イルカはかしこいのか?
私はUCSCに戻り、ボブ・トリバーが担当している社会的行動の進化に関する卒業セミナーを受けた。ボブは動物行動学(人も含む)の重要な理論もいくつか担当している。ボブは、ささいなことから高度なことまで、生物学の幅広い知識を使って講義をした。私は講義に集中したが、座ったままで話を追うしかなかった。ボブの斬新な話を聞くと、意識が拡大する気がする。論文「相互利他主義の進化」を読んだときに、私の人生を変えるひらめきが浮かんだ。私は進化論をかなり理解できるようになり、急にアリやミツバチやスズメバチなどの行動が見えるようになり、人に対してもその感覚が持てるようになった。
骨や石などの化石の記録を無視できない人は進化論を信じる。化石の数は多くはないが、化石には生き物の形跡がたくさん残っていて、化石を見れば種の進化の過程が手に取るように分かる。古い形態から別の形態へ、まったく異なる現在の形態へと変化していく様子が分かる。
約六千万年前、牛、カバなどの二本の蹄を持つ生き物の祖先が海に戻り始めた。水中に住む新たな生き物は、アライグマやカワウソに似ていたが、初めは浅瀬でエサを漁っていて、泳ぎもうまくなかった。そして、水中深く潜って、水中に住む生き物になり、鼻孔は頭頂へ移っていった。つまり、イルカの噴気孔がある場所に鼻孔が移って、水面で呼吸しやすくなった。耳も水中で音を聞きやすいように変化して、目も水中で見やすいように順応した。後ろ足はだんだん消えていって、魚雷型の強靭な尾ビレに進化し、前足は胸ビレに変化した。皮膚は体毛が消えて水にさらされ続けても大丈夫なように変化した。体の形態や生理機能のすべてが劇的に変化して、海で生きる難題に適応した。
この変化は少しずつ起きた。意図的な計画も目標もなかったが、数え切れない世代を経て海洋環境に順応していった。まず、少しの変異が古代のクジラに現れて、その子孫に受け継がれた。進化生物学の観点からは、個体は生活に順応すればするほど、子孫を多く残せる。さらに多くの個体が次世代には遺伝子と特性を子孫に伝える。ダーウィンに始まる生物学者は、このように段階的に変化する過程を「自然淘汰」と呼んだ。
淘汰説は単純に思えるが、大きな影響をもたらした。繁殖が成功する度合いによって、進化が「伝達する割合」が決まることがとくに重要である。繁殖が成功すれば(他の種よりも多く良くという意味で)、その種は将来の代表的な種になれる。繁殖できなければ種の将来に何ら貢献できない。
私は最終的に、淘汰説から繁殖という黙示を受けた。すべての動物の行動と、生物学上の決定的な特性は繁殖にある。当時、私は自身の繁殖には興味がなかった。大学の身近な人たちも、繁殖に関してほとんど話さなかったし、将来のことを考えて、繁殖して遺伝的に優位になろうとは思っていなかった。
生き物は進化のメカニズムなど知る必要はない。クモは巣を作る理由を知らないが、とにかく巣を作り、しかも上手に作る。そのクモの祖先が上手に巣を作ったので、そのクモは他のクモより繁栄した。生き物は繁殖が重要だと、無意識に感じて繁殖したいと望むが、実際には、生き物は繁殖と無関係に思える細かいことに捉われて行動を決めている。最近の研究によれば、個々の生き物は、無関係に思える深い意識に大きく影響されながら、種の将来の道筋を決める行動を取ることが分かった。
私は進化論について考えるとき、自身が無駄な行動を取らないように、必ず繁殖の(遺伝子の)伝達を考えて損得勘定をした。単純な進化のメカニズムから言えば、個体は自身が損をしないように繁殖しようとする。
すべての食物を他へ与える寛大な動物は、餓死するか子孫を残せない。そのため、寛大な行動を取らせる遺伝子は絶滅するしかない。他方、できるかぎり食物に群がり自身を肥育して、子孫にも充分な食物を与えて、まさかのときに備えて食物を蓄える動物は、寛大な競争相手に比べて、子孫を多く残せる。食物に群がらせる遺伝子は生き延びる。だからこそ、寛大な行動にはいささか驚くし、出くわすこともめったない。
進化の論理は人類のモラル・スタンダードにとって、必ずしも「喜ぶべきこと」ではない。遺伝子と、遺伝子がさらされる環境の下で、生き物は複雑に絡み合っている。生き物は必ずしも合理的には行動しないし、整然とも行動しない。人類のすばらしい点は、歴史や遺伝子に束縛されないことだ。戦争、窃盗、幼児殺害などの醜い利己的な行動も取るが、同時に友情や、寛大さや、愛や、知能などに基づく偉大な利他的な行動も取る。つまり、繁殖と矛盾した行動を取る。自然淘汰は根源的で無慈悲であるが、同時に卓越してエレガントでもある。
私は、イルカとイルカの知能に関して斬新な疑問がわき、新たな進化の要因を発見した。人以外の動物では、イルカがもっとも大きな脳を持つ(体の大きさに対する脳の大きさの比)。脳が大きければ、きわだった特徴が現われる。脳は高度な組織からなるので、カロリーをたくさん消費する。しかし、大きく高度な脳の利点は大きい。脳は単に
「燃費の悪い大型車」
ではない。
脳の利点が何であるか、どのような環境下であれば、利点がコストを超えるかが重要な点だ。イルカの脳と人の脳との差は、生理学的に重要だ。大脳皮質によって抽象的な思考や推論ができる。大脳皮質は
「脳の高位の処理」
と関連があり、意識の礎とも考えられる。
大脳皮質は人の脳の中で、もっとも新しい組織であり、革新的に進化した。約百万年前、人の祖先の頭蓋骨は急に大きくなったが、頭蓋骨と大脳皮質が同時に大きくなったのは明らかだ。人類が知的に行動して、精巧な道具、芸術、文明、文化などを生むにしたがって、大脳皮質も大きくなった。
イルカの大脳皮質は大きいが、人のものと比べれば薄い。大脳皮質を形作るニューロンは、イルカと人とでは様態が異なるので、イルカがどのように考えて感じるかをニューロンから断定するのは難しい。
人と同じように推論する力を持っているか?
死に関して知覚できるか?
正邪と公正と罪に関して考えられるか?
海のことを人に教えてくれるか?
イルカ同士でどのように感じあっているか?
人に関して何か考えているか?
イルカの脳は大きいが、人の脳とはかなり異なるので、イルカの行動は簡単には理解できない。よく耳にするイルカの話は、「イルカはどれくらい賢いのか」だ。でも、この質問は、人の脳で起きていることを解明するのと同じく難しい。人は自身のことを賢いと考えているので、「イルカも人と変らないくらい賢いのか」という疑問を持つ。その議論を何故やめないのか、何故イルカと人を比較するのか。人は自分は愚かだと言うし、賢さの基準も明確ではない。
生物学者や心理学者は、知能とは何かを考えて苦しむ。生き物を観察して、実験して比較すると、必ず、
「どれほど賢いのか」
と尋ねられて、
「どのくらい賢いのだろうか」
という疑問につねに悩まされる。
動物の知能の研究者は、動物の種類によって学習できることが異なることに、着目しなければならない。どんな動物であっても、学習できることと、学習できないことがある。何を学習できるかが、賢さの本質かもしれないが、それは外部環境によって決まるのかもしれない。動物によっては、複雑な技能も獲得するが、それも条件が整った場合に限られる。
ジョン・ガルシアはラットを使った古典的な実験で、ラットが特殊な技能を学習する例を示した。ガルシアは、動物が嫌な味をどのように学習するかに興味を持っていた。ラットに吐き気をもようす味を覚えさせると、ラットはその味をすぐに避けるようになるし、いったん吐き気を覚えると、長い間その味を忘れなかった。ラットがある音を聞くと、電気ショックで嫌な皮膚感覚を起こす実験もした。電気ショックと味を結びつけることは、ラットにとって難しいことが分かった。ラットのような動物は、味と吐き気は簡単に結びつけられるが、味と皮膚への刺激は簡単には結びつけられないことが分かった。自然環境下では、危険な食物を味覚で見分けなければならないので、この実験結果は道理にかなっている。刺激の関連性や動物の生態によって、動物がふたつの刺激を結びつけられるかが決まる。もしも、動物の知能を適切に調べたいならば、動物の自然史をよく把握しなければならない。種によって自然史は異なるので、一般的な方法だけで動物を比較するのは難しい。
イルカの知能を調べる場合に、イルカの脳を解剖して、脳の使い方を推察するよりも、実際にイルカの行動を観察するほうが良い。室内で「イルカの賢さ」を調べる方法を検討して研究もできるが、最終的にはイルカの行動と生態を海で観察しなければならない。海こそ、イルカが数百万年かけて脳を進化させた場所だからだ。そして、イルカは今も海で生きている。
イルカが野生の中で脳をどのように使うかを調べれば、イルカから学べることが分かる。調べていく過程で、人の知能についても、何かが分かるかもしれない。イルカは計り知れないほど貴重な機会を与えてくれる。イルカと人とはかなり異なるが、イルカも人と同じように脳を巨大化させた。イルカと人を比べるときには、両者の脳が大きいことに着眼すべきだ。そして、次のような疑問がわく。
大きな脳は何の役に立つか?
どのような環境下で大きな脳に進化するか?
脳の大きさと知能との関係は何か?
イルカと人はまったく違う世界に生きている。無関係な二種の生き物が、
大きな脳と知能を同じように進化させた原因は何なのか?
イルカと人は関係が少ない生態系で進化したが、
それぞれ独自に生態系に適応する難題に立ち向かったのだろうか?
イルカは食物を探しながら、肉食獣から逃れようと動きまわっている。このように、社会への適応の仕方も人と似ているので、ここに何らかの答えがあるはずだ
私はイルカの知能と、動物全般の知能の進化に興味を持っている。たまたま出会った人たちから聞いた二、三の話がきっかけとなり、私はイルカを慕うようになった。それらの話がもとで、イルカと面と向かって触れ合うようになった。
あるとき、私はポート・エリザベス水族館の大きな水槽で飼育されていた赤ん坊イルカに強い印象を受けた。赤ん坊イルカ、母、仲間たちを見たことがきっかけで、イルカの行動を詳しく観察しようと決心した。ある日、研究者が水槽のガラス窓のそばに座って、タバコを吸っていた。赤ん坊イルカが窓に近づいてきて、立ち昇るタバコの煙を興味深げにながめていた。煙がガラスに沿って立ち上ると、赤ん坊イルカは意識的に煙の後を追った。赤ん坊イルカは母のそばに戻って少しだけ乳を吸い、水槽の窓のところに戻ってきて、口の端から乳のしずくを吐き出した。それは、まるでタバコの煙が立ち上るかのように、ガラスに沿って昇っていった。
私はこの例を見て、また他の話も聞いて、イルカの創造性と知能に興味を持った。そして、イルカの世界へと旅立ち、十五年以上にわたって野生のイルカを観察した。その間に研究仲間と協力して、イルカに対する考え方や、知能の定義の仕方などについて、常識を大きく変える発見もしたし、他の生き物にも親近感が増すような発見もした。
個人的な話だが、イルカの世界への旅によって、イルカだけではなく、私自身や人のことも学んだ。キラキラする水面下で、イルカが動きまわるのをじっと見ていると、急に目の焦点が深くなっていき、イルカが泳いでいる姿が、まるで自分自身のように見えてしまう。
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