
日の出ずる国が日本なら、
日の没する国はモロッコのようだ。
大昔、知り合ったモロッコ人国費留学生
ひとりは、モハメド、もうひとりは、イドリース
なるほどな・・・ この名前が由来なんだ。モロッコ国王が来日したとき、テレビに映っていたようだ。
8世紀末、勢力争いに敗れた亡命アラブ人イドリースを支えて、イスラム化したベルベル人は、イドリース朝を建国。
料理
タジン
シシケバブ
クスクス

---Wikipedia
モロッコ王国(モロッコおうこく)、通称モロッコは、北アフリカのマグリブに位置する立憲君主制国家。東にアルジェリアと、南にサハラ・アラブ民主共和国(西サハラ)と、北にスペインの飛び地セウタ・メリリャに接し、大西洋と地中海に面している。アフリカで唯一のアフリカ連合未加盟国。首都はラバト。
国名
正式名称はアラビア語で、المملكة المغربية(ラテン文字転写は、Al-Mamlaka al-Maghribiya:アル=マムラカ・アル=マグリビーヤ)。通称、المغرِب(al-Maghrib:アル・マグリブ)。 「日の没する地の王国」の意。
公式のフランス語表記は、Royaume du Maroc(ロワイヨーム・デュ・マロック)。通称、Maroc。 公式の英語表記は、Kingdom of Morocco(キングダム・オブ・モラコウ)。通称、Morocco。
日本語の表記は、モロッコ王国。通称、モロッコ。
歴史
詳細はモロッコの歴史を参照
古代には、フェニキア、ローマなどの支配を受けた。
7世紀、アラブ人がモロッコ、イベリア半島まで達し、イスラム教が浸透した。
8世紀末、勢力争いに敗れた亡命アラブ人イドリースを支えて、イスラム化したベルベル人は、イドリース朝を建国。その後、チュニジアから興ったファーティマ朝の支配をへて、11世紀から15世紀にかけてムラービト朝、ムワッヒド朝、マリーン朝が興亡。
15世紀末、スペイン、ポルトガルが北アフリカに侵攻。サアド朝(サーディ朝)はこれを撃退。
16世紀にはソンガイ帝国を攻略し、オスマン帝国、キリスト教勢力を退ける。
1660年、アラウィー朝が成立。現在まで続く。
1904年の英仏協商で、フランスがモロッコにおける優越権を獲得。これに反対するドイツが1905年、1911年の2度にわたってフランスを威嚇した(モロッコ事件)が、最終的にはドイツが妥協。
1912年のフェス条約で、国土の大部分がフランスの保護領となった。また、仏西条約で北部リフ地域はスペイン領となった。
1956年にフランスから独立。スペインはセウタ、メリリャ、イフニの「飛び地領」とモロッコ南部保護領(タルファヤ地方)を除いて領有権を放棄。
1957年に、スルターン・ムハンマド5世が国王になる。
1958年に、スペイン領の南部保護領だったタルファヤ地方をモロッコへ返還。
1961年、ハサン皇太子が父の死去に伴い国王に即位。
1967年、イスラエルと6日間戦争の結果、アラブ世界に復帰する。
1969年には、スペインが「飛び地領」のイフニをモロッコに返還。
1975年、西サハラを非武装で越境大行進「緑の行進」を行う。
1989年、アラブ・マグレブ連合条約調印。
1991年、西サハラ停戦成立。
1992年、憲法改正。
1999年、ハサン2世国王死去。シディ・ムハンマド皇太子がモハメド6世として即位。
国民
歴史的に、条件の良い平野部の土地を中心にアラブ人が暮らし、アトラス山脈の住民の大半がベルベル人。2/3がアラブ人、1/3がベルベル人あるいはその混血がほとんどと言われる事が多いが、実際のところは両者の混血が進んでいる事、また過去に存在したベルベル人の独立問題などもあり、国としてはあくまでも両者はともにモロッコ人であるという考え方の元、人種ごとの統計を取るなどの作業は行われていない。ユダヤ人はモロッコ各地の旧市街に存在するメラーと呼ばれる地区に古くから居住していたが、イスラエル建国以来イスラエルやカナダなどへの移住により減少傾向が続いており、1990年時点で1万人以下である。
アラビア語が公用語となっているが、国民の大半は学校教育で正則アラビア語を学習しつつも日常生活ではモロッコ特有のマグレブアラブ語を話しているため、他のアラビア語圏の住人とは意思の疎通が困難である。またかつてフランスの保護領であったのでフランス語も広く通じるが、北部モロッコではスペインの影響が強く、フランス語よりもむしろスペイン語の方が通じやすい事がある。公文書は基本的にアラビア語、一部の書類は仏語でも書かれる。
山岳地帯では、タマズィグトと総称されるベルベル語が話され、これらは大別してタシュリヒート語(モワイヤン、オートアトラス地域)、タスースィッツ語(アガディール地方、アンチアトラス地域)、タアリフィート語(リフ山脈地域)に別れている。また、ベルベル人は、国内のアラブ人からはシルハと呼ばれるが、ベルベル人自身は自分たちをアマジール(自由な人の意)と呼ぶ。ベルベル語が話されないアラブ人家庭に生まれ育つとベルベル語は全く理解できない事が多く、両者は全く異なった言語である。
1961年にイスラム教が国教となっており、イスラム教スンニ派が99%を占める。キリスト教とユダヤ教も禁止されてはいない。
2004年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は52.3%(男性65.7%、女性39.6%)である[1]。
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