これには、このような背景がある。
僕にとっては、酒とタバコの先生である。
「題名のない音楽会」
黛敏郎の息子さん、NHKのディレクターとニアミスしました。
「義経」の打ち上げかな?
僕あてに、密使として、若手ニンジャを使って、意とするところを伝えてきた・・・
おそらく、息子さんは、「葉隠れの術」を使うのでは?
輪廻転生・・・ バーンスタインが作詩しました・・・
火曜日, 4月 03, 2007
Bernstein - translation
Who am i
Lyrics leonard Bernstein(1950)
Who am i
Who am i
Was it all planned in advance
Or was i just born by chance in july
Who on earth am i
My friends only think of fun
They're such a curious a lot
Must i be the only one
Who thinks these mysterious thoughts
Some day i'll die
Will i ever live again
As a mountain lion
Or a rooster, a hen
Or a robin, or a wren, or a fly
Oh, who am i
Do you believe in reincarnation
Do you believe in reincarnation
Were you ever here before
Have you ever had dreams
That you knew were true
Some time before in your life
Have you ever had that experience
So you must question
All the truths that you know
All the love and the life
That you know and say
Who am i
Will i ever live again
As a mountain lion
Or a rooster, a hen
Or a robin, or a wren, or a fly
If i'm one of those lives
That have been reincarnated again
And again, and again
Oh, who am i
僕は、だれ?
詩 レナード・バーンスタイン
訳 青柳洋介
僕は、だれ?
僕は、だれ?
あらかじめ、すべては決まっているのだろうか?
たまたま、7月に生まれただけか?
いったい、僕は、だれ?
友達は面白がるだけ
好奇心を持つだけ
でも、僕は僕でしかない
だれが、こんな不思議なことを考えたのだろう?
いつの日にか僕は死ぬだろう
ふたたび、甦るのだろうか?
マウンテン・ライオンになって
おんどりか、めんどりになって
コマドリかミソサザイか、ハエになって
いったい、僕はだれ?
あなたは、輪廻転生を信じますか?
あなたは、輪廻転生を信じますか?
むかし、あなたはここにいた
たくさんの夢を持っていた
あなたが本当だと思っていたもの
今までの人生で
そのような経験をしたはずでしょう
不思議に思えるでしょう
あなたが知っているすべての真実
すべての愛、人生
これらは、あなたが知っているもの、語ること
僕は、だれ?
僕は甦るのだろうか?
マウンテン・ライオンになって
おんどりか、めんどりになって
コマドリかミソサザイか、ハエになって
この生き物のどれであっても
僕は輪廻転生して甦った
輪廻、輪廻
いったい、僕はだれだろう?
Nina Simone sang this song.
ニーナ・シモンが歌いました。
From Shimokitazawa Harbour on April 3, 2007
Aoyagi YoSuKe Official Site 青柳洋介 オフィシャル・サイト
投稿者 AO 時刻: 4/03/2007 02:19:00 午後
ラベル: アートとサイエンス
今のジャズは、星に願いを、だっけ?
初めて、ジャズ詩を訳した。星に願いを、ピノキオの主題歌・・・
そして、下手な物語、「火星の女」を書いてみた・・・
二重橋前、出光美術館だっけ?
酒屋さんから、チケットを貰って、「肉筆浮世絵」を見た・・・
物語・火星の女に出てくるKという男は、TBSの社員です・・・
何年前? あっという間にトキが経つ・・・
本当に、光陰矢のごとし・・・
No.95
When You Wish Upon A Star
Lyrics by Ned Washington
VERSE
When a star is born
They possess a gift or two
One of them is this
They have the power to make a wish come true
CHORUS
When you wish upon a star
Makes no difference who you are
Anything your heart desires will come to you
If your heart is in your dreams
No request is too extreme
When you wish upon a star as dreamers do
Fate is kind she brings to those who love
The sweet fulfillment of their secret longing
Like a bolt out of the blue
Fate steps in and sees you thru
When you wish upon a star
Your dream comes true
2003/11/30
星に願いを
詩 ネッド・ワシントン
訳 あ洋介!
バース
星がひとつ生まれると
星たちは、ひとつかふたつの贈り物を持ってくる
そのひとつの贈り物は、これだよ
星たちは、願いを叶える力を持っているんだよ
コーラス
星に願いをかければ、
君がだれであっても、みんなと同じように
君の心の願いは、何でも叶うんだよ
君の心が、夢でいっぱいなら、
求めるものは、大きすぎないんだよ
夢見人のように、星に願いをかければ、
運命とはこういうもの。運命は愛し合う人たちの
秘密の願いをやさしく叶えてくれるんだよ
青空からの突然の稲妻のように
運命が訪れて、君と出会うんだよ
星に願いをかければ、
君の願いは叶うんだよ
ある物語(2003/09/11 あ洋介)
1.火星の接近
火星が接近するということを、「星に願いを」を訳するきっかけとなった女の人(火星の女)から聞いていた。火星の女が星に願いをかけようと思ったのは、僕との会話やメールのやりとりからである。彼女とそういう風な会話やメールをやりとりするオリジナルの部分は、また、別の原因があるのだが。
ちょっと、わかりにくいかもしれないが、とにかく、大きな流れの中で、必然か偶然か不明だが、火星が接近するということを聞いていた。僕は、最近、テレビやラジオをほとんど見たり聞いたりしていない。新聞もざっと読む程度で、火星の接近の情報の僕にとってのソースは彼女である。火星の接近について、具体的なことは、他になにもわかってなかった。火星が何に接近するかも知らなかった。
昨日(2003.9.9火曜日)は、ポコが店が休みなので、夕方ころ、下北の椿という焼き豚屋へ行こうということになった。ポコは、お金を住友銀行でおろしたいという。そういえば、銀行の手数料は何時からとられるんだったかな? とか話していた。多分、6時まで無料だと思うよと僕は答えた。下北へ歩いて行くことにし(歩くか、自転車かの選択)、6時少し前に、住友銀行へ着いた。ポコはATMの効率的な使い方を良く知らないので、一旦、お金をおろして、その後、通帳記入をした。手数料は、取られていなかった。
そして、椿へ行った。椿は普通、その時間は、たいてい混んでいることが多いのだが、昨日に限って、他の客は誰もいなかった。焼き豚とビールと焼酎を飲み食いして、椿を出た。下北をぶらぶらしようということになった。ぶらぶらしているうちに、ポコが、映画のスタイリストをメインにやっているまさえちゃんと言う人のことを思い出した。下北のタウンホールのそばである。タウンホールは、世田谷区の持ち物だと思ってたので、スタイリストの仕事(24時間体制でやる)なのに、どうしてできるのか?などの疑問が生じた。そこで、僕が行ってみようといって、中へ入っていった。営業は、基本的に終了しており、エスカレータは、止まっていた。中をぶらぶらしているうちに、エレベータと階段が使えることがわかった。階段で行こうということになり、階段をさがした。閉まっている大きなドアがそうらしい。思い切って開けると、また、ドアがある、いくつかドアを開けて、階段を発見した。地下一階に下りた。まさえちゃんの事務所を探したが、見つからない。ぶらぶらしていると、区役所の職員らしい人が、タバコを吸っていて、どうしたんですか?と聞いてくる。事情を説明すると、ここは、世田谷区が100%もっているわけでなく、小田急もかんでいるということ。まさえちゃんの事務所が24時間体勢で営業できる理由がわかった。この日は、事務所は閉まっていたのだが。正面の階段から、上がれるかその人に聞くと、ロープがあるが、上がれるということなので、階段を上がって、地上へ出た。茶沢通りに面している場所にでた。そこは、小田急バスの発着所の隣であった。小田急と世田谷区が共同で所有していることが、こういうことかと、ピーンと来た。また、ふたたび、下北をぷらぷらする。大麻堂という店のそばを通る。偶然飲み屋で知り合いになって、初対面にもかかわらず、気の会ったお兄ちゃんがそこでバイトをしている。思い出したので、行ってみた。そのおにいちゃんが勧めてくれたお香を以前買ったのだが、若い人向けのか?あまり合わなかった。ネパール産のお香であった。やっぱ、今のところ、チベット産のお香のほうがあっている。その旨をおにいちやんに言った。ダイソーで買ったハーブオイルがあまり良くなかったので、ハーブオイルは、置いてないか?と聞いた。その店には置いてないが、知ってる店があるので、その店の場所を説明してくれた。よくは、わからなかったが、探すことにした。ポコは、ぶーぶー文句を言う。お兄ちゃんから聞いたイメージをもとに探す。それらしい店を見つける。アジア系の雑貨の100円ショップであった。ハーブオイルは、見つかった。ポコもいろいろ、興味をもって、箸などを買った。店をでる。また、ぷらぷらして、飯はどうしよう?とか言ってて、帰ってソーメンでも食おうか?ポコが讃岐うどん屋があったのを思い出す。行ってみようということになり、讃岐うどんを食って、帰途に着く。
ぷらぷら歩いていた。北沢八幡を過ぎたあたりで、ポコが星を発見した。月のそばにあるという。僕には見えなかった。目があんまりよくないので。歩きながら、ポコがしつこく言うので、僕は、メガネを手で傾けて、目を凝らしてみた。見えた。まあるい月のすぐ右下に星があった。帰るみちすがら、ある家のそばを通る。女の子の声がした。2階のベランダから、火星を観察してるらしく、下の道にいる、おばあさんと思しき人と会話していた。ああ、これが、例の火星の接近か!と思った。自宅のマンションで、子供とお母さんと思われる人がいた。空を見ていた。火星見えますか?というと、見えないという。目が悪いらしい。僕は、例のように、メガネを傾けて見た。
そうして、部屋に帰ってきた。僕は、自分の部屋から、火星の女へメールをうった。すぐにメールが帰ってきて、みたみた というメールだった。ぷらっと、テレビのところへ行くと、TVニュースで、火星の接近を流していた(3秒間くらいしかTVは見なかった)。まさに、僕たちが見たものであった。
偶然か必然かは、わからないが、こういう不思議なことがある。火星の接近を火星の女の情報しかしらない、天気のこともしらない、でも見たのだ!!!TVのニュースも3秒間くらいしか見てない。人にしろ、火星にしろ、他の色んなものにも、会うときは、会うものだ。
2. 星に願いを
「星に願いを」を訳すきっかけとなったのは、火星の女が「火星が近づいているから、星に願いをかけようかな?」と言った事だ。大きな原因の一つとして、たまたま、僕が翻訳の学校に行っていることもある。また、慈愛について、考察していたこともある。小林梨風さんという街のアーティストと物理とアートの話をネットでやりとりしていたこともある。さまざまな、いろんなことが、重なって、「星に願いを」を訳した。
魔人屋で僕と栗谷川とポコで飲んでいた。いろいろ話をしていた。栗谷川とは、彼女の知り合いで宇宙論とか進化論とかを面白く書いていて、自分のサイトで公開している人の話とか、ラジオエチオピアの話とかをしていた。なぜ、星に願いをの話になったかは、覚えてない。三人で話していて、突然、「星に願いを」を訳そうと思った。洋さんから、紙とペンを借りて、ポコの自筆の譜面をみせてもらって、詩を写した。その場で、訳をしようと考えて、トライしたが、かなり難しいことがわかって、断念した。
次の日?、ポコからジャズ詩大全に詩と訳が出ていると聞いていたので、探して見つけた。ジャズ詩大全に出ているのは、英語の詩とその訳である。ジャズ詩大全に出ているのは、いわゆる、英文の詩の形式で出ており、意味が掴みづらい。そこで、詩の形式から文の形式への変換を、独断と偏見で行った。ジャズ詩大全にも訳が出ていたが、ちょっとだけ、参考にし、ポコの話とかも参考にした。訳を考えていると、いろいろな場合が考えられ、壁にぶつかった。火星の女に「フライ・ミー・ツー・ザムーン」のほうがわかりやすいとメールをうったが、彼女は、興味がないみたいだった。「星に願いを」は、女の人が、赤ちゃんが欲しいと言ってるような気がする、と火星の女にメールした。ある時、昼寝していると、午後3時ころだったか?火星の女からメールが来た。俺のイメージは、ピノキオと合わないと。もう一度、訳を見直した。深読みしすぎていると感じて、シンプルに考えようと思い、その旨を火星の女に、メールした。なんか、目から鱗という感じですらすら、訳ができた。まず、ポコに見てもらい、だいたい、いいと思ったらしい。細かいところを見直して、第一版とした。
火星の女の誕生日が9月21日ということが、わかった。前日が土曜日で魔人屋でライブがある。火星の女の誕生祝をかねて、訳詞を彼女にプレゼントすることにした。そのライブで、「星に願いを」をポコにリクエストして、了解された。その旨を火星の女にメールして、了解された。
せっかくだから、気になる人たちにメールで「星に願いを」を送った。返事は上々で、僕は、とてもうれしい気分になった。返事も、人それぞれで、興味深かった。口コミの世界で、こんな楽しいことができるのかと、初めて思い、感動し、不思議な気分になった。
おわり
あ洋介!
注)TVとか口コミとかを書いている部分について。この物語を書くきっかけになったのが、たまたま前日にKというTV局の男とのマスコミに関する話をしていてことだった。その時はマスコミ批判をしていた。直接にしろ、間接にしろマスコミからの情報は、最小でもめぐり合わせがあれば、火星の接近とかも見ることがあると言いたかったのだった。Kがよくわからないから、まとめてと言ったので、この話を書いた。
今は、マスコミにしろ、ミニコミにしろ、口コミにしろ、何らかの意味で質が高いほうが望ましいと思っています。(2003/10/19)
---Wikipedia
ヘビースモーカー
バーンスタインはヘビー・スモーカーとしても有名で、14歳の時に煙草を覚えたという。煙草にまつわるエピソードも多く、1986年(68歳の時)には米国の新聞紙面で「私は20歳代の半ばに肺気腫の兆候があると診断された。煙草をやめなければ35歳までに死ぬと言われた」と語ったことがある。著名なミュンヘンの音楽評論家であるヨアヒム・カイザーの談話によれば、彼は1日に煙草を100本(5箱)とウイスキー1本を飲む事を日課としていたという。また晩年にアシスタントを務めた佐渡裕の著書によれば、しばしば「今日で禁煙するが、最後に1本だけ」と煙草に火をつけ、結局やめたことはなかったという。
---Wikipedia
レナード・バーンスタイン (Leonard Bernstein, 1918年8月25日 - 1990年10月14日)は、ユダヤ系アメリカ人の作曲家・指揮者である。またピアノの演奏家としても知られている。アメリカが生んだ最初の国際的レベルの指揮者になり、ヘルベルト・フォン・カラヤンと並んで、20世紀後半のクラシック音楽界をリードしてきたスター音楽家だった。愛称はレニー。夫人のフェリシア・モンテアレグレはチリ出身の女優・ピアニスト。
生涯
バーンスタインはウクライナ系ユダヤ人移民の3世としてマサチューセッツ州ローレンスに生まれる。生まれた当初の名前はルイス(後にレナードに改名する)。父親サミュエルは敬虔なユダヤ教徒であった。家族には音楽的な環境は全くなかったが、母親ジェニーが持っていた蓄音機の音楽に耳を傾けるのが大好きな赤ん坊だったという。理髪店を経営した父親の強い反対を押し切って、プロの音楽家の道を志した。
ボストン・ラテン・スクール(Boston Latin School)を経て、ハーバード大学・カーティス音楽院で学ぶ。彼が指揮者を志したのはディミトリ・ミトロプーロスの刺激だった。指揮ではフリッツ・ライナーやセルゲイ・クーセヴィツキーに師事し、作曲はウォルター・ピストンに師事した。ピアノはイサベラ・ヴェンゲーロワに師事している。カーティス音楽院を卒業後、しばらく仕事を得られない時期があったが、1943年夏にアルトゥール・ロジンスキーの指名によりニューヨーク・フィルハーモニックの「副指揮者」(Assistant Conductor)に就任した。
1943年11月14日、病気のため指揮できなくなった大指揮者ブルーノ・ワルターの代役としてニューヨーク・フィルを指揮、この日のコンサートはラジオでも放送されていたこともあり一大センセーションを巻き起こす。この時の曲目は以下の通りである。
ロベルト・シューマン『マンフレッド序曲』
ミクロス・ローザ(ハンガリー出身の作曲家、映画「ベン・ハー」の音楽などが代表作)『主題、変奏曲と終曲 Op.13a』
リヒャルト・シュトラウス『ドン・キホーテ』(チェロ:ジョゼフ・シュスター、ヴィオラ:ウィリアム・リンサー)
リヒャルト・ワーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕前奏曲
1958年、アメリカ生まれの指揮者として史上初めてニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督に就任する。バーンスタインとニューヨーク・フィルのコンビは大成功を収め、同フィルの黄金時代をもたらした。作り出す音楽の魅力、気さくでおおらかな性格、指揮者としての情熱的な指揮ぶり(興に乗ると指揮台上でジャンプすることもあった)などでファンを魅了し、スター性も備えていた。CBSレコードと録音契約を交わした際には「彼の録音に際しては、録音曲目の決定をほぼ彼に一任する」待遇を受け、当時としては画期的なレパートリーも数多く録音した。
1969年にニューヨーク・フィルの音楽監督を辞任した後は常任指揮者等の特定のポストには就かず、ウィーン・フィル、イスラエル・フィル、バイエルン放送交響楽団、ロンドン交響楽団、フランス国立管弦楽団などに客演しては名演奏を聴かせた。ことに同じユダヤ系であるグスタフ・マーラーの演奏は自ら“自分で書いたような気がしてくる”と言うほどで、数々の名演奏を残した。音楽解説者・教育者としても大きな業績を残し、テレビ放送でクラシック音楽やジャズについての啓蒙的な解説を演奏を交えて行った。マイケル・ティルソン・トーマス、小澤征爾、大植英次、佐渡裕など多くの弟子を世に送り出したことでも有名である。
1985年8月に広島を訪れ、被爆40周年を悼むための「広島平和コンサート」を開催した。1989年のクリスマスには、直前に起きたベルリンの壁崩壊を受け、ベルリンで東西ドイツ・アメリカ・ソ連・フランス・イギリスの各オーケストラの混成メンバーでベートーヴェンの交響曲第9番を指揮、この時第4楽章の「歓喜の歌」の“Freude”を“Freiheit(自由)”にして演奏し、東西冷戦終結を象徴する演奏会として記憶されることとなった。音楽家として社会的なメッセージを発信する活動も数多く行ったが、時にはそうした行動が物議を醸すこともあった。
1990年6月には札幌でパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)を開始し、後進の育成にも力を入れようとしていたが、既にバーンスタインは病に冒されていた。同年8月19日のタングルウッド音楽祭におけるボストン交響楽団との演奏(ブリテン:「4つの海の間奏曲」、ベートーヴェン:交響曲第7番)が最後の舞台となり、10月9日に指揮活動からの引退を表明する。それから5日後の10月14日に、肺癌のためニューヨーク市内の自宅で逝去した。
バーンスタインは生涯に7度来日した。最初の4回(1961年、1970年、1974年、1979年)はニューヨーク・フィルを率いて。1985年には8月上旬に前述の「広島平和コンサート」を開催し、9月前半にはイスラエル・フィルを率いて来日公演を行った。この時にNHKホールで演奏されたマーラーの交響曲第9番は、ベルリン・フィルとの歴史的演奏(指揮活動の項を参照)をも凌ぐ壮絶な超名演だと当時の聴衆から評価されている。最後(1990年)はPMF、それに続いてロンドン交響楽団を率い、東京で2回の公演を行った。しかし、バーンスタインの病状悪化が周囲に知らされず、2回の東京公演以降に予定されていた演奏会をキャンセルし、途中でアメリカに帰国することになる。この一件は、7月10日の演奏会に天皇が招待されていたことや、自作(「ウェスト・サイド・ストーリー」よりシンフォニック・ダンス)を弟子の大植英次に指揮させたこともあり、観客の一部と主催者との間にトラブルを起こす事態にまで発展した[要出典]。
映画「リチャード・ニクソン暗殺を企てた男」でショーン・ペン演じる主人公サミュエルが敬愛する人物として、劇中何度もバーンスタインの名がセリフとして出てくる。
・・・
・・・
バーンスタインに限らず、当時のアメリカの多くの芸術家は政治的傾向として左翼に属していた。バーンスタインは熱心な民主党支持者であり、ジョン・F・ケネディ大統領を理想の政治家として尊敬していた。
バーンスタインは師匠のミトロプーロスと同じく、同性愛傾向も有していた。彼は1951年にフェリシア夫人と結婚して3人の子供もおり、妻を深く愛し、彼女がガンであることが分かると献身的に看護するなど(フェリシアは1978年に死去。晩年のバーンスタインには大きな精神的打撃を与えたことを彼の周囲の人々は回想している)していたが、このような同性愛傾向を隠さず、男性といちゃつくことが多かった。たまりかねたフェリシアが「もう男といちゃつくのはやめて!」と訴えると、バーンスタイン自身は平然と「なに言ってるんだい? 芸術家ってのはホミンテルン(ホモ+コミンテルン)なんだぜ」と答えたという[要出典]。自作のミュージカル『キャンディード』には“Glitter and Be Gay”というソプラノ用超絶技巧アリアもある。
--
Aoyagi YoSuKe - Art Harbour
Main Bank: Mizuho Bank, Ltd. Kitazawa branch
Partnership: Google, Inc. AdSense program / Amazon.co.jp Associate program
http://artharbour-gaia.blogspot.com
(The Gaia Art Harbour)
http://artharbour-gaia.blogspot.com/2007/06/gaia-art-harbour-web.html
( About Art Harbour)
9.11 2008 is 1.1 2001 in Ethiopian Calendar
0 件のコメント:
コメントを投稿