水曜日, 5月 02, 2007
War
Lyrics Bob Marley
What life has taught me
I would like to share with Those who want to learn...
Until the philosophy which hold one race
Superior and another inferior
Is finally and permanently discredited and abandoned
Everywhere is war, me say war
That until there are no longer first class
And second class citizens of any nation
Until the colour of a man's skin
Is of no more significance than the colour of his eyes
Me say war
That until the basic human rights are equally
Guaranteed to all, without regard to race
Dis a war
That until that day
The dream of lasting peace, world citizenship
Rule of international morality
Will remain in but a fleeting illusion
To be persued, but never attained
Now everywhere is war, war
And until the ignoble and unhappy regimes
that hold our brothers in Angola, in Mozambique,
South Africa sub-human bondage
Have been toppled, utterly destroyed
Well, everywhere is war, me say war
War in the east, war in the west
War up north, war down south
War, war, rumours of war
And until that day, the African continent
Will not know peace, we Africans will fight
We find it necessary and we know we shall win
As we are confident in the victory
Of good over evil, good over evil, good over evil
Good over evil, good over evil, good over evilAoyagi YoSuKe
戦争
詩 ボブ・マーリィ
訳 青柳洋介
人生が僕に教えたことを
学びたい人と分ちあいたい
この哲学が
つまり、民族に優劣をつける哲学が
最終的に永遠に拒否され、捨て去られるまで
戦争は終わらない、と僕は言う
階級がなくなるまで
すべての国で市民が平等になるまで
肌の色が
目の色よりも重要でなくなるまで
戦争が起きる、と僕は言う
平等な基本的人権が
民族に関わらず、すべての人に保障されるまで
戦争だ
その日が訪れるまで、つまり
永遠の平和、世界市民
国際モラル規範の夢が
儚い幻想ではなく、われわれのものとなるまで
達成されなければ、説得を続ける
今は、世界各地で戦争が起こっている
恥ずべき不幸な体制が
アンゴラやモザンビークに課されている体制が
南アフリカの奴隷制が
転覆され、完全に破壊されるまで
そう、世界各地で戦争が起きる、と僕は言う
東でも西でも戦争
北でも南でも戦争
あちこちで、戦争、戦争、戦争、、、
その日が訪れるまで、アフリカ大陸は
平和にならない、アフリカ人は戦う
戦わねばならない。勝つことは分かっている
勝利を確信している
善は悪に勝つ、善は悪に勝つ、善は悪に勝つ
善は悪に勝つ、善は悪に勝つ、と確信している
詩 ボブ・マーリィ
訳 青柳洋介
アンゴラについて - wiki
独立と内戦
詳細は「アンゴラ内戦」を参照
しかし、MPLAに主導権を握られるのを嫌ったアンゴラ国民解放戦線(FNLA)・アンゴラ全面独立民族同盟 (UNITA) 連合がウアンボ(旧ノーヴァ・リスボン)にアンゴラ人民民主共和国の独立を宣言し、独立直後から、ソ連及びキューバの支援するアンゴラ解放人民運動 (MPLA)とアメリカ合衆国と南アフリカ共和国が支援するFNLA、UNITA連合の間で内戦状態に陥った。結局キューバ軍の支援を受けたMPLAが首都防衛に成功し、政権を掌握した。しかし、1975年の時点で50万人を数えたポルトガル系アンゴラ人の入植者の大規模な引き上げや、戦争によるインフラ、農地の荒廃によってアンゴラの産業は大混乱に陥った。
1979年9月、ネト議長が死去し、第2代大統領にジョゼ・エドゥアルド・ドス・サントスが就任。アンゴラ政府はソ連など社会主義陣営との結びつきを強め、MPLAによる社会主義一党独裁制を敷いた。しかし、この間もUNITA/FNLAとの内戦(アンゴラ内戦)が続いたため、多くの人命が失われ、経済は疲弊。さらに戦闘や地雷で負傷してしまった人々も多く発生した。アンゴラ内戦は、政府・反政府勢力がそれぞれ米ソの後援と、それぞれの勢力の代理人であった南アフリカ共和国(アパルトヘイト時代)とキューバ(カストロ政権)の直接介入を受けていたことから、東西冷戦の代理戦争と言われている。
FNLAは1984年に降伏し、南アフリカとキューバも南アフリカがクイト・クアナヴァレの戦いでアンゴラ=キューバ連合軍に侵攻を阻止された後に、当時南アフリカ領だったナミビアの独立とキューバ軍のアンゴラ撤退を交換条件に撤退した。外国軍の撤退後、冷戦体制と社会主義圏の崩壊と共にMPLA政権は1990年に社会主義路線を放棄し、翌年には複数政党制の導入を決めた。ポルトガル政府の仲介で1991年5月、MPLAとUNITAがリスボンで和平協定に調印。しかし1992年の大統領選および議会選をめぐる対立から再び内戦に。国連の仲介で1994年11月に和平がなったが、1998年に武装解除に抵抗したUNITAの再蜂起により内戦が再燃した。
2002年2月、UNITAのジョナス・サヴィンビ議長が戦死。和平機運が高まり、3月15日に双方は休戦で合意した。4月4日に休戦協定が結ばれ、27年間の内戦に終止符が打たれた。
内戦終結以降
2002年に内戦が終結すると、飛地のカビンダを除いた全土で1961年以来はじめての恒久的な平和がアンゴラに築かれた。内戦終結後、ダイヤモンドや石油の輸出によってアンゴラ経済は急速に拡大しており、周辺国との友好も続いている。しかし、世界一ともいわれる地雷の敷設や政権の腐敗など、課題は多い。
政治
詳細は「アンゴラの政治」を参照
大統領を元首とする共和制国家であり、220名の議席数からなる一院制の人民議会を擁する。現行憲法は1992年憲法である。
独立以前からの独立闘争と、建国後の1975年から2002年まで続いた内戦により、極めて不安定な時期が長く続いたが、2002年の内戦終結によりようやく安定の兆しが見えている。
主要政党はアンゴラ解放人民運動(MPLA)、アンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)、社会改革党、アンゴラ民族解放戦線(FNLA)、新民主選挙連合など。
国際関係
独立時に主導権を握ったのが社会主義を掲げるMPLAだったために、冷戦中は国内の内戦の状況がそのまま親東側政策に結びつき、反政府ゲリラを支援する中華人民共和国や南アフリカ共和国、アメリカ合衆国、ザイールなどとは敵対政策が続いたが、冷戦終結後は西側諸国との友好関係を深め、全方位外交を行っている。
ポルトガル語諸国共同体の一員であり、ポルトガルやブラジル、カーボ・ヴェルデ、モザンビークなどポルトガル語圏の国々(ルーゾ・フォネア)とは深い絆を保っている。
隣国コンゴ民主共和国が不安定な情勢であるため、アンゴラによる軍事介入が行われており、国内にはコンゴ民主共和国人の難民も流入している。
対日関係は1990年代以前は希薄であったが、内戦の終結や豊富な資源等の発見などにより、次第に関係を深めている。2005年には日本大使館が開設された。民間からも難民を助ける会などのNGOが現地で援助活動をしていた[5]。
中国の台頭
内戦中反MPLA派のゲリラを支援していた中華人民共和国は、冷戦終結後はアンゴラの友好国となった。中華人民共和国はインフラ整備のためにおよそ20万人[要出典]の労働者を送り込み、2007年までに1兆5000億円の資金援助をした。アンゴラは原油の1/4を中国に輸出しており、最大の輸出先となった。アンゴラに利益を還流しない中国の方法にはアンゴラ人からの批判もあり、2004年には反中デモも起きたが、MPLA政権はこれを弾圧した[6]。
0 件のコメント:
コメントを投稿