北海道拓殖銀行が、解体されることになった。北海道内の支店を、札幌に本店のある北洋銀行に譲渡するとともに、北海道以外の支店も順次売却し、最終的には拓銀はなくなる予定。都銀が経営破綻によってつぶれるのは初めてのことだ。
銀行の解体は、普通の会社ならば倒産にあたるが、銀行の場合、預金の取り付け騒ぎなど、経済全体への悪影響が大きいので、倒産という形はとらず、預金と貸出し債権を引き取ってくれる他の金融機関を探した上で、消えるという形をとる。拓銀の場合、営業の中心である北海道内の支店は北洋銀行に吸収されることになったものの、首都圏など他の地域の支店をどの銀行が引き取るか、まだ決まっていない。
●市場から見放された拓銀
拓銀の経営が破綻したのは、金融市場での信用が失われ、拓銀にお金を貸しても良いと考える金融機関が減ってしまったからだった。銀行は、日々の営業に必要な資金で足りない部分を、金融機関の間で短期的にお金を貸し借りする短期金融市場で調達している。
だが、1980年代後半のバブル経済の時に急拡大した不動産担保融資が約1兆円も焦げついている拓銀は、市場での信用が失われてしまった。拓銀の資金調達難は今年3月にも発生したが、この時は北海道銀行との合併を発表することで回避した。
その後、この合併話が破談になった9月にも資金調達が難しくなり、比較的高利の大口定期預金を集めることなどで何とかしのいでいたが、11月に入って三洋証券の倒産や株安の影響で、ついに行き詰まった。
以前なら、金融界における大蔵省や日銀によるコントロールが強かったので、いったんは資金調達が難しくなっても、大蔵省の指導により、他の金融機関などから金を貸してもらうこともできた。いわゆる「護送船団方式」の銀行経営である。
だが、ここ数年間に急速に進んだ金融の国際化は、すでにそのようなやり方を許さなくなった。市場原則を貫けば潰れてしまうような金融機関を、お上の意向で存続させるのは不健全なことだという考え方が世界の主流となっている。それを無視していると、日本の金融界全体が不健全だと思われてしまうのである。
●「ジャパンプレミアム」も背景に
拓銀の解体が発表される前の週、11月14日にかけて、日本の銀行が資金調達する際の金利が、欧米の銀行よりもおしなべて高くなる「ジャパンプレミアム」が発生した。日本に対する信用がそれだけ失われているということで、日本の金融当局は、信用回復措置を取らねばならなくなった。
10月末に香港の株価が急落して以来、日本を含む東アジア経済の成長が、欧米から疑問視されるようになった。その中で、金融機関の不良債権処理が進まず、景気が好転しない日本経済に対する不信感も強まった。11月14日には東京の平均株価が約2年半ぶりに15000円を割り込んだ。また、ドイツやアメリカの政府金融当局者が、日本の金融に対する懸念を表明したこともマイナスとなった。
そうした中、日本の金融不安の象徴とされたのが拓銀だった。拓銀は今年9月、北海道銀行との合併計画が破談になって以来、経営を立て直すことは非常に難しいくなっていた。拓銀が中途半端な状態で存続している限り、ジャパンプレミアムはなくならない、との見方が強くなり、大蔵省と日銀が動くに至った。
大蔵省と日銀は発表2日前の11月15日、拓銀の再建問題に見切りをつけた。拓銀の経営陣に対して、銀行としての存続をあきらめさせるとともに、拓銀と同じ北海道を地盤とする道内第3位の銀行、北洋銀行に対して、拓銀の支店譲渡を引き受けるよう、強く求めた。こうして、北海道開拓が始まって以来100年の歴史を持つ伝統ある拓銀は、消えることになった。
●「なにわ金融道」に負けた「道産子」
拓銀が破綻した最大の原因は、バブル経済の1980年代後半に、東京や大阪、札幌などの土地を担保に、不動産業者に対して巨額の資金を貸出し、それが焦げ付いてしまったことである。
当時の不動産融資の乱脈ぶりは、拓銀だけのことではないが、拓銀の場合、バブルの恩恵が比較的少なかった北海道に本店を持っていたことが不幸だった。住友銀行をはじめとする他の都銀各行が、どんどん高くなる東京や大阪の不動産を担保に高金利の金を貸し込み、大幅な利益を上げているのを尻目に、拓銀の経営者は自分たちも「内地」に渡って一旗挙げねば、と思ったに違いない。拓銀も1985年あたりから、東京や大阪の支店を通じて、不動産融資にのめり込んだ。
当時、すでに首都圏の商業地の地価はピークとなっていた半面、関西の地価はまだ上昇を続けていた。そのため、拓銀は首都圏だけでなく、関西の不動産関連業者にもさかんに融資した。だが、通常の銀行業務なら、土地の評価額の7割程度しか貸さないのだが、バブル期は今後の地価高騰も見越して、その時の評価額の1.2-1.3倍もの金を貸していた。
当時の金融機関の多くが同様の融資形態を取っていたのだが、拓銀の場合、東京や大阪に進出したのが後発だったため、融資の際、他の金融機関がすでに担保としている土地に、2番手、3番手の担保権を設定する形が多くなった。担保の順位が後になるほど、借り手の不動産会社が破綻した際、回収できる部分が減ってしまう。
1990年代に入り、バブル経済が崩壊すると、拓銀の不良債権も急速にふくらみ、未発表分を含めると1兆円を超えるようになった。拓銀は北海道では最大の銀行として殿様商売を続けてきただけに、金を返せない東京や関西の不動産業者から上手に取りたてるワザを持ち合わせていなかった。特に関西では、いわくつきの巨額の案件が焦げ付いた。「道産子」は、「なにわ金融道」に負けたのである。(当時、筆者は大阪で金融担当記者をしており、拓銀関係者の苦悩やため息を何回か聞いている)
●「拓銀は傲慢」の不評がアダに
拓銀はもともと、北海道開発の資金を調達するため、政府系の特殊銀行として明治33年に設立された。当然、体質は関西系の都銀などと比べ、お役所的で、事業が失敗した際の建て直しは不得意だった。北海道では「拓銀は傲慢だ」という不評もあった。
たとえば、札幌の不動産会社カブトデコムに対しては、バブルのころは自社の不動産部門のような扱いで1200億円を超す融資を行い、急成長させたが、バブルが崩壊するや、1993年には強引な資金回収へと態度を急変させ、カブトデコムの社長との資産争奪戦の結果、相手の社長を札幌地検に逮捕させてしまった。北海道全体のことを考えるべき拓銀が、こうした身勝手な対応をしたことが批判の対象となった。
今年3月、拓銀は貸出金総額に対する不良債権の割合が13.4%と、都銀の中で飛びぬけて多いことが分かり、経営不安説が広がった。都銀と長信銀はつぶさない、との方針を持っていた大蔵省は、拓銀を、北海道第2の銀行である北海道銀行と合併させる方針をとった。北海道銀行もバブル崩壊で経営が苦しかった上、北海道銀行の頭取が大蔵省出身だった。このため話は早く、3月末には合併の計画が発表された。拓銀が存続会社になり、来年4月に合併し、「新北海道銀行」と名乗るはずだった。
だが、北海道銀行の行員たちは、合併に強く反対した。バブルに乗って経営に失敗し、しかも「傲慢」との不評がある拓銀の経営陣が、そのまま自分たちの銀行を経営しにやってくるなどごめんだ、という理由だった。来年4月に合併するためには、合併に向けた具体策が今年9月末までに固まっている必要があったが、結局、両行の対立が解けぬまま、9月中旬、合併計画は無期延期となった。
合併延期によって再び拓銀の経営不安が広がり、拓銀はインターバンク市場での資金調達が難しくなった。株価も倒産警戒水準といわれる100円を割ってしまった。そしてその2ヶ月後、経営危機に陥っている拓銀を放置することは、日本の金融界全体にとってマイナスだとの声が強まり、拓銀はついに引導を渡されることになった。
●金融機関の淘汰は長期的にはいいことだ
拓銀の解体決定は、最近の三洋証券倒産や、山一証券の危機説などと合間って、非常に暗いニュースとされている。だが、不良債権を抱えたまま、自力での経営再建ができない体質の金融機関が多い以上、倒産や解体によって金融機関の淘汰が進むことは、結局は日本全体にとっては好ましいことになるはずだ。(倒産した会社の従業員の方々は大変だろうけど)
社債などを使った資金調達が盛んな欧米に比べ、企業の資金調達が銀行貸出し中心になっている日本では、昨今のような銀行の萎縮状況が続けば、いつまでも日本経済は回復しない。
銀行の本来の大切な業務は、将来性がありそうな企業に対して融資することにより、経済を活性化させるということである。だが戦後、大蔵省の強力な規制の下にあった日本の銀行は、お上の言う通りに金を貸すことのみを求められ、企業が計画する事業の将来性を判断する鑑定能力が育成されなかった。金を貸す基準は、担保の不動産だけだった。こうした不動産担保偏重の体制が、バブル経済を生み出すことになった。
バブル崩壊後、企業に対する鑑定力が足りないままの銀行は、資金貸出しの際の基準を失ってしまった。そのため、将来性があるベンチャー企業でも、銀行からは融資を断られてしまう。経営が厳しくなった会社には、銀行はアドバイスするどころか、一刻も早く資金を回収しようと圧力をかける。(これを「貸し渋り」という)
多くの銀行が後ろ向きの経営を続ける限り、日本経済は救われない。しかも大蔵省と日銀は、金融機関が抱える不良債権の金利負担を少なくするために、金利を史上最低に抑えているから、預金者の金利は悲しくなるほどに低いままだ。
拓銀の解体は、こうした悪循環を終わらせるきっかけとなりうる。金融市場はすでに、世界的に一体化しており、日本国内だけ世界と別のルールにしても回らなくなっている。金融が正常な姿になれば、日本経済も再び活性化する可能性が大きくなることは間違いない。
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