派遣雇用 <-> 派遣切り
クリエイティブな議論ではない。対立しているだけ。
たとえば?
派遣社員を雇用する。
派遣社員へ、選択肢を与える
1. 派遣社員から、正社員への道
2. 派遣社員から、のれん分けへの道
3. 派遣社員から、別の世界へ
だから、キーワードは、派遣社員の教育である
モノづくり大国から、人創り大国へ
発想の転換をせえよ~~~
すべての経営者へ
日本は資源貧国、日本の最大の資源は? 人的リソースである
モノづくり大国から、人創り大国へ
発想の転換をせよ~~~
そして、人創りは? 時代のニーズに合ったものでなくてはならない。
経営者の仕事は人を殺すことではない、人を活かすことである - 松下村塾MBA
道を作っても、歩く人がいなければ、道は廃れる・・・ 道路公団
道を作っても、歩く人がいなければ、道は廃れる・・・ 柔道家、姿三四郎
道を作っても、歩く人がいなければ、道は廃れる・・・ サムライ、宮本武蔵
道を作っても、歩く人がいなければ、道は廃れる・・・ 政治家、鳩山由紀夫
道を作っても、歩く人がいなければ、道は廃れる・・・ 宗教家、キング牧師
道を作っても、歩く人がいなければ、道は廃れる・・・ アーティスト、ジョン・レノン
道を作っても、歩く人がいなければ、道は廃れる・・・ ロッカー、ボブ・マーリィ
道を作っても、歩く人がいなければ、道は廃れる・・・ 詩人、高村光太郎
おもしろい企画に飛び入り参加させてもらった、お礼です。
東大工学部教授、元先端研所長 橋本さん
東大工学部準教授 加藤さん
橋本、加藤、両氏にお世話になったので、「文化の日によせて」というタイトルで、高村光太郎の「道程」を送りました。
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橋本さま
高村光太郎の「道程」を思い出しました。
昔のかすかな記憶を頼りに、ネットから引っ張ってきたので、
誤りがあった場合は、ご容赦願います。
「過去」に戻る、がとても気になったので。。。
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道程
高村光太郎
僕の前に
道はない
僕の後ろに
道は出来る
ああ
自然よ
父よ
僕を
一人立ちさせた
広大な父よ
僕から目を離さないで
守る事をせよ
常に
父の気魄を僕に充たせよ
この遠い
道程のため
この遠い 道程のため
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青柳洋介
レーチェルさんのパパは? 高村光太郎の父と似ている・・・
一か月前、父が突然亡くなった。アンドリューと私は、東南アジアを旅行して、パースに戻ったばかりだった。モンキー・マイアへ戻ろうとしたそのとき、電話が鳴った。母の声は震えていて、私は何か悪いことが起きたと直感した。
「レイチェル、悪い知らせよ・・・」
と、母は何度かすすり泣いて、友人に受話器を託した。
その友人は父が亡くなったと告げた。私は電話を切って受話器を戻し、メイン家のリビングの床にくずれ落ちた。父はまだ六十二歳で健康そうだったし、少なくとも、私にとっては無敵の強い男だった。父は社交的でもなく、話好きでもなかったが、父の行いは私の手本だったし、私は父を尊敬していた。まさか、その父が亡くなったとは信じられなかった。
母には私が必要だった。翌朝、私は悲しみに包まれ、故郷のロングアイランド行きの飛行機に信じられない気持ちで乗った。父が腰掛けていた、リビングルームのテーブルの席にはだれもいなかった。かごに入った洗濯物や、机上のコーヒーカップなどの父の持ち物は、そのままにしてあった。ほんとうに、父は亡くなったのだ。
葬儀の朝、私は母を慰めながら散歩した。サンウッドという古い屋敷がロングアイランド・サウンドの浜辺にあって、私たちはその辺りをぶらついた。サンウッドは家からまっすぐに道を下ったところにあって、私は子ども時代にはよく行っていた。浜辺で遊んだり泳いだりして、草におおわれた庭をぶらついたりもした。屋敷で催される大学のイベントに参加して、砂地で馬にも乗った。母と私は悲しみに包まれたまま、シャクナゲの植え込みに沿って浜へ降りた。波が静かに岩場に打ち寄せていて、カモメが岩についている貝をつついていた。アヒルが海辺で鳴き声をあげていた。
父は子ども時代から、熱心にバード・ウオッチをしていた。父は生物学の教育を受けていて、環境保護活動家でもあり、人生の大半を自然と共に過ごして、自然を守るために戦った。一九六〇年代初期、友人数名と共同で、環境保護基金を設立したが、今や、この基金は、世界でもっとも大きな環境保護団体のひとつになった。父の血筋はユダヤで、母はカトリックだ。ふたりの婚姻は両家に摩擦を引き起こしたが、ふたりは宗教の違いを乗り越えて、自然を信仰するようになった。子どものころ、私と兄弟は特定の宗教を強制されずに、むしろ
「生命が織りなす偉大さ」
を理解して、感謝するように教えられた。
自然界から教えられることは、私にとってキリスト教や、ユダヤ教に関する本などを読むよりも分かりやすかったし、私は宗教的なものを心の底から受け入れることもできなかった。だが、エコシステムを作り上げる関連性は目で見えた。しかし、ゴッドが天地創造したことを受け入れられなかった(ゴッドのあばら骨から特別に作った創造物が人であり、その結果が人類であることも受け入れられなかった)。自分の目で見たことや、人生について知ったことや、常識などが、さまざまな物事とつながっていることを理解した。
父は死んだが、父の肉体が偉大な生命の鎖を循環する有機物になることを知っていた。父の肉体はバクテリア、菌、木、クジラ、鳥などに受け継がれて、偉大で不可思議なガイア(地球生命体)の一部として存在し続けるだろう。母とサンウッドの浜辺を歩きながら、父の魂が木々、空気、海、アヒル、私たち自身、カモメ、貝、砂、風などの一部となって、私たちの周りを漂っていると感じた。悲しみが立ち昇って消えていくにつれて、私たちはそんな気持ちになった。弔問者のいる葬儀場へ戻ったときに、私たちは自身を超えて、人生をも超えた大きな中(ガイア)の一部なのだと感じて、慰められて、元気を取り戻した。
私は母に会って数週間を過ごし、母が父のいない生活に慣れた後で、オーストラリアへ戻った。オーストラリアへ発つ直前に、子ども時代に母と過ごした家を振り返って見ると、私は哀しかったが、楽観的でもあった。私には、子ども時代からの記憶が鮮明に残っているが、私にとって、浜辺はもはやサンウッドではなく、地球の反対側にあるモンキー・マイアになった。大事なのは昔のアヒルではなくて、モンキー・マイアにいる銀色のカモメ、白黒のペリカン、色とりどりの鵜、ブブブと噴気孔から音を出すホーリーになった。
父は私がモンキー・マイアに心を向けることを誇りにしていた。私がモンキー・マイアへ戻ることを父が喜んでいるのは分かっていたが、モンキー・マイアでの体験を、父と分かち合えないのは悲しかった。しかし、私はさらに意欲がわいて気合も入った。アンドリューがモンキー・マイアに来てひと月が過ぎていたが、アンドリューはすでにキャンプを設営していて、ボートも使っていた。イルカの赤ん坊が生まれていて、身ごもっているメスも何頭かいた。モンキー・マイアでは日常の事だ。
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