エコシステムは、エコノミー+エコロジー、このトレードオフ・バランス問題である。
メルケル首相のセンスは物理学とキリスト教に基づいていると思われる。
現代のグローバル政治家に求められる知識は、大まかに言って、
サイエンス、経営学、法学、コミュニケーション術ではないだろうか?
つまり、政治は論、経済は指標、健康は気から・・・
最近は世界の潮流が厳しいので、男性のトップが多くなっているが、メルケル首相は物理学が専攻、よって、世界の潮流とミスマッチを犯さないのだろう・・・
なお、夫は量子化学者である・・・
エカテリーナファンなの? 面白いね~~~
グローバルで、原子力の平和利用を推進することは、暗黙の了解になっているようだ。以前は、原発廃止の流れも強かったが、現実路線を選択したということだろう。
よって、メルケル首相は、今回は自由民主党と連立政権を組んだのでは?
いずれにしても、理論物理学者なので、パワーのバランスのとり方などは、お得意のようだ・・・
近年の語録
「ヨーロッパがキリスト教クラブでないというのは正しい。しかしヨーロッパが人権と市民権を基本とするというのもまた事実です。そしてここドイツでは、人権と市民権をキリスト教的人間像に重ねているのです」(2006年のCDU党大会で)
「中国は我々のように知的財産権を尊重することを学ばねばならない。なぜならそれを簡単にコピーすることは窃盗だからです」(2006年)
「私の愛車はフォルクスワーゲンです」(2007年2月12日付のフィナンシャル・タイムズ紙ドイツ語版でドイツの野党議員の発言が切っ掛けに巻き起こった日本車賛美論争で発言)
ドイツの政治は?
CDU キリスト教民主同盟 保守系
CSU キリスト教社会同盟 保守系
SPD 社会民主党 中道左派?
FDP 自由民主党 中道右派
??? 緑の党 環境保護派
---Wiki

アンゲラ・メルケル
Angela Dorothea Merkel
アンゲラ・ドロテア・メルケル
生年月日 1954年7月17日(55歳)
出生地 ハンブルク
所属政党 ドイツキリスト教民主同盟
配偶者 ヨアヒム・ザウアー
第8代連邦首相
内閣 メルケル内閣
任期 2005年11月22日 -
連邦大統領 ホルスト・ケーラー
環境・自然保護・原子力安全担当大臣
内閣 第5次ヘルムート・コール内閣
任期 1994年11月15日 - 1998年10月27日
婦人・青年担当大臣
内閣 第4次コール内閣
任期 1991年1月18日 - 1994年11月15日
連邦議会議員
選挙区 メクレンブルク=フォアポンメルン州
当選回数 4回
任期 1990年 -
第7代キリスト教民主同盟党首
任期 2000年 -
科学者
ハンブルク生まれ。父ホルスト・カスナーがキリスト教・ルーテル教会の牧師であり、東ドイツの担当となったため、1954年に妻と生後数週間のアンゲラと共に東ドイツへ移住する。母はラテン語と英語の教師であった。東ドイツでは教会は反政府勢力の拠点であったが、カスナーは政府に「進歩的勢力」とみられていた会派の所属で危険視されておらず、西側へ旅行できる特権も与えられていた。東ドイツで弟一人と妹が二人生まれる。
学校時代は付き合いは良いが目立たない生徒であったという。成績は優秀で中学校時代の全科目の平均評価は1.0(日本でいえば「オール5」)であり、特にロシア語[2]と数学に優れていた。家が宗教家のため加入義務はなかったが、ドイツ社会主義統一党(SED)の下部組織である自由ドイツ青年団(FDJ)に属していた。1973年にカールマルクス・ライプツィヒ大学(現ライプツィヒ大学)に入学、物理学を専攻する。
在学中の1977年に同学部の学生ウルリッヒ・メルケルと結婚(現在の姓は彼に由来)。しかしこの結婚生活は4年で終わった。1978年、優良の成績で学士号を取得、東ベルリンにある科学アカデミーに就職し、理論物理学を研究する。ここで現在の夫ヨアヒム・ザウアーと出会うが、二人が結婚するのはずっと後の1998年である。1986年、博士論文を提出して博士号(Dr. rer. nat.)を取得。分析化学に配置転換となる。同年初めて西ドイツを旅行。これは審査で国家に忠実とみなされた者にのみ許される権利だった。この頃の彼女に政治活動は見られず、SED党員でもなく反政府活動もしていなかった。
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首相就任
成立当時のメルケル内閣の顔ぶれ。左側(黒地)はCDU、右側(赤地)はSPDの閣僚
2005年9月18日に行われた総選挙では、メルケル率いるCDU/CSU連合はシュレーダー首相率いるドイツ社会民主党 (SPD) / 緑の党連合に僅差で勝利した。しかし改選前より議席を22も減らしたために自由民主党 (FDP) と合わせても過半数には届かず、緑の党との連立協議も不調に終わったことから、SPDとの連立以外に現実的な選択肢がなくなった。SPDと政権運営についての折衝が始まると、10月10日にはCDU・CSU・SPDの三党による大連立[4]を組むことで合意したが、CDUとSPDの最終議席配分がわずか4議席差だったことから連立協議は難航した。最大の争点は誰が首相になるかで、CDUは比較第一党として「メルケル首班」を譲らず、SPDは「2年経ったらシュレーダーと交代」案を持ち出して政権に執着した。結局CDUが単独で首班を取るのと引き換えに、16ある閣僚ポストのうち半数の8をSPDに譲るという妥協が成立。11月22日、メルケルは第8代連邦首相に就任した。
メルケル政権は発足当初から積極的な対露・対米外交を展開して高支持率を出し、2006年3月の3州議会選挙でも勝利して、連立政権はひとまず順調にスタートをきった。ドイツは引き続きフランスと東ヨーロッパ諸国、特にロシアとの友好関係を継続、将来的にはトルコのEU 加盟を支援するが前政権ほど積極的ではない。さらには中道左派の社民主義・リベラル政党であるSPDと中道右派の保守政党であるCDU/CSUでは政策綱領が大きく異なっていることは否めず、また財務大臣などの重要閣僚ポストをSPDへ譲ったこともあって、先送りされているメルケル政権の看板政策の中心で政治公約である雇用促進によるドイツ国内の雇用、年金制度の大幅な改革によるメルケル改革の実現、健康保険制度改革や法人税率改革などの内政面の課題の帰趨は不透明な状態で、今後どこまで両党が政策合意を重ねてゆけるかが注目された。
2006年末、任期後半の目標として連邦制改革、官僚主義の打破、科学研究の振興、エネルギー政策、財政建て直し、家族政策(少子化対策)、労働・市場政策、そして最重要課題である健康保険制度改革の8点を掲げた。メルケルの政策には果断さはなく対処的なものではあるが、就任当初はその政策実行力を不安視されたものの、国民のみならず経済界や国外からも安定した支持を得ている。なおメルケルは、国民への政策説明に世界の国家指導者で初めてビデオ・ポッドキャストを使用している。
2007年前半の欧州連合(EU)議長国、6月のドイツ・ハイリゲンダムでの主要国首脳会議議長も無難にこなし、また二酸化炭素排出量削減など環境保護政策でもイニシアチヴを発揮している。2007年8月29日に、首相就任後初めて来日した。同年9月23日、ドイツの首相として初めてダライ・ラマ14世を首相官邸に招いて会談し(会見したのはCDU党首時代以来二回目)、中華人民共和国政府の抗議を受けた。シュレーダー政権同様中国重視に変わりはないが、より人権重視の姿勢を見せており、EUの対中武器輸出解禁には反対の姿勢を示している。
人物
この節に雑多な内容が羅列されているので、本文として組み入れるか整理・除去する必要があります。(2008年12月貼付)
アメリカのブッシュ大統領と 2007年1月ホワイトハウスにて
エカチェリーナ2世を尊敬しており、オフィスに彼女の絵がある。
少女時代に犬に噛まれた事がある。2007年にソチでロシアの大統領のウラジーミル・プーチンと会談中、プーチンの愛犬「コニー」が乱入して彼女の足下に座った。
同年のG8サミットでは、アメリカの大統領のブッシュに肩を触れられた際、驚いて肩をいからせるリアクションをとり話題となった[5]。
2006年4月、休暇先で水着に着替えている後ろ姿をパパラッチされ、イギリスの大衆紙「ザ・サン」などに掲載された。2008年4月には、訪問先のノルウェーでオペラ鑑賞した際、豊満な乳房を大胆に露出した衣装をまとい、話題となった[6]。
家族
今の夫はフンボルト大学教授で量子化学者のヨアヒム・ザウアー。ザウアーは2005年のメルケルの首相就任に際しても公の場に現れなかったため、彼がワーグナーを好んでいることにかけて「オペラ座の怪人 (Das Phantom der Oper)」とあだ名された。2007年のハイリゲンダム・サミットには姿を現わし、首脳伴侶の行事に黒一点参加した。
表彰
ヘブライ大学、ライプチヒ大学、ブロツワフ大学より名誉博士号。
2008年1月、ドイツ連邦共和国功労勲章大十字章受章。その他イタリア共和国功労勲章大十字章など、国外からの叙勲多数。2008年にはアーヘン市よりカール賞を贈られた。
2006年、2007年、2008年、フォーブス誌から「世界で最も力のある女性」に選ばれた。
語録
大連立与党SPDのクルト・ベック党首(右)と(2007年9月29日)
「私は体育の授業の間ずっと飛び込み台の板の上に立っていて、45分たってようやく飛び込むタイプの人間です」(2000年)
「多文化主義は見事に失敗した」(2004年)
「窓ですね! こんなに頑丈で美しい窓を作れる国はないですから」(2004年、「ドイツと聞いて連想するものは?」と聞かれ)
「赤緑連立(SPD+緑の党)が治めていない一日一日が、ドイツにとってのいい日です」(2005年)
「ドイツに仕えます」(首相候補に指名されての第一声)
「女子代表はもう世界一になりました。女に出来て男に出来ない理由など無いと思います」(翌年のワールドカップを控えて、2005年末の国民向け挨拶で)
「ミュンヘンの人が『ベルリンへ行こう!』と叫ぶのは、何か素晴らしいことだと思う」(ワールドカップ中の2006年6月、ミュンヘンでドイツ代表がスウェーデン代表を下し、歓喜するファンが「決勝戦の行われるベルリンへ行こう!」と叫んでいるのを受けて。聞きようによっては、この前年メルケル内閣への入閣を拒否したシュトイバー・バイエルン州首相への嫌味に聞こえる)
「ヨーロッパがキリスト教クラブでないというのは正しい。しかしヨーロッパが人権と市民権を基本とするというのもまた事実です。そしてここドイツでは、人権と市民権をキリスト教的人間像に重ねているのです」(2006年のCDU党大会で)
「中国は我々のように知的財産権を尊重することを学ばねばならない。なぜならそれを簡単にコピーすることは窃盗だからです」(2006年)
「私の愛車はフォルクスワーゲンです」(2007年2月12日付のフィナンシャル・タイムズ紙ドイツ語版でドイツの野党議員の発言が切っ掛けに巻き起こった日本車賛美論争で発言)
脚注
^ 連邦首相はドイツ語で Bundeskanzler だが、女性の場合名詞の語尾が女性名詞形に変化してBundeskanzlerin になる。
^ 東ドイツで必修科目だったロシア語に堪能であることは、東ドイツに滞在経験もありドイツ語が達者なウラジーミル・プーチン・現ロシア首相との関係にも好影響を与えているとみられる。
^ ”Eisernes Mädchen"のもう一つの意味は中世の拷問用具である《鉄の処女》であり、メルケルが選挙戦で掲げていたラディカルなネオリベラル改革を左派陣営が揶揄して、こう呼んだ
^ 二大政党が大連立を組むのは1966−69年のキージンガー政権以来となった。
^ アメリカでは面識のある異性の肩に手をかける行為は親しみの表現として容認されている。
^ Frau Kanzlerin zeigt Dekolletee
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