5階建てくらいのこじんまりしたホテル。世界のホテル20選に入ったりしている。
ピアノの魔術師リストの絵が飾ってあった。ヘミングウェイなども定宿にしていた?
ホテルマンは感じがよくて、ニコニコしていた。帰りに空港までハイヤー(ベンツでした)を雇ったが、運転手がとても感じがよくて、チップを含めて、倍額を支払った。
気持ちがよかったな~~~
フェラガモで革ジャンを買った。トロッテリアからリストランテ、ピザ屋さん、、、立ち飲みバーで、飲んだ酒は、何だっけ? ウゾーじゃなくて、有名な強い酒、、、グラッパはキイタ~~~
ミラノから入って、フィレンチェ、ローマ、、、楽しかったな~~~
帰ってきたら、3キロくらい太っていた・・・ 食いすぎ、、、
青柳洋介
追伸:
ディンギルテッラは、貧乏な格好をした僕たちを温かく迎えてくれた・・・ 不思議だった?
バレンティノって、セント・バレンタインと関係があるのだろうか? バレンティノの神通力なのだろうか?
---モロゾフのホームページより
戦前の1936年(昭和11年)2月12日、神戸で発行していた外国人向け英字新聞「ジャパンアドバタイザー」は「バレンタインデーにはモロゾフのファンシーチョコレートを」という広告を掲載しました。
バレンタインデーにチョコレートを贈る習慣を日本で初めて啓蒙した広告ですが、どうしてこのような広告を出したのでしょうか。
当時、軍需産業の好景気のあおりを受け、民需産業は圧迫されていました。そのような最中に出された広告には、チョコレートやお菓子に対するモロゾフとしての独特のこだわりや愛情があったとされています。
1992年聖バレンタイン殉教の地イタリア・テルニ市から神戸市に愛の像が贈られました。
イタリア・テルニ市は聖バレンチノ教会のある場所です。
かつてのローマ皇帝クラウディウス2世は、強兵策の一つとして兵士たちの結婚を禁止していました。これに反対した聖バレンチノ教会のバレンタイン司祭は、皇帝の命に反し多くの兵士たちを結婚させました。このため皇帝の怒りをかい、ついに殺されたということです。
この殉教の日が2月14日で、バレンタイン司祭は聖バレンチノとして敬われるようになり、この日をローマカトリック教会では祭日としました。
1984年、このバレンタインデーの起源ともいえる、テルニ市にある聖バレンチノ教会をモロゾフが探し当てました。このことをきっかけに、モロゾフとテルニ市は交流を深め、後年の神戸市とテルニ市の交流の架け橋となりました。
テルニ市よりいただいた寄贈品は今も「モロゾフCSセンター」で保管されています。
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