例) 竜巻
みなさん、百姓の国でしょ?
落ち穂拾いの謎を知らないなんて・・・
教育の貧困だ~~~、みずほの国だよ
謎とは? 奇跡の利殖です。その答えは、ひばりが知っている。
要するに、種もみ、1粒が、収獲時には20粒に増えている。
20倍の利殖です・・・
だから、タネモミの1粒は、金の粒なのです。
【雲雀・告天子】ひばり
スズメ目ヒバリ科の小鳥。スズメよりやや大きく、背面は黄褐色の地に黒褐色の班がある。腹部は白く、後趾の爪は非常に長い。日本各地の畑地・草原などに巣を作り、空中高くのぼってさえずる。鳴き声は「1升貸して2斗取る、利取る、利取る」などと聞きなす。籠鳥として古くから飼育される。
田んぼで鳴くヒバリ・・・
1升が、2斗、つまり、20倍の利殖。利取る、利取る、と鳴くのですが・・・
だから、落ち穂は、金の粒です・・・
食物連鎖とは?
ガイアのフード・チェーン店
「適者生存」 - ダーウィン
「弱肉強食は誤りである」 - 生きた化石・ゴキブリ
「弱肉強食ではなくて、食物連鎖、ガイア・フードチェーン店」 - 現代の生物学者
「植物が光合成する。動物が食べる」 - 食物連鎖の原理
よって、サバイバルの原則は?
資源は有限である、環境負荷も有限である
この下に、
「ムリ、ムダ、ムラ」を省いた「エコシステム」を創造することこそ、人類の知恵である。
省エネ・製品、エコシステムが不全であれば、ただの部品。ムダの削減効果は小さい。
そして、人的資源を含むあらゆる資源を管理して、適切・公正に使わなければ、人類に明日はない。
マネー、水、オイル。。。
これらは、すべて、サバイバルのための道具や、資源にすぎない。
不足しているのは?
「人類の知恵である」
月曜日, 5月 04, 2009
エコシステム - 神への挑戦
結論)
ガイア・システムの正常化 <- エコノミー・システム+エコロジー・システムの正常化
でしょ?
目標)
ガイアシステム・チャレンジャー
ガイアのビオ・トープ管理システム(ソーラーシステム下で)
これを創造することである・・・
国際宇宙ステーションは、小さな地球である(NHK)
ある意味での、ビオ・トープでしょ?
おそらく・・・
密閉された金魚鉢、若田さんって、宇宙ステーションで泳いでいる金魚でしょ?
笑い
だから、アメリカの農夫も知っている・・・ ヒバリの鳴き声の秘密を・・・
こちらは、コーンの粒ですが・・・ こちらのレバレッジはいくつ? 稲は20倍ですが・・・
月曜日, 4月 27, 2009
豚インフルエンザとは?
アメリカの龍神の怒りにすぎない・・・
アメリカは、地下水をくみ上げ、遺伝子操作をして、車のために、大地からコーンを奪った。
龍神の天罰だよ!
アメリカでは、鳥は、天にいる龍神に、タバコの煙を媒体として、雨降らしのお願いをするようです。
そして、農夫たちは、干ばつになって、とうもろこしが不作でも、鳥たちのために残しておく。
なぜなら、鳥が死んだら、龍神へのお願いが届けられない。雨が降らない・・・
アメリカのアグリビジネスは、遺伝子組換えコーンをアメリカの大地から収奪して、車の燃料にする。ゴールドに目がくらんだ、金の亡者たち・・・
天罰が当たる~~~
Creator Aoyagi YoSuKe
アメリカの非道ぶりに、龍神が怒った~~~
龍とは? 心霊視される鱗虫の長
【鱗虫】りんちゅう
うろこのある虫。へびなどの称。
【虫】むし
⑤ 潜在する意識。ある考えや感情を起こすもとになるもの。古くは心の中に考えや感情を引き起こす虫がいると考えられた。
つまり、その虫が鱗虫の長、つまり、ドラゴンであれば・・・
【龍】りゅう
[仏](梵語 naga)インド神話で、蛇を神格化した人面蛇身の半神。大海や地底に住し、雲雨を自在に支配する力を持つとされる。仏教では古くから仏伝に現われ、また仏法守護の天竜八部衆に一とされた。「龍神・籠宮」
中国で、心霊視される鱗虫の長。鳳・麟・亀とともに四瑞の一。よく雲を起こし雨を呼ぶという。
証拠)
NYヤンキースのピッチャーを虫が襲撃した。
飛行機を鳥が襲って、ハドソン川へ不時着(ダブル・バード・ストライク)
松坂に突然、雨が襲いかかった・・・
コメント) アメリカの百姓とは?
コーンを作り、牛を育て、シチメンチョウも育て・・・
謝肉祭に、バーボンを飲んで、肉を食って、感謝する。
金の前に、食い物に感謝する・・・
投稿者 AO 時刻: 4/27/2009 10:30:00 午後
ラベル: AO, ART HARBOUR
図らずも、マヤ文明(メキシコ)、インカ文明(ペルー)が出てきた・・・
これも、龍神のお告げなのかな?
百姓と天気はつきもの・・・
だから、気象予報士・石原良純?だっけ、都知事の息子が、このご時世、一番出世する、と予知したのですが、笑い
だから、大昔から、人々は天体などを観測して、暦を作った。暦に従って、田植えの時期などを決めた。
アメリカにもマチュピチュ?のピラミッドがあり、龍が組み込まれている。
春分の日に奇跡が起きる。龍が輝き、光線を吐く~~~
龍神は、強力なのです・・・
ドラゴンへの道 「燃えよ、ドラゴン」 - ブルースリー
道は、道教の道。タオイズム、道を極めてね?
みなさん自身の道を・・・
龍神が現れるのは、チェチェン・イツァだった・・・
やはり、豚インフルエンザは?
ユカタン半島(メキシコ)の龍神の怒りだ~~~
マヤの最高神ククルカン(羽毛のあるヘビの姿の神。ケツァルコアトルのマヤ語名)を祀るピラミッド。
北面の階段の最下段にククルカンの頭部の彫刻があり、春分の日・秋分の日に太陽が沈む時、ピラミッドは真西から照らされ階段の西側にククルカンの胴体(蛇が身をくねらせた姿)が現れ、ククルカンの降臨と呼ばれている。

太陽暦の1年をマヤ人は365.2420日と計算していた。現代天文学がコンピュータで計算した1年は365.2422日。天体望遠鏡もないマヤ人はほとんど誤差なく暦を知っていた。カタツムリ型の天文台から何年もかけて肉眼で観測した。これもすべて農耕や戦争の為である。
東西が断崖のマチュ・ピチュは太陽の動きを知るのに絶好の場所であったことや、インカ帝国では太陽を崇拝し、皇帝は太陽神の子として崇められ、暦を司っていたことから、インカ人が崇めていた太陽を観測するための建物群と推測されている。実際に太陽の神殿は東側の壁が二つ作られていて、左の窓から日が差し込む時は冬至、右の窓から日が差し込む時は夏至と区別できるようになっている。また、処女たちを生贄にしたといわれてきた台座上の遺構もやはり太陽を観測するものであり、インティワタナ(太陽をつなぐもの)という意味の石の台の削りだされた柱は、一種の日時計だったと考えられている。

---Wikipedia
マチュ・ピチュ(Machu Picchu)は、現地語では「老いた峰」の意味で、よく保存されたインカの遺跡である。ペルーのウルバンバ谷 (Urubamba valley) に沿う高い山の尾根(標高約6,750ft、2,057m)に位置し、山裾からはその存在を確認できない。しばしば《インカの失われた都市》あるいは《空中の楼閣》と呼ばれる。この遺跡には3mずつ上がる段々畑が40段あり、3,000段の階段でつながっている。遺跡の面積は約13Km2で、石の建物の総数は約200戸が数えられる。マチュ・ピチュには未だに解明されていない多くの謎がある。
熱帯山岳樹林帯の中央にあり、植物は多様性に富んでいる。行政上クスコと同じ地域に属している。現在ペルー国内では10ヶ所あるユネスコの世界遺産のうちでは最初にクスコと同時(1983年)に指定された。
一方、第一人者としてのビンガムのマチュ・ピチュに関する発表や仮説がその後の研究の妨げになっていたのも事実である。
イェール大学のピーボディ博物館の館長リチャード・L・バーガー(Dr.Richard L.Burger)、並びにルーシー・C・サラザール(Dr. Lucy C.Salazar)らによれば、マチュ・ピチュはスペイン人によって追い詰められた最後の砦ではないとの結論となった。16世紀のスペイン公文書によれば、わずかに抵抗していた最後のインカ族は、「1572年熱帯の盆地の隠れ家で降伏した」との記述があり、それはマチュ・ピチュのような高地ではなかった。
現在では要塞ではなく、東西が断崖のマチュ・ピチュは太陽の動きを知るのに絶好の場所であったことや、インカ帝国では太陽を崇拝し、皇帝は太陽神の子として崇められ、暦を司っていたことから、インカ人が崇めていた太陽を観測するための建物群と推測されている。実際に太陽の神殿は東側の壁が二つ作られていて、左の窓から日が差し込む時は冬至、右の窓から日が差し込む時は夏至と区別できるようになっている。また、処女たちを生贄にしたといわれてきた台座上の遺構もやはり太陽を観測するものであり、インティワタナ(太陽をつなぐもの)という意味の石の台の削りだされた柱は、一種の日時計だったと考えられている。
また、ビンガムがマチュ・ピチュから運搬してきた多数の人工遺物が、1920年代のニューヨーク・タイムズ紙の包装のまま箱に梱包され、イェール大学の地下倉庫で眠っていた。サラザール博士はブロンズの宝飾品、道具類、骸骨片、特に壺について再調査を行った。その結果、壷の様式は全て、15世紀のものであった。墓の埋蔵物については、質素なものが多く、王族ではなく召使のものと推定された。
ビンガムは、同行した骨学者に「出土した骨は女性の骨が大半だった」との誤った報告を受けていた。チュレーン大学の身体人類学者ジョン・W・ヴェラノ(Dr.John W.Verano)の新しい研究で、骨は男女同じ比率であったこと、多くの家族と幼児が生活していたこと、また処女たちの共同生活を示すようなものはなかったと報告している。骨の分析では、結核や寄生虫のケースが見られ、また、トウモロコシの食生活による歯の損傷も見られるものの、ほとんどは大人で50歳以上の年寄りが多くおり、その結果ここでの生活はかなり健康的であったと判断された。また、骨には戦いの形跡は見られず、平和な生活をしていたと考えられる。幼年期に頭部に巻きつけられたもので頭部の変形しているものがあり、ある者は海岸地域やあるいはチチカカ湖方面からと地域によって異なる文化があったことがわかっており、遠方からやって来た職人たちであろうと推定された。高度な石積みの技術が必要なため、職人たちが呼ばれたと考えられている。王族がマチュ・ピチュで死亡した場合は、そこで埋葬されるよりもクスコに運んで埋葬されたと考えるのが妥当と結論づけられた。
カリフォルニア大学バークレー校のジャン・ピエール・プロツェン(Dr.Jean-Pierre Protzen)建築学教授は、石垣をぴったりと重ねて積む方法は石で石を叩いたり、削ったりしたと考えている。この方法を敲製(ペッキング)という。あらかじめ大きく割った石を、小型の叩石(ハンマー)で連続してトントンと細かく叩いて表面をならしてゆく方法である。この方法は、すでにプレ・インカ(インカ期以前の古い時期)から行われていたことがわかっている。 当時巨石文明が世界各地で見られ、その運搬手段は解明されつつあったが、マチュ・ピチュの場合は傾斜路を造る余地がないため、どうやって5-10tもある巨石を運び上げたかはまだ謎[1]であるとしている。また、「ビンガムの発掘ノートは、何を発掘したかよりも何を食べたか、の記述が多かった」とも公表された。
最近の調査では、地下から焼けた跡が発見されたことなどから、スペイン人による侵略を恐れて住民が町を焼き払った、という説が研究者から指摘されている(『古代文明ミステリー 「たけしの新・世界七不思議」』、テレビ東京、2007年1月3日放送より)。
人口は最大でも750名
この都市は通常の都市ではなく、インカの王族や貴族のための避暑地としての冬の都(離宮)や、田舎の別荘といった種類のものであった。
遺跡には大きな宮殿や寺院が王宮の周囲にあり、そこでの生活を支える職員の住居もある。マチュ・ピチュには最大でも一時に約750名の住民しかいなかったと推定され、雨季や王族が不在の時の住民は、ほんの一握りであったと推定されている。
この都市はインカの王パチャクティ(Pachacuti)の時代の1440年頃に建設が着手され、1532年にスペイン人により征服されるまでの約80年間、人々の生活が続いていた。
ペルーの考古学者アルフレド・バレンシア・セガーラ (Dr.Alfredo Valencia Zegarra)とコロンビアの水利技術者ケネス・ライト(Kenneth Wright)による調査では、この都市の建設に要した努力の60%は急傾斜の城壁の見えない土台などの部分に傾注されており、降雨量の多いこの地で、積み上げられた石積みが500年もの間崩れないのは、農耕のためだけに斜面を整地したのではなかった。渓谷から細かい砂と表土を運び上げ、現在見える石積みの下に、うね状に盛り上げた表層を造ったとしている。
神をまつる神殿としての役割
なぜこのような急峻な山の上に造ったかという質問に対して、ラファイエット単科大学のナイルズ(Dr.Niles of Lafayette College)は、「パチャクチがこの場所を選んだのは……圧倒する景色としか答えようがありません」と言う。
イェール大学の近年の研究成果では、高地であり、かつ両側が切り立った崖上になっているため、太陽観測に最も適し、かつ宗教的理念として、太陽に近いところである、という点が場所選定の理由として挙げられている。
急斜面に位置したマチュピチュの頂上には、太陽の神殿があり、頂上にはインティワタナ(Intihuatana…太陽をつなぎ止める石)が設置されている。夏至と冬至が正確に分かる窓があるなど、太陽を使った暦を観測、作成したとも言われている。
インカの神は日本やエジプトと同じく太陽神であるため、太陽により近い山の頂(いただき)は儀礼場として適当だった。
神殿の畑など耕作地で栽培された農作物は神への供物として栽培されていたか、神が人間に下賜されたものとして人々に食べられたか、いずれにしても宗教儀礼的意味が色濃く反映されている。そのようないきさつから、現在、マチュピチュは宗教都市として捉えられている。
なおインカの人々にとっての神は、太陽とともに月も挙げられ、多くの遺跡には太陽神殿と月の神殿が対で祭られている。マチュ・ピチュの太陽神殿に対しては、ワイナ・ピチュ(「若い峰」という意味で、マチュ・ピチュの背後にある尖った山)の裏手に、月の神殿が洞窟に作られている。
---Wikipedia
チチェン・イッツァ(スペイン語:Chichén Itzá)は1988年に世界遺産に登録されたメキシコのマヤ文明の遺跡。
概要
ユカタン半島北部の低地にあり「後古典期マヤ」の遺跡。半島のつけ根の密林にあるティカルは「古典期マヤ」の遺跡。
カスティーヨ
マヤの最高神ククルカン(羽毛のあるヘビの姿の神。ケツァルコアトルのマヤ語名)を祀るピラミッド。基底55.3m四方、高さ24m(頂上の神殿部分は6m)。
通称の「カスティーヨ」はスペイン語で城塞の意。「ククルカンのピラミッド」とも呼ばれる。大きな9段の階層からなり、4面に各91段の急な階段が配されている。ピラミッドの最上段には真四角な神殿がある。
ピラミッドの階段は4面の91段を合計した364段に最上段の神殿の1段を足すと、丁度365段である。また1面の階層9段は階段で分断されているので合計18段となり、これらはマヤ暦の1年(18ヶ月365日)を表す。このことから「暦のピラミッド」とも呼ばれる。
北面の階段の最下段にククルカンの頭部の彫刻があり、春分の日・秋分の日に太陽が沈む時、ピラミッドは真西から照らされ階段の西側にククルカンの胴体(蛇が身をくねらせた姿)が現れ、ククルカンの降臨と呼ばれている。
球戯場
腰でボールを打ち、球戯場の石の輪にボールを通すと得点になる。今で言うサッカーのような競技で試合が白熱するほど、雨が降り豊作になると信じられていた。勝った側が生贄になったとも、負けた側が生贄になったとも、言われている。
セノーテ(聖なる泉)
聖なる泉「セノーテ」
雨が降らない時に、生贄の人間が投げ込まれた池で、金銅の製品なども投げ入れられた。これに似たもので、人の心臓が捧げられた戦士の神殿がある。
天文学
旧チチェン区域にある天文台「El Caracol(カタツムリ)」
太陽暦の1年をマヤ人は365.2420日と計算していた。現代天文学がコンピュータで計算した1年は365.2422日。天体望遠鏡もないマヤ人はほとんど誤差なく暦を知っていた。カタツムリ型の天文台から何年もかけて肉眼で観測した。これもすべて農耕や戦争の為である。
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