意味が分からん、話も分からん
映画、内田吐夢
花の花魁、吉原百人切り - 高円宮さんがいた財団の企画
10/02/2008
ニッポンの美学
しがない夜鷹上がりの女が、純真な絹織物問屋のダンナを利用して、太夫に登りつめる。
そして、太夫のお披露目の日、満開のサクラの下で、騙した捨てた落ちぶれた元ダンナに斬り殺される。
それも、妖刀で・・・ 百人斬~~~
そして、最後は、ふたりとも憤死・・・
これぞ、日本伝統の美学!
ダンナ役:片岡千恵蔵
夜鷹役:水谷良重
こういうのを究極の贅沢と呼ぶ・・・ ニッポンの伝統的美学!
思い出せ~~~、ニッポン人よ!
Aoyagi YoSuKe
これも運命の出会いなどとのたまっている。
向かって右側に大いなる痣が。そう、これが後の次郎左衛門。
そんなこんなでOP、本編へ。
成人後の次郎左衛門。皆、怖がって近くに来ない。
題名のとおり、花の吉原が主たる舞台。
豪華絢爛とは雖も、無駄に派手さを強調せず、時折金メッキを誇張させる程度で全体には物語から浮かばないようにシックなたたずまいとなっている。
吐夢監督らしく、じわじわと迫りくるような、小説を読んでいる感触の展開。
吉原は立花屋にて、それなりに信望者は附く模様。
次郎はそれが心強いかのようであった。
裏では借金問題にて動いている。
お源の「化物」発言に激怒しかける次郎。
玉さん、何も言わない。ただじっとしているおみ。
芸者だけに、相手なんて誰でも良かった。
目当ての1000両も消え去った。
皆からは失笑を受け、亡霊扱いせられる。
傍にて失笑しているお源や太郎兵衛がおぞましい。多くの鑑賞者が注目しないであろう日陰の部分にまで念入りの小細工が仕掛けられているのは心強いくもあり、興味深くもある。
怒りが爆発するかと思いきや、次郎左衛門、無言のままに相方と立ち去るのみ。
茲は最高に静寂感漂う。正に感傷そのもの。
どこぞの家にたどりつく。少数の子分や信望者に迎え入れられる。
子分のカップルが結ばれるとかで祝いを挙げてやる次郎左衛門。仲人を引き受けてやると言う。
仲人であり、たった二人の結婚式出席者の一人である次郎左衛門。
もう一人は宿の婆や。
婆や、感無量の余り、泣きじゃくっている。カップルも感無量。
次郎左衛門、喜ぶこともなく、泣きじゃくることもなく、無表情のままに歌い続ける。
寂しくても皆にとっては何よりも心強い宴の場であったことであろう。
然る静寂とは裏腹に、玉さんの2代目八つ橋襲名披露が盛大に行われている。
花の吉原の吹きすさぶ中。祝う者も数多し。
この哀しきコントラスト。
丈助一行、料亭にて現場を眺めていた。女が次郎左衛門のことをわざとらしく憐れむと、丈助、「知らぬが仏」などと言って次郎左衛門のことを思い切りこき下ろしていた。
次郎左衛門、陰にてその現場をじっと眺めていた。
いざ、花の吉原にて百人斬りが始まる。
まずは塩を投げたお返しにか、お源と太郎兵衛に突撃。
やってくる護衛をもろともせず、その二人をあっさり刺してしまう。
次々と護衛や役人を斬り捨てる。自らの罪をどんどん重くしてゆくようであり、一時的にストレス解消になるものの、その後を考えるとひたすら憐みがほどばしる。
本命は二代目八つ橋を斬ること。
恋心が邪魔してか、中々斬れず、役人に邪魔される。
八つ橋は百人の範疇に入らないのか。正に手に汗握る展開。
最後の最後、門のある行き止まりに差し掛かった八つ橋。見事、腰部を突き刺す。
八つ橋、何故かまだ生きている。密かに菅原文太を超越する無敵のほどを主張してみせる。
八つ橋、気が狂ったか、ひたすらに助けを求めている。
次郎左衛門、八つ橋と心中するつもりなのだろうか。そうはさせじとばかりに役人たちが問答無用で襲い掛かる。
斬っても斬ってもきりがない。
傷口をもろともせず、勢いのままに殺人鬼と化す次郎左衛門。
散り行く桜がその狂いようをより一層煽り立てる。誰に求められない。
ためこんでいた怒りの炎は、爆破すれば誰に求められない凶器と化す。
悲劇のままに、実におっかなく幕は閉じられる。
前半戦は小説っぽい流麗なる展開で、特に起伏をつけない。
どちらかというと感傷的である種のほのぼのさが漂っている印象。
次郎左衛門の朴訥でどこか温かみを感じさせる麗しき喋くりがその感傷的な感を強める。
玉さん=八つ橋と次郎左衛門の関係がこじれた辺りから俄然悲劇の幕があがる。
ふとした動機から巻き起こる底なしの悲劇。
これは脚本、依田義賢。
人の良さが災いしてか、まさかの悲劇に陥るその救いようのなさは脚本の威力によるところが大きいのか。
依田がミゾケン・イズムを僅かに持ち込んでいることの現われなのか。
クライマックスの百人斬り。
次郎左衛門、刀を右手にかざし、次々と人を斬る。近くに居た人たちを問答無用に。
どこか鈍臭さが垣間見られるのは芸風の現れなのだろうか。
もう少し狂気に満ちて問答無用さを表しても良く思うのだが。
八つ橋を中々斬れないのは恋心の現れかと記したが、実のところ、そうでもなさそうであり、単に鈍間さが浮き彫りになってしまっている。
最後、八つ橋を斬り捨て、襲ってくる役人たちを問答無用にて斬り殺し、発狂する次郎左衛門。
その風景を遠景にて映す。ただひたすらに狂気と化すのみ。それは猟犬にも見える。
茲にてやうやく千恵蔵の本領発揮せりといったところか。桜の舞と猟犬風情が見事に絵になっている。
どこか不器用に見える千恵蔵の刀の振り回し具合が力強さと悲哀を感じさせる。
最後の最後に一挙に決めの場面を処理する所に特長がある。
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