これは、人類を頂点とした食物連鎖というよりは、ガイアビオトープ内での食物循環である・・・
これは、悪というより自然の摂理である。必要悪である。
だが、必要以上の食いすぎは悪なのかもしれない。
また、食いすぎか否かは、個体差が大きい。ここが難しい点である。
腹8分目、足るを知る、これは意外に難しいのである - 布袋さま
布袋さま

寿老さま
きく姫さんが言っていた牛の話は、寿老さま系の話である・・・
これは中国の老荘思想の話である。自然哲学の話である。
よって、儒教とは大きく異なるし、道教とも異なる。
十牛図
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
十牛図(じゅうぎゅうず)は、禅の悟りにいたる道筋を牛を主題とした十枚の絵で表したもの。中国宋代の禅僧、廓庵(かくあん)によるものが有名。
以下の十枚の図からなる。ここで牛は人の心の象徴とされる。またあるいは、牛を悟り、童子を修行者と見立てる。
尋牛(じんぎゅう) - 牛を捜そうと志すこと。悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。
見跡(けんせき) - 牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。
見牛(けんぎゅう) - 牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。
得牛(とくぎゅう) - 力づくで牛をつかまえること。何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。
牧牛(ぼくぎゅう) - 牛をてなづけること。悟りを自分のものにするための修行を表す。
騎牛帰家(きぎゅうきか) - 牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿。
忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん) - 家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。
人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう) - すべてが忘れさられ、無に帰一すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。
返本還源(へんぽんげんげん) - 原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りとはこのような自然の中にあることを表す。
入鄽垂手(にってんすいしゅ) - まちへ... 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。
巻子、画帖など、また掛幅1幅に10描いたものもある。頌を加えたものは少なく、ほとんどが絵のみで、文字をまじえない。中国伝来のものもあるが、日本の室町時代以後の禅僧、また絵画の各派の画人によって制作されたものが多い。
1) 尋牛

略)
10) 入鄽垂手

人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう) - すべてが忘れさられ、無に帰一すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。
これは、ネイティブ・アメリカンの大シャーマンの境地と似ている・・・
大シャーマンは本来の自然な姿で、アメリカの草原の中で生きていた・・・
政治は論、経済は指標、健康は気から・・・
をお忘れなく・・・
Balance the Power among the World in view of the PoliticsEconomicsDynamics under arranging the World Ecology.
意味は分かりますよね?
大義名分(論)のもとに、経済(指標)の好転を目指して、パワーのバランス(力学)を取る。
その作業に際して、エコロジー(生態系)を調整する・・・
生態系が破壊されれば、生き物は生きていけない・・・
政治の大義名分こそ、日本国憲法の遵守である。
よって、日本国憲法は金の卵である - 最上級の国宝
さらに、この金の卵が割れて、ヒナが誕生する。そのヒナこそ、火の鳥、フェニックスである - AO
火の鳥、フェニックスが世界平和の源泉となる - AO
つまり、火の鳥、フェニックスとは? 不死鳥、鳳凰のことである - AO
不老不死とは? シンボルである。鳳凰のシンボルである。個々の人の話ではない - AO

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