ミュータント・アンドロイド
12/20/2009
ブラウン合図ブランド
鬼、餓鬼、犬、羊(ウイルス) - アンドロイド - 人
アンドロイドは? 妖怪人間、ベム、ベラ、ベロです・・・
最近では、警察官でも、人が出てきた。
公務は、監視、私事は、市民です - 警察官
2/19/2010
ステファニー
遊園地のシーンを想いだした・・・
新人類の愛言葉?
天使と悪魔が共存
お笑い系では?
http://dancex2.cocolog-nifty.com/weblog/2005/05/post_9c7a.html
ダリと天才、紙一重
「私自身と狂人との唯一の違いは、私は狂っていないということだけだ」‥‥いささか道化じみた「天才」としての振る舞い、繰り返される奇行はすべて計算ずくだったということだが、ではこの人は何故そこまでして「天才」になりたかったのだろうか?
意識的に描かれた無意識。精神の異常をきたすことなく生みだされた狂気。‥‥このパラドックスを絵画として実体化することにダリはある程度まで成功している。ある程度までは。圧倒的な描写力を以て、彼が迫力のある存在感を付与しようとした不条理のイメージは、しかしあまりにも大袈裟にすぎたのだ。悲劇はそこにある。
狂気や不条理って、そんなに大それたモノではない。誰の心の中にも当たり前のように存在している、でしょ? 少なくとも僕はそう思っているのだが。
ダリもたぶん、馬鹿がつくほどに真面目な人なのだろう。目に見えぬ「狂気」や「不条理」は、ここまで大仰に表現しないと伝わらないとでも思ったのだろう。
んなことないっスよ。
そこらあたり、馬鹿っぽいアピール抜きで「等身大の自分」という狂気を率直にさらけ出すことができていれば、ダリは本当の「天才」になれたかも知れない。トム・クルーズの記事(4/28)で述べたのと同じ種類の悲劇がここにもある。自己プロデュース能力を併せ持った現代の巨大な才能は、すべからくトム様に接近するのだ。
あぁ、逆。ダリに接近する‥‥の間違い。
ヒッチコックの映画『白い恐怖』の中の、悪夢のシーンはダリの担当だ。このコラボレーションでは、ダリの濃い〜ぃ俺様アピールは完全に影を潜めている。映画という現場でヒッチコック監督に気を使ったのだろうが、控えめにやってもこれだけのことができる人なのだ彼は。
---Wiki
フェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini, 1920年1月20日 - 1993年10月31日)はイタリア・リミニ生まれの映画監督、脚本家。「映像の魔術師」の異名を持つ。
- 寄席の脚光 Luci del varieta (アルベルト・ラットゥアーダと共同監督、1950年)
- 白い酋長 Lo Sceicco bianco (1952年)
- 青春群像 I Vitelloni (ヴェネチア国際映画祭 サン・マルコ銀獅子賞を受賞、1953年)
- 結婚相談所 Un'agenzia materimoniale (オムニバス映画「巷の恋」Amore in citta`より、1953年)
- 道 La Strada (ヴェネチア国際映画祭 サン・マルコ銀獅子賞、アカデミー賞外国語映画賞を受賞、1954年)
- 崖 Il Bidone (1955年)
- カビリアの夜 Le Notti di Cabiria (アカデミー賞外国語映画賞、カンヌ国際映画祭女優賞などを受賞、1957年)
- 甘い生活 La Dolce vita (カンヌ国際映画祭パルム・ドール、NY批評家協会賞外国映画賞を受賞、1959年)
- 誘惑 Le tentazioni del dottor Antonio (オムニバス映画「ボッカチオ'70」 Boccaccio'70より、1962年)
- 8 1/2(はっかにぶんのいち) 8 1/2(Otto e mezzo) (アカデミー賞外国語映画賞、NY批評家協会賞外国映画賞を受賞、1963年)
- 魂のジュリエッタ Giulietta degli spiriti (ゴールデン・グローブ外国映画賞、NY批評家協会賞外国映画賞を受賞、1964年)
- 悪魔の首飾り Toby Dammit (オムニバス映画「世にも怪奇な物語」Tre passi nel delirioより、1968年)
- サテリコン Fellini-Satyricon (1969年)
- フェリーニの道化師 I Clown (1970年)
- フェリーニのローマ Roma (1972年)
- フェリーニのアマルコルド Amarcord (アカデミー賞外国語映画賞、NY批評家協会賞作品賞を受賞、1973年)
- カサノバ Il Casanova di Federico Fellini (1976年)
- オーケストラ・リハーサル Prova d'orchestra (1979年)
- 女の都 La Citta delle donne (1980年)
- そして船は行く E la nave va (1983年)
- ジンジャーとフレッド Ginger e Fred (1985年)
- インテルビスタ Intervista (モスクワ映画祭グランプリ受賞、1987年)
- ボイス・オブ・ムーン La Voce della luna (1990年)
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