勘違いしないでね?
受賞者ではなくて、評価する側、出版社サイドに問題が大きいと言っています・・・
20歳で、夭折、フランスの数学者、ガロア
20歳で、引退、フランスの詩人、ランボー
本当に、金原が賞に値するだけの作品を書いたか?
若い女性の受賞、話題になる、売れる => 博徒、ブックメイカー、マッチメイカーの仕業?
参考までに、ランボーの詩です
音楽につれて:ランボー、ブルジョアを皮肉る |
四角い芝に区切られた街の広場 植木も花壇も整然とした広場には 日曜ともなればブルジョワどもが集まってくる 暑い癖して涼しげ顔の俗物ども 花壇の真ん中には軍楽隊の若い衆 横笛でワルツを吹きながら帽子をいじくってら 見物人の最前列でのさばっている親父ときたら 音楽を聴くより安物を見せびらかすのに忙しそう 鼻眼鏡の旦那たちは軍楽の調子っぱずれを一々批判 町の役人たちはデブの女房を連れておつきあいだ そのうち象使いどもがあらわれた 奴らの衣装ときたら広告塔のようなけばけばしさだ 緑色のベンチは隠居たちの社交場 丸い握りの付いた杖で砂をかき回しては 当節の条約論議に花を咲かせる かぎタバコをかぎながら、「つまるところは!」 でっかいケツでベンチを占領した 布袋腹の服にはボタンがきらりと光っている やおらパイプに口をつけるとタバコの灰がこぼれ落ちた 親父がいうにはこれは密輸品の上物だそうだ 芝生に沿ってチンピラどもが練り歩く こいつらトロンボーンの音に恋心を煽られたか がらにもなく大人しくバラの香をかいだりして 子守娘の気を引こうとまず赤ん坊を手なずけにかかった 俺はといえば格好は学生みたいにだらしないながら マロニエの木陰で 行きかう女たちを物色する 女たちはそんな俺を笑いながら振り向くが その目には淫乱な欲望がいっぱいだ 俺は言葉を発することなく 後れ毛のまとわり付いた女たちのうなじを眺めた また胸の膨らみの内側や薄っぺらな衣装を見ては 丸い肩の曲線につながる背中のあたりを思い浮かべた 俺は更に視線を落として女たちの足に目をやる 熱でほてった女たちの裸体を透視する そんな俺を変だと思うのは無理もないが 俺の欲望は女たちの唇の味までありありと感ずるのだ |
エルネスト・ドラエイによるデッサン |
アルチュール・ランボーの詩「音楽につれて “A La Musique”」は、ランボーがイザンバールにあてた1870年の手紙の中に収められているから、おそらくその直前に書かれたのであろう。 この詩の中で、ランボーはシャルルヴィルのブルジョアたちを皮肉っている。当時のフランスは、台頭する隣国プロシャとの間で、一触即発の状態にあった。もし戦争が勃発すれば、プロシャと国境が近いシャルルヴィルは前線になる。 シャルルヴィルのブルジョアたちは、そんなことにはお構いないように、日常の生活に浮かれている。15歳の少年ランボーには、そんな風景がおぞましく映ったのだろう。 ランボーは、イザンバールの影響もあって、共和主義者になっていたらしい。少年の目には、ブルジョアたちが我慢できなかったのかもしれない。 ブルジョアたちを皮肉りながら、娘たちの肉体に思いをいたすことを忘れていない。ランボーは丁度思春期に差し掛かった少年だったのだ。 |
A La Musique par Arthur Rimbaud Sur la place taillee en mesquines pelouses, Square ou tout est correct, les arbres et les fleurs, Tous les bourgeois poussifs qu'etranglent les chaleurs Portent, les jeudis soirs, leurs betises jalouses - L'orchestre militaire, au milieu du jardin, Balance ses schakos dans la Valse des fifres : - Autour, aux premiers rangs, parade le gandin ; Le notaire pend a ses breloques a chiffres - Des rentiers a lorgnons soulignent tous les couacs : Les gros bureaux bouffis trainent leurs grosses dames Aupres desquelles vont, officieux cornacs, Celles dont les volants ont des airs de reclames ; -Sur les bancs verts, des clubs d'epiciers retraites Qui tisonnent le sable avec leur canne a pomme, Fort serieusement discutent les traites, Puis prisent en argent, et reprennent : "En somme !..." Epatant sur son banc les rondeurs de ses reins, Un bourgeois a boutons clairs, bedaine flamande, Savoure son onnaing d'ou le tabac par brins Deborde - vous savez, c'est de la contrebande ; - Le long des gazons verts ricanent les voyous ; Et rendus amoureux par le chant des trombones, Tres naifs, et fumant des roses, les pioupious Caressent les bebes pour enjoler les bonnes.. - Moi, je suis, debraille comme un etudiant Sous les marronniers verts les alertes fillettes : Elles le savent bien ; et tournent en riant, Vers moi, leurs yeux tout pleins de choses indiscretes Je ne dit pas un mot : je regarde toujours La chair de leurs cous blancs brodes de meches folles : Je suis, sous le corsage et les freles atours, Le dos divin apres la courbe des epaules J'ai bientot deniche la bottine, le bas... - Je reconstruis les corps, brule de belles fievres. Elles me trouvent drole et se parlent tout bas... - Et mes desirs brutaux s'accrochent a leurs levres... |
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青銅の棺から起き上がるように こってりとした茶髪の女が頭を現わす のっそりと風呂桶から起き上がる あちこちに禿の斑点が見えてるぞ 頭に続いて太った首と肩甲骨 短い背中は折れ曲がって膨らんでいる お次に見えるはケツの番 皮下脂肪が葉っぱを敷き詰めたようだ 尾骨のあたりは赤みを帯びて なにやら変な匂いがする どれどれルーペでよく見てみようか ケツには文字が書いてある 「輝くヴィーナス」 ケツの肉が もこもこと動き出した ケツメドには鮮やかないぼ痔が見えてるぞ |
ヴェルレーヌのデッサン |
アルチュール・ランボーは、18歳にして10歳年上の詩人ポール・ヴェルレーヌと男色の関係を結んだ。二人の間柄がどのようなものであったか、詳細はわからぬが、両人が残した言葉から類推すると、ランボーのほうが男役を勤めていたようだ。 そのランボーには、子どもの頃から肛門への偏愛というべきものがあったようだ。15歳のときに書いた「ヴィーナス誕生」という詩は、そんなランボーの肛門愛が伺われるものとして、研究者たちの注目を集めている。 ヴィーナス誕生という詩的でロマンチックな題材を扱いながら、ランボーはもっぱらヴィーナスの肛門に関心を集中させている。もこもとと動く女の臀部を描写しながら、ルーペ越しに拡大された肛門の眺めを歌ったこの詩は、ヨーロッパのエロティシズムの伝統の中でも、桁外れにユニークなものである。 とても15歳の少年が書いたものとは思われない。 ところでフロイトは、肛門への執着を、子どもの成長過程の中で普通に見られる現象として取り上げた。肛門から出てくる排泄物は、子どもが自由にできる唯一の財産であるから、それを母親への贈り物として使ったり、また、反抗の手段として使ったりして、母親との間で自立性を確立していく過程で重要な役割を果たすのだとみた。 肛門はまた、排泄を通じて性的興奮に近いものを得られる器官でもある。このことから、肛門への執着が倒錯的な態度に結びつくこともありうるとフロイトは考えた。だが、その結果として現れる現象を、フロイトは、男色への偏愛よりは、金銭への執着など別の部分にみている。 ランボーの肛門愛が、彼のその後にどのような影を落したのか、踏み入った研究が求められるところだろう。 |
Venus Anadyomene : A Rimbaud Comme d'un cercueil vert en fer-blanc, une tete De femme a cheveux bruns fortement pommades D'une vieille baignoire emerge, lente et bete, Avec des deficits assez mal ravaudes ; Puis le col gras et gris, les larges omoplates Qui saillent ; le dos court qui rentre et qui ressort ; Puis les rondeurs des reins semblent prendre l'essor ; La graisse sous la peau parait en feuilles plates : L'echine est un peu rouge, et le tout sent un gout Horrible etrangement ; on remarque surtout Des singularites qu'il faut voir a la loupe..... Les reins portent deux mots graves : Clara Venus ; - Et tout ce corps remue et tend sa large croupe Belle hideusement d'un ulcere a l'anus. |
http://poesie.hix05.com/Rimbaud/rimbaud.html
アルチュール・ランボー:Arthur Rimbaud |
アルチュール・ランボーはフランスが生んだ天才詩人だ。1870年前後、普仏戦争とパリ・コミューンで揺れるフランスに彗星のように現れ、短い青春を燃え尽きるようにして生きた。 ランボーの詩は、彼の生き方そのものを反映している。それは19世紀から20世紀にかけての、あらゆる詩人たちに強烈なインパクトを及ぼし続けた。 ランボーの詩人としての資質は、散文で書かれた「地獄の一季節」や「イリュミナション」に凝縮されているが、それに先立つ韻文の諸作品にも、少年のみずみずしい感性があふれており、上記の作品とはまた違った雰囲気を醸し出している。。 ここではそんなランボーの少年時代の詩を、取り上げてみたい。 管理人(壺齋散人)よる日本語訳と評釈に、ランボーの友人ドラエイやヴェルレーヌのデッサンなどを添え、それぞれにフランス語の原文を付した。 |
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