不動は筋肉がしまっている。
不動のコメント
「楽しんでやっています」
勝負より、一打に集中して、楽しめば?
勝負はトキの運・・・ 自分のプレイをすれば、自ずから実力どおりの結果になる・・・
ゴルフのメジャー大会でしょ?
楽しんだ方がいいよ・・・ 結果は結果・・・
近場に、目青不動尊がある。願かけとくか(笑い)
青柳洋介
追伸:

関東三十六不動霊場十六番札所
竹園山 最勝寺 教学院
目青不動尊
阿姿羅庭童子
御本尊 阿弥陀如来・不動明王
東急新玉川線(営団地下鉄半蔵門線直通)・三軒茶屋駅より500m
東急世田谷線・三軒茶屋駅より450m
天上界と地上界の間にたなびく青い雲の色に基づく不動尊である事から、天と地の連絡をして下さる不動尊というので、いつしか「縁結びの不動」とも云われ、若い男女、特に女性の尊崇を集めてきた。
平直方の「夏山雑談」(寛保元年)によれば、慈眼大師天海が江戸城鎮護のために不動明王像を造立し、王城鎮護の四神にならい江戸城の四方に配置したのが目黒・目白・目赤・目青の四不動であろうとしている。
これを後になって徳川将軍家光が、四不動に目黄不動尊を加えた五つの不動尊を「五目不動」としてまとめあげたため、以後は江戸五色不動の一つとして知られるようになった。
即ちこの五色とは「目」にあるのではなく、東西南北中央の五方角を色で示したものである。
創立は、応長元年(1311)で、江戸城内の紅葉山の位置にあった。その後、太田道灌の江戸城築城により麹町貝塚に移された。開基は法印・玄応大和尚(1615年没)である。
慶長九年(1604)に青山南町にある3千坪以上の土地を拝領し、みたび移転。五世・岸能(中興開山)の代、寛永九年(1632)に移転を完了し、この時に寺門を構えた。
当初は赤坂日枝神社別当寺である山王城琳寺の末寺であったが、小田原城主・大久保加賀守忠朝の菩提寺となるに及び、東叡山寛永寺末となった。
以後、相州小田原大久保氏の菩提を弔う習いとなった。
目青不動尊を安置する不動堂には常に燈明が捧げられ、御本尊のお厨子と、その前に座す御前立不動尊を照らしだしている。
座高1メートル余りの御前立像は青銅製で寛永十九年(1642)正月十一日の銘がある。丸い顔で上下の牙歯が無く、微笑を堪えている様にも見える左右のえくぼが女性的である。
追伸:
五目不動
●目黒不動(現、目黒区下目黒3-20 瀧泉寺)
●目白不動(現、豊島区高田2-17 金乗院)
●目赤不動(現、文京区本駒込1-20-17 南谷寺)
●目黄不動(現、江戸川区平井1-25 最勝寺)
(現、台東区三ノ輪2-14 永久寺)
●目青不動(現、世田谷区太子堂4-15-1 教学院最勝寺)
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