ティンガティンガという絵画スタイルは、1960年代末、ダルエスサラームで生まれた。
この画法の創始者のE.S.TINGATINGA(1937〜1972)はタンザニア南部の村で生まれ育った。
故郷を出て、ダルエスサラームで肉体労働をするようになったのだが、やがて失業する。
絵を描くことが好きだった少年時代を思いだし、食うために絵を描きはじめる。
絵筆を握ったのは30歳過ぎてからであったが、社会的に注目されるのは早かった。
でも、その後、2年半でこの世を去った。アフリカにおける写楽である。
「ティンガティンガ(1)」(1990年刊) 「ティンガティンガ(2)」(1992年刊)
この二冊の著書は共に… 白石顕二・山本富美子 = 編者・共著 講談社
上記の文章は(2)の白石顕二による解説文を抜粋したもの。
ここは
ンゴロンゴロ自然保護区の入口のあたりなのだが、タンザニアの観光地に行くと、必ずと言っていいほど、こんな土産物屋に出会う。日本の土産物屋とちょっと違うところがある。
近づいてみると、吹田市にあるミンパク(国立民族学博物館)のような雰囲気が漂ってくる。
日本のように名物の饅頭や最中は置いてなく、埃をかぶったガラクタがかき集められてある。
店内には彫刻や絵画がギッシリと展示してあり、大きめの絵はこのように屋外展示となる。
砂埃がしている…雨が降り出したら…と思うのだが、ペンキのような画材(エナメルペイント)なので大丈夫なのだろう。これがティンガティンガという絵画。独自の画法で人気があるのだ。
こちらはザンジバルのストーンタウンの
「オールド・アラブ砦」という要塞の中にある芸術村。
古い城壁を見せる観光地なのだが、色鮮やかなティンガティンガの方に目が向いてしまう。
ザンジバルの島内にいる動物は猿と犬ぐらいなのだが、絵には象やキリンが描かれている。
ま、ティンガティンガという絵画スタイルは、描く場所が変わっても、作者が違っていても…
いつも同じ様式を守っている。上の2点のキリマンジャロの絵は作者も違うし、時代も違う。
頂きは左が主峰で、右がマウェンジという副峰。このように描いた絵は他にもたくさんあった。
[65]でも紹介した右の絵の右上、レイヨウ類のガゼルなのだが、この描き方にご注目。
いろいろな画家が同じフォルムで描いている。こうなってくると、誰が誰の真似をしたのかわからなくなる。
トムソンガゼルのキュートな感じを表現すると、このようになるのが必然なのか。
さて、冒頭に出てくる創始者ティンガティンガの絵はヨーロッパの蒐集家に買い集められ、モノクロの写しでしか見られないのだが、デフォルメの方法に独特のものがあったことがうかがえる。
創始者の彼も動物の絵が多いのだが、珍しく風景画があった。
聖ジョセフズ教会を描いたものなのだが、絵と写真と見比べて、彼のデフォルメの方法をあなた自身で考察してみてください。
余談になりますが、右の写真は
ザンジバルに行く時に船上から撮ったものである。絵は1970年頃描いたもので、その時点ではなかったと思われる渡船場の待合室が手前に建っている。海から眺めた時に融合するように、待合室の屋根や壁、柱の色に配慮がしてあるではないか。美しい!
絵画を鑑賞するのに、あまり理屈っぽくなってはいけないので…
気に入った作品を並べてみます。まずは、動物を描いたもの。
象、キリン、シマウマの絵はたくさんあるのだが、
ライオンは少ない。描きにくいのか?
鳥の絵も多いのだが、デフォルメしすぎて、何の鳥かわからないものがほとんど。
ティンガティンガの30数年の歴史の中で、もっとも進化を証明しているのは、
バックのグラデーションが、年々、多彩になっていることではないだろうか。
創始者ティンガティンガは、1972年、弟子たちと酒を飲んだ後、クルマに乗り、警官にとがめられ、カーチェイスとなり、銃弾が当たり即死している。センセーショナルな最期だった。でも、
彼は彼が創ったスタイルを逸脱することのない後継者に恵まれ、今日の隆盛を迎えている。
問題は、これらの絵画が「芸術」なのか、「土産物美術」なのか。
1960年代末、創始者は「食うために」描き始めたのだが、
今日、これらの絵画を見て、あなたはどうお考えになりますか?
ティンガティンガの作品をもっとたくさんご覧になりたい方は
こちらを。
0 件のコメント:
コメントを投稿