@ayosuke @yu_miri_0622 @aknmssm ネトウヨを産んでいるのはテレビ
@ayosuke @yu_miri_0622 @aknmssm テレビがバイキンを巻き散らかす。
結果として、ネトウヨが発生する
@ayosuke @yu_miri_0622 @aknmssm ネトウヨと類似しているのが、アメリカのティーパーティー
ティーパーティーは明らかな政治勢力だが、主張はネトウヨ的・・・
@ayosuke @yu_miri_0622 @aknmssm テレビがバイキンを巻き散らかす。
結果として、ネトウヨが発生する
@ayosuke @yu_miri_0622 @aknmssm ネトウヨと類似しているのが、アメリカのティーパーティー
ティーパーティーは明らかな政治勢力だが、主張はネトウヨ的・・・
背景
いわゆる団塊世代二世以降の子供は日本経済の高度成長により特に苦労することなく一定水準の生活を親から享受され、労働意欲が薄れてしまったのに加え、バブル崩壊による就職率の低下が重なり、若い世代の中から働かず結婚もせず子供も作らず、親の資産を食い潰して生活している人々が続々と現れ始めた。彼らは暇つぶしのため匿名掲示板に平日の日中から書き込みを繰り返すなどしていたが、その中で自分たちの境遇を正当化するための仮想敵として教師や労働者が選ばれ、その集まりである日教組や労組が狙われるようになったという説がある。ただし実態はそう単純ではなく、戦争や殺人に対するゲーム的感覚や、社会不安に対する保守勢力への擦り寄りなど、複雑な環境が絡み合っているとみられる。
用法拡大の経緯
朝日新聞2006年5月5日付掲載記事
なお、06年5月5日付朝日新聞によると、「攻撃コメントをしつこく投稿」し「自分と相いれない考えに、投稿や書き込みを繰り返す人々」と定義されている。「右翼」という言葉は、そうしたコメントを寄せる投稿者が右翼的な意見をもっている例がほとんどであることから、そう呼ばれるようになった、としている。
普段はIT関連について考えを掲載している。そこに他人のブログに攻撃コメントをしつこく投稿する行為をいさめる意見を載せた。その直後のことだった。コメントの大半は批判だ。差出人の名前の欄は「Unknown」。匿名だった。「あなたは勘違いしている」「なぜ非を認めないのか」……回答しないと「このまま逃げたらあなたの信頼性はゼロになりますよ」。反論すれば、再反論が殺到した。議論の場から離れることを一時も許さない「ネット右翼」だ。数年前からネット上で使われ出した言葉だ。自分と相いれない考えに、投稿や書き込みを繰り返す人々を指す。右翼的な考えに基づく意見がほとんどなので、そう呼ばれるようになった。
この掲載記事が紛争当事者の一方のみの意見を全面的に採用したかのように読めることから、さらに現在波紋を呼んでいる。
産経新聞2005年5月8日付掲載の佐々木俊尚氏執筆のコラム
また、朝日新聞の記事より1年も前の2005年5月8日付産経新聞のコラム「断」では、ジャーナリスト・佐々木俊尚が、「ネット右翼」とは「インターネットの掲示板やブログなどで、左翼的・反日的な発言をする者がいると、猛然と批判のコメントの嵐が降り注ぐ。こうした状況に閉口する左翼系の人たちが、「組織化されたネット右翼が集団で妨害行動をおこなっている」と抗議するようになったのが、この言葉の始まりである。」と述べている。
「ネット右翼」という言葉がある。インターネットの掲示板やブログなどで、左翼的・反日的な発言をする者がいると、猛然と批判のコメントの嵐が降り注ぐ。こうした状況に閉口する左翼系の人たちが、「組織化されたネット右翼が集団で妨害行動をおこなっている」と抗議するようになったのが、この言葉の始まりである。この問題に大きな火をつけたのは、朝日新聞の地方記者とのちに発覚する人物が開設していたブログだった。この記者はNHK報道政治介入問題を取り上げ、「政治家に検閲させるとは何ごとか」と書いた。読者から「検閲ではないのでは?」という疑問が寄せられると、いきなり「自分と意見が違うと『アカ』『サヨ』『プロ市民』とレッテルをはって議論をごまかす。こうやって人間の思考力って退化するんだな。人間から猿への逆ダーウィン退化論を実証できそう」と暴走。これに対して数百ものコメントが殺到、ブログは炎上して消滅した。さらにこの問題は、著名な弁護士である小倉秀夫氏のブログにも飛び火。小倉氏が「品位に欠くコメントを執拗に投入するのは民主主義の敵だ」などと書いたものだから、こちらも燃え上がり、結局四月末に閉鎖されてしまった。こうした現象を「組織的妨害」と決めつけるのは、市民運動系の人たち特有の謀略史観ではないだろうか。そうではなく、これまでマスコミで黙殺されてきた新保守論的な世論が、ネットという媒体を得て一気に表舞台へと噴出してきているというのが、実は「ネット右翼」の正体ではないかと思うのである。(2005年5月8日付産経新聞のコラム「断」より引用)
朝日新聞2006年5月19日掲載記事
ピーク過ぎたネット右翼
確かに彼らは、愛国心に燃える右翼集団に見えなくもない。だが本質は、右翼というよりは「左翼嫌い」だ。より正確に言えば、「マスコミに流通する言葉が優等生的な言説ばかりであることにいらだっている」集団である。ネット右翼が台頭したきっかけは日韓共催のサッカーW杯(02年)だ。「韓国人に日本がどう見られているか」に関する情報が大量に流入し、日本が批判されていると知った人々の中から「日本のメディアは韓国に甘い」との反感が噴き出した。彼らが活動から降り始めた理由の一つは、「日本が右に傾き過ぎた」との意識が生まれたためだろう。彼らの多くは、そもそも右傾化を目指していたのではないからだ。また彼らは既存の政治運動を嫌い、ネットという新メディアで「草の根」活動をしようとした。だから実際にビラまきなどの具体的な政治運動に触れると、違和感を覚える。現実に近づくほど、バランスを取るという動機とのギャップが見えてくるのだ。「韓国はうるさい」とあからさまに他国を侮蔑したり、「竹島に自衛隊を送れ」と極端な強硬政策を主張したりする言説がタブーではなくなった。こうした主張が積み重ねられることで、世論が変質する可能性はある。他国に対する極端な強硬政策を打ち出す政治家に、暗黙の承認を与えてしまうかもしれない。それを防ぐには、あたかも左翼と反左翼しか存在しないかのような、不毛な国家論の現状を打開せねばならない。手がかりとして私は、愛国心を憲法や教育基本法に書き込むことをあえて提唱したい。「愛国心は危ない」という結論ありきの議論は、反左翼の脊髄反射的な批判の「燃料」にしかならないからだ。たとえば近年、経済的格差の拡大が言われるが、愛国者なら同胞の貧困は放置できないはずだ。「負け組」や地方を排除するか、同胞として見捨てない道を進むか。自民党の愛国はどちらだろう。またその愛国は外国人を排除するだろうか、しないだろうか。鈴木謙介氏
関連エントリ
澁川修一 - ネットの「速さ」と「パワー」の威力とは何か:ネット右翼問題を題材に
0 件のコメント:
コメントを投稿