●日本の大学の歴史
開国にともなって、築地鉄砲洲のあたりは、外国人がすんでもよい場所となった。その後、諭吉の塾は、芝の新銭座を経て、今の慶応義塾がある三田へ移った。
明治に入って学校制度はじょじょに整っていったが、西洋の学問の優れた点をいち早く教えたのは慶応義塾。
江戸幕府は、中国の古典研究のための昌平坂学問所、外国からのレポートを翻訳させる蕃書調所を作った。伊東玄朴らがつくった種痘所が西洋医学所となった。それらをまとめて、1877年に東京大学になった。
新島襄は、東京大学よりも早い1875年に京都に同志社英学校(同社大学)をはじめた。
そのご、東京大学は帝国大学となり、帝国大学は東北・九州・北海道・京城・台北・大阪・名古屋に作られた。
私立の学校も増えて、東京法学校・東京仏学校(法政大学)、専修学校(専修大学)、明治法律学校(明治大学)、東京専門学校(早稲田大学)、英吉利法律学校(中央大学)、関西法律学校(関西大学)などが次々に作られた。
東京物理学校(東京理科大学)も入れたいな。吉田茂も出ているんじゃなかったっけ?
日本の大学の歴史の中で、福沢諭吉の慶応義塾はもっとも早く出発した学校。
でも、慶応義塾も「建学の精神」を忘れてしまったのではないの?
「小泉元首相」や「甘利大臣」は「慶応義塾」の卒業生です。福沢諭吉が生きていたら、嘆くだろうな~~~
おふたりへ、
「天は人の上に人をつくらず、
人の下に人をつくらず」・・・
もう一度、「学問のすすめ」を読んでみたら、いかがでしょうか?
★著者の高山さんはあまり理科系は通じていないようだ。これからの時代は理科系が力を発揮するのは間違いない。政治の分野でも。これは世界の流れだと思う。理科系に通じていない政治家は使い物にならないと思われる! 胡錦濤さんも温家宝首相も理科系の出身、なおかつ文科系にも通じているはず! だって、温家宝首相の日本の国会での演説は素晴らしかった。文理に通じていることは明らかだった!
★緻密で大胆が要求されると思う(細心にして大胆よりも、緻密で大胆です)。
細心、大胆はどちらかというと感性のほう。緻密とというのは知性のほう。
緻密な知性と大胆な感性を兼ね備える政治家が有能な政治家になると思われる!
昔の政治家で言えば、「吉田茂」。東京物理学校で勉強し、東大法学部を出て、外交官試験に受かり、海外経験が豊富!
だから、国葬までするほどの政治家だったと思う!
ただ、そのタイプの政治家である吉田茂を真似しても、「時代遅れ」です。真似が好きな日本人に言いたいですが。。。
先人から学んで、その時代に合うように応用する。日本人の大きな欠点! 猿真似が多いこと・・・
日本人がクリアしなくてはならない第一の壁。
「僕は、僕です」
「あなたは、あなたです」
つまり、「自主独立の精神」です!
第二の壁
「自分自身の考えを主張すること」
「黙っていては、大事なことは伝わらない」
「妄想合戦になる」
日本人の好きな「腹の探りあい」
言葉を変えると、「妄想合戦」に過ぎない。
第三の壁
「自分の目でリアリティを見ること」
「そして、自分の頭で考えること」
「そして、判断して行動すること」
くらいかな?
福沢諭吉がやったことですが・・・
青柳洋介
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