オフ・ブロードウェイから、世界へ羽ばたく
1.Colored Jam at Shimokita
http://www.coloredjam.com/
2.Club Quattro at Shibuya, Udagawa-Cho
http://www.club-quattro.com/
3.Orchard Hall at Shibuya, Bunkamura
http://www.bunkamura.co.jp/orchard/
そして、ワールドツアーへ
その例は?
POCO Bandは?
果たして、届くか、世界へ・・・
ピアニストのみどりは、恋人がいるノルウェイ・オスロで、やりたいんだとさ・・・
「ノルウェイの森・ライブ」 - ムラカミ企画
Aoyagi YoSuKe
Creator
Maybe You'll Be There...
Performed by POCO band.
テーマは?
裏方に光を当てる。スターは裏方がいて、初めて、輝く・・・
裏方なしのスターはあり得ない・・・ 光と影の関係・・・
そうだよな? バーブラ・ストライザンドさん?
「スター誕生」
「追憶」
これこそ、光と影である・・・
0812.2009 7:30PM~10:00PM
At Colored Jam, Shimokitazawa Tokyo Japan
POCOさんと、ダイアナ、甲乙つけがたい・・・
すごいね~~~
さすが、アマさんシンガー・・・
POCOさんは、年の功?
深みがある・・・ ダイアナの方が若い分だけ、ライト感覚?
Diana Krall Asia Tour 2008 - Hong Kong
Maybe You'll Be There
Artist/Band: Diana Krall
Album: The Look of Love
Each time I see a crowd of people
Just like a fool I stop and stare
It's really not the proper thing to do
But maybe you'll be there
I go out walking after midnight
Along the lonely thoroughfare
It's not the time or place
To look for you
But maybe you'll be there
You said your arms would always hold me
You said your lips were mine alone to kiss
Now after all those things you told me
How could it end like this
Someday if all my prayers are answered
I'll hear a footstep on the stair
With anxious heart
I'll hurry to the door
And maybe you'll be there
きっと、あなたはそこにいる
詩 ダイアナ・クラール
訳 青柳洋介
人混みを見ていると、いつも
立ち止まって探す。馬鹿みたい
探しても、どうしようにもならないのに
でも、きっと、あなたはそこにいる
真夜中過ぎに出歩くの
一人きりで
時と場所が違うの
あなたに出会うには・・・
でも、きっと、あなたはそこにいる
あなたは腕で私を抱いてくれた
あなたの唇は私のもの。キスするためのもの
結局、あなたがしたのはそれだけ
こんな形で終わりだなんて・・・
いつの日か、私の祈りが叶って
階段に足音が聞こえる
そして、私は胸をときめかせながら
ドアに駆け寄るわ
きっと、あなたがいるはずよ
追伸)
出世街道に上げたライブハウスはすべてチェック済み・・・
1.Colored Jam
POCO Band
2.Club Quattro
日野テルマサ、ライブ
青木功さんが来ていた。世界繋がり? NY繋がり?
3.Orchard Hall
「春の祭典」 ベルリンフィル、TOYOTA プレゼンツ
サイズ、内容からして、ホップ、ステップ、ジャンプ
日本の歴史と伝統
陸上の三段跳びだ~~~
行け~~~、インディーズ・ミュージシャン
世界へ、羽ばたけ~~~
餓鬼どもへ・・・
これが歴史と伝統の三段跳びだ~~~
---Wikipedia
三段跳(さんだんとび)は、陸上競技の跳躍競技に属する種目で、助走をつけてホップ・ステップ(スキップ)・ジャンプと三回跳び、その距離を競う競技。
ホップとステップは同じ脚で連続的にすることになる。例えば、右足で踏み切った選手はさらにステップも右足、ジャンプを左足で行う。
多くの世界的・国内の主要な試合では、踏み切り板は砂場の手前の端から13m離れている。ただし、高校においては11m、中学においては9mなど、競技者のレベルに合わせて調節される。
日本の織田幹雄は1928年のアムステルダム・オリンピックで15メートル21を跳び、日本人初の金メダルをもたらした。
また同じく日本の南部忠平 (1904 - 1997) は、1932年に開催されたロサンゼルス・ オリンピックの三段跳に出場し、15メートル72の世界記録(当時)を樹立して金メダルを獲得。さらに、1936年のベルリンオリンピックでは田島直人が16メートル00の世界記録(当時)で金メダルを獲得し日本が三連覇、その後の競技の発展に大きく貢献した。
なお、国立霞ヶ丘競技場の第4コーナーにある掲揚柱「織田ポール」の高さは、織田幹雄がアムステルダムオリンピックで記録した15メートル21センチである。
陸上競技における正しい表記は三段跳であるが、学校教育や新聞記事など陸上競技関係者以外が多く関わる場面では三段跳びと表記されることもある。
女子は1926年から日本記録として公認されてきたが、戦後一旦公認対象種目から外された。その後1986年から再度日本記録として公認されて現在に至っている。[1]
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