白+黒 ÷ 2 = 黄
中庸の徳
小林+大林 ÷ 2 = 林
柳よ、私のために泣いておくれ No.14
Willow Weep For Me...
This is Jazz. って感じだな・・・
Willow Weep For Me
Lyrics by Ann Ronell
Oh! Willow weep for me
Willow weep for me
Bend your branches green along the stream that runs to sea
Listen to my plea
Listen willow and weep for me
Gone my lovers dream
Lovely summer dream
Gone and left me here to weep my tears into the stream
Sad as I can be
Hear me willow and weep for me
Whisper to the wind and say that love has sinned
To leave my heart a breaking and making a moan
Murmur to the night to hide her starry light
So none will find me sighing and crying all alone Oh!
Weeping willow tree
Weep in sympathy
Bend your branches down along the ground and cover me
When the shadows fall, bend oh willow and weep for me
柳よ、私のために泣いておくれ
詩 アン・ロネル
訳 青柳洋介
柳よ、私のために、泣いておくれ
柳よ、私のために、泣いておくれ
海へ連なる小川のそばで、緑の枝をたわめて
私の願いを聞いておくれ
聞いておくれ、柳よ、私のために、泣いておくれ
立ち去った恋人の夢
美しい夏の夢
私をここに残して立ち去ってしまった
それで、なみだを小川へ流している、とても悲しいので
聞いておくれ、柳よ、私のために、泣いておくれ
風に向かって、愛は罪だったとつぶやいておくれ
私の心は破れたままで、うめき声が出る
夜には、星の光を隠すようにつぶやいておくれ
だれも、私のため息やひとり泣きに気づかない
泣いている、柳よ
同情しておくれ
お前の枝を地面にたらして、私を覆っておくれ
影がかかるように、枝をたわめて、私のために泣いておくれ、柳よ
〆
柳と青い柳の交感、、、
偶然が偶然を呼び、、、必然となった・・・
12/16/2008
柳家花緑
NHKのアラビア語講座・・・ 才能高し、花緑さん・・・
アラビア語は音楽です・・・ モロオカ・カリーム?
面白かった~~~
世襲でも、いい人は良い、良くない人は良くない・・・
それだけ・・・ 実力勝負ですが・・・ 芸人の原点ですよね? 花緑さん?
花緑さん、やるね~~~、さすが、国際派・・・ 笑い
2001年に林家きく姫と同居、婚約。本来ならば2002年に結婚予定だったが、小さん死去に伴い、現在に到るまで結婚は延期された状態である。
1987年2月、祖父5代目柳家小さんに入門、前座名「九太郎」を名乗る。
どうも、花緑さんとは、縁があるのかな?
僕のターニングポイントの、1987年、2001年が絡んでいる・・・
縁は異なもの、味なもの・・・
びっくりした~~~
僕も、柳系です・・・ 青柳・・・
摩訶不思議~~~
勘九郎さんとは、お会いしたことがあります。九、って、そちら系の業界では、キー・ナンバーなのかな?
九太郎・・・
お化けの、Q太郎 から取った芸名だったのかな?
柳原白蓮 天皇家の血を引く熱い女・・・
柳系?
---Wikipedia
柳家 花緑(やなぎや かろく、本名:小林 鳩(こばやし きゅう/戸籍上は九)、1971年8月2日 - )は、社団法人落語協会所属の落語家(真打)。東京生まれ。人間国宝であった5代目柳家小さんは母方の祖父に当たる。兄は振付家(元バレエダンサー)小林十市。叔父は6代目柳家小さん。
1987年2月、祖父5代目柳家小さんに入門、前座名「九太郎」を名乗る。兄がバレエ向きの顔(当人は暴れん坊だったと証言)に対して、見た目が落語家向きであるとする母の直感もあったとのこと。その後、5代目小さんは内弟子をとらなかったため5代目小さんの最後の内弟子となった。
1989年9月、「小緑」で二つ目、1994年3月、異例の早さで真打昇進、「花緑」に改名。真打昇進時の年齢22歳は、戦後での落語界最年少。子ども向けの落語や、六人の会(春風亭小朝、立川志の輔、春風亭昇太、笑福亭鶴瓶、林家正蔵、柳家花緑)での活動で、落語の振興につとめている。
2004年に映画ヒナゴンに西野俊彦役として出演。映画初出演となり、活動の場を広げる。
NHK教育テレビ『にほんごであそぼ』に2006年まで出演。この番組で『寿限無』が子供たちの間でちょっとしたブームになったが、その実質的な立役者とされる。また、この番組への出演がきっかけとなり、現在では低年齢層を中心とした幅広い落語普及の活動も行っている。
また 2005年6月放送『知るを楽しむ』のコーナー「なんでも好奇心」(同左)でも、「漱石の歩いた東京」と題して半藤一利(作家)とともに番組の講師を担当する(カーロック(花緑)・ホームズとワトソンというキャラで登場した)。2006年以降も毎週木曜日の「歴史に好奇心」に引き続き出演している。
また、2006年4月よりテレビ東京系列ほかで放送中の「匠の肖像」のナレーションを担当中。モノ作りの匠を取材するショート・ドキュメント番組に、声の匠として競演。
また、2006年10月よりフジテレビ『とくダネ!』の1コーナー「温故知人」にレギュラー出演している。「温故知人」2008年5月13日放送分にて祖父5代目柳家小さんが登場している。
祖父小さんを引き継ぎ、須藤石材のイメージキャラクターを務める。
2001年に林家きく姫と同居、婚約。本来ならば2002年に結婚予定だったが、小さん死去に伴い、現在に到るまで結婚は延期された状態である。
NHKアラビア語会話
NHKは2004年10月に、テレビ「アラビア語会話」を定番講座としてスタートさせた。花緑は番組の開始当初から生徒として出演。第1シリーズ(2004年10月~2005年3月。翌年度は1年間で2度再放送)では卒業試験として"宇宙初"という「アラビア語小噺」を披露した。
講師を務めるエジプト人と日本人のハーフである師岡カリーマ・エルサムニーが歳も近い花緑のことを特に気に入っていたため、第2シリーズ(2006年4月~9月。同年10月以降再放送)でも生徒として出演。第1シリーズのゲストだった建築家のラナ・デュベーシは留学を終えたためレバノン共和国に帰国しVTR出演となったが、もう1人のゲストであるアルモーメン・アブドゥーラは番組に残ったため、花緑も戸惑うこと無く勉強している。回が進むにつれ、冒頭の挨拶もアラビア語で行うようになった。
第2シリーズでは、以上の点を踏まえ、「アラビア語真打ち」を目指すという目標が掲げられている。
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