳を利用していた朝廷の勢力が衰えたことと、朝廷にかわって政治を司るようになった武士達の間では牛乳はなじみがなく、大豆を利用した味噌や納豆といったものがよく食されたことなどが要因でした。
再度、日本でミルクの文化が芽生えたのは、8大将軍・徳川吉宗のときです。吉宗は馬術に興味を持ち、馬の医療用に牛乳やバターが必要だったので、白牛雌雄3頭の輸入を進めました。


(出典)
http://www.mc-club.com/academy/milk/history.html
われわれは、哺乳類・・・ 他の哺乳類と助け合い運動?
牛と人との関わりは旧石器時代に遡(さかのぼ)ります。2万年以上前に描かれたといわれるラスコー洞窟の牛の壁画はあまりにも有名ですね。旧石器人は野生の牛を狩猟の獲物としていました。人が家畜を飼うようになったのは今からおよそ1万年前。はじめは牛よりも小さくて扱いやすい、羊やヤギが飼われました。野生の牛の家畜化は紀元前6000年頃。今のイラクのジャルモ遺跡から、家畜牛と思われる骨が見つかっています。
牛が人間に飼われるようになっても、始めから乳を搾っていたわけでなく、そもそもは肉や皮が主目的でした。搾乳の始まりはずっと後で、紀元前2900年頃のメソポタミアの神殿壁画に乳を搾る様子が描かれています。牛の乳はヤギの乳よりずっと多量で味もよく、しかも肉と違い屠殺(とさつ)しなくても繰り返し食糧となります。人間にとってまたとない栄養源となったわけです。やがて、乳からバターやチーズ、ヨーグルトといったさまざまな乳製品も作られるようになります。こうした乳利用の文化はエジプトやヨーロッパ、インドへと広まり、永い時を経て飛鳥時代の日本に伝来しました。
アルファベットの「A」は牛の頭の象形文字から派生したといわれています。Aを逆さにするとまさしく牛の顔に見えますね。また、ギリシャ文字のα(アルファ)は牛を意味するAlef(アレフ)という言葉に由来しているといいます。
それだけ牛は重要視されていたんですね。
(出典)
http://www.rakuren.co.jp/milk/his.html
紀元前6500頃、牛は中東(トルコなど)で家畜化されたと推定されています。それ以降、西アジアでの広大な草原にミルクの文化が発祥しました。
さて、日本でミルクの利用が始まったのは6世紀頃といわれています。当時、牛乳は仏教と深いかかわりを持っていました。つまりインドから中国、朝鮮を経て仏教が日本に伝えられた時に、なんとミルクの文化も同時にやってきたのです。
仏教とは紀元前5世紀の初頭、釈迦がインドで始めた宗教ですが、その釈迦が生涯「牛乳の神髄」を求め続けるようになった話しがあります。
釈迦がまだ太子であったころ、奥山で一週間に1食しかとらない絶食の厳しい修行に励んだそうです。悟りをひらいて衰弱しきった体で下山したとき、たまたま通りかかった長者の娘がいっぱいの牛乳を釈迦に捧げました。その牛乳を一口飲んだ釈迦はこれはど美味なものがこの世にあったのかと驚き、そこで悟りをひらいたそうです。
また、仏教の理想を記した涅槃経には「牛より乳を出し、乳より酪を出し、酪より生酥(せいそ)を出し、生酥より熟酥(じゅくそ)を出し、熟酥より醍醐をだす」といった記載があります。醍醐が最高の美味だったそうです。「醍醐味」という言葉がここから来たことは容易に推察できます。
これら5品はいずれも乳製品であり、酪はヨーグルト、酥は濃縮乳、醍醐はチーズかバターオイルのようなものだったと考えられています。
以後、乳製品は貴族の間で滋養強壮剤として重宝され、奈良時代から平安時代にかけて、酥が盛んにつくられました。三宮(天皇・皇后・皇太子)に供御した牛乳の量は1日約5.7リットルだったそうですので、この時代の天皇家ではかなりの量の牛乳が利用されていました。
しかし、平安末期になると、ミルクは急に利用されなくなりました。戦乱が多くなりそれまで牛乳を利用していた朝廷の勢力が衰えたことと、朝廷にかわって政治を司るようになった武士達の間では牛乳はなじみがなく、大豆を利用した味噌や納豆といったものがよく食されたことなどが要因でした。
再度、日本でミルクの文化が芽生えたのは、8大将軍・徳川吉宗のときです。吉宗は馬術に興味を持ち、馬の医療用に牛乳やバターが必要だったので、白牛雌雄3頭の輸入を進めました。
『安房誌』という書物には「享保12年、将軍徳川吉宗は、インド産白牛雌雄3頭を輸入し、さらに嶺岡牧場(今の千葉県)で放牧、繁殖を試みる」という記録が残っています。さらに牛乳から酪酥(白牛酪)を作り、薬用にしたとも書かれています。これが、今の酪農の元祖とされています。
寛政4年、11代将軍・徳川家斉のときに嶺岡牧場の白牛は70頭までふくれあがり、その一部を江戸に移して白牛酪の製造を始めました。さらに家斉は医師の桃井虎に『白牛酪考』1巻を書かせて薬効を一般庶民にも知らせました。この時代、白牛酪は主に将軍家や大名の間で肺結核に効く妙薬とされていました。
1853年の黒船来航以降、日本に西洋文化がどんどん入ってきました。西洋文化は日本に新しい思想、生活習慣をもたらしましたが、「牛乳を飲む」習慣もこのころ始まりました。
前田留吉によって日本で初めて牛乳が販売されたのは、文久3年(1863年)のことです。
文明開化に伴い、牛乳を飲む習慣が広がるであろうことを予測した留吉は、搾乳技術をオランダ人から習得し、横浜で和牛6頭を飼い最初の牛乳事業を始めました。
当時、日本人には牛乳を飲む習慣がまだまだ普及していなかったため、商売相手は外国人でした。しかし留吉の努力の結果、牛乳事業は横浜から東京へと移り、多くの人が事業に参加しました。
その後、海外から優れた乳牛が導入・改良され、牛乳の需要の拡大とともに牛乳事業は盛んになっていきました。明治中頃には蒸気殺菌の技術をアメリカから取り入れ、殺菌牛乳と称して販売され始めました。
これが大好評であったため、次第に殺菌していない牛乳は販売されなくなり、ガラス瓶に入った殺菌牛乳が一般大衆にハイカラ飲料としてもてはやされるようになりました。
こうして日本における牛乳の飲用は、江戸末期から明治維新にかけて文明開化の嵐の中で始まりました。
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