独立宣言の逆です
日本国破産宣言
ひとつ 90年に土地バブルが破たんした
ひとつ 誤魔化して、20年間放置した
ひとつ くわえて、法治システムも、違憲の山
ひとつ しぼみ金融が破たんした
医者、弁護士、銀行は信用できない - 癌を患ってまっ黒い顔になった不動産屋のオヤジ
その嫁は栄養たっぷりの若づくり
なるほど、これが不動産屋の原理だ
ひとつ 鬼ばばあの国、不動産屋、医者、弁護士、銀行は信用できない
よって、国は1200兆円の赤字を計上
日銀は、印刷工場である・・・ 赤字国債を買い入れて、銀行に福沢諭吉を供給する
最後は、日銀が火の車になって、赤字国債を焼き捨てる
その陰で、日本は平成景気、悪銭身につかず、最後の日銀・赤字国債バブルがはじけて、ご臨終
物価は高騰、カネはなし、世の中は姥捨て山
生き残った輩は、火葬場が本職、餓鬼は百姓へ・・・
人口は激減、都では百鬼夜行、殺し合いが始まる・・・ 餓鬼どもが人の死肉を喰らっている・・・
まさしく、まやかしの国のからくりが崩壊して、生き地獄が発生した - 世界史上初
AO
以下の地獄話は、勘違いです・・・
年寄りの話を聞きすぎて、生産性が落ちたから、生き地獄が発生するのです
この国の信用保証は? 地縁、血縁によるもの - 信用保証協会
ところが、都市銀行まで高利貸し - 無担保無保証人ローン
ところが、担保の地価が急激に下落 - ついに、まやかしの土地神話が崩壊
そして、カネ貸しの大元、日銀がからくり金融を開始・・・
よって、日銀が火の車になり、最後は日銀焼き捨て、そして、生き地獄へ・・・
http://members.jcom.home.ne.jp/webchikoin/column9.htm
先日、初めて九州に行ってきました。どんよりとした曇り空、時折小雨がぱらつく天候でしたが、寒がりの私がほとんど寒さを感じることがなかったことに、ちょっとだけ南国ムードを感じました。
大分県は別府温泉から、車で10分ほど走った所に「坊主地獄(ぼうずじごく)」というところがあります。鉱泥(こうでい)と呼ばれる熱泥の泡が、坊主頭に似ているところから「坊主地獄」と呼ばれるようになったそうです。ブクブクと湧き上がってくる熱泥は100度もあるそうで、まさに地獄の釜といった趣きです。
ところで、古いインドの思想に「六道輪廻(ろくどうりんね)」というものがあります。「六道」とは「六趣(ろくしゅ)」とも言い、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の6つの世界のことです。私たちが今いるのは人間界ですが、次に生まれ変わる世界も人間界とは限りません。どの世界に生まれ変わるかは、私たちが生きている間の行為によって決定されるのです。今生の世界で善い行為をすれば、来世は修羅・人間・天上のいずれかに生まれ、悪い行為をすれば、地獄・餓鬼・畜生のいずれかに生まれ変わります。その世界での行為が、次に生まれ変わる世界を決定し、六道をグルグルと生まれ変わり死に変わります。これを「輪廻転生(りんねてんしょう)」と言います。この思想は、仏教が始まる以前からあり、この思想を背景として、輪廻からの解脱を明示したのが仏教の教えです。
この六道のうち、悪い世界の最たるものが「地獄」です。昔の年寄りは「悪いことをすると地獄に堕ちるよ」と孫を諭したものでした。地獄とはどんなところでしょうか? それは針の山を登らされたり、炎に焼かれたり、鬼から折檻を受けたりと、昔の人々は「地獄絵図」に描いています。
子供の時には「地獄には行きたくない!」とばかりに、年寄りや親の話を心に刻み付けました。でも大人になると「地獄に堕ちるなんて、そんなものは迷信さ」と、自分の知識で築き上げた理屈は、地獄を否定するようになります。
地獄が本当に存在するのか? という疑問は、サンタクロースはいるのか? という問題に似ていると思います。サンタクロースは「会ったことがないから、絶対にいないとは言えない」ですし、地獄にしても「行ったことがないから、絶対にないとは言えない」ですよね?
昔の人は、地獄にしても天国にしても、その存在を心から信じていました。また、六道の思想だけではなく、山や海など大自然の中に神の存在を信じ、豊穣の祈りを捧げ、秋には収穫を感謝して祭りをいたしました。温泉の効能に歓喜する一方で、噴き上がる蒸気に地神の鳴動を聞いていたのです。ところが科学や文明の発達した現代では、祈祷や祭事は形骸化し、人間は自然への感謝と畏怖を忘れ、それと同時に、人間同士のつながりすらも、とても希薄なものになってきたように思います。
昨今のニュースは凶悪な犯罪が多く、殺人事件のない日はありません。あまりにも多い事件に対し、反応が鈍感になっていることを感じます。殺人、誘拐、監禁、放火、強姦、、、ぜんぶ見慣れてしまった字ですよね? 今いる世界は本当に「人間界」という善い世界なのでしょうか?「地獄」と呼ぶにふさわしい世界だとは思いませんか?
そう考えるならば六道は、死んだ後の話ではなくなるのです。争い事の多い日常は「修羅」ですし、自制心のない行動は「畜生」と同じです。心の持ちようでこの世は「天国」にもなるし「地獄」にもなるのです。「地獄が恐ろしい」と思えば「悪いことは慎もう」という心がそのまま極楽です。「自分さえ良けりゃいい」「やったもの勝ち」という心こそが、地獄の大本なのかもしれません。
別府温泉の湯につかり「あ~極楽、極楽」とのぼせている私を見て、ニヤニヤしている人がいましたが、きっと坊主地獄を思い出していたんでしょうね、、、ブクブク。
(2005/2/17)
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