だから、LADY GaGaは面白い~~~
死神女神を演じている・・・
まるで、イルカのオスのようだ、笑い
このようなメスをピンキー・ガールと呼ぶ、笑い
桃色娘・・・
シャーク湾のイルカの世界への旅は、子ども時代にすでに始まっていたのだが、当時は自覚していなかった。たいていのイルカ狂は子ども時代にイルカへの興味の火が灯るが、私はこのようなイルカ狂には不平を抱いている。彼らはフリッパーがテレビで再放送されたのがきっかけで、イルカ狂になった。私はフリッパーを見ていなし、イルカにそれほどの思い入れもなかった。だが、両親が生物学者だったので、動物との切っても切れない縁が小さなころからあった。父は鳥類学者でロングアイランドの田舎に住んでいた。巣から落ちた幼い鳥や、怪我して拾われた鳥の世話を私にやらせた。私は時間があるときには、毛虫やバッタを捕まえては幼い鳥に食べさせて、寒くないようにしてあげて、清潔にもしてあげた。
最近になって、母の古い写真入れを整理していて、「レイチェルとペット」というラベルがついたアルバムを見つけた。くちばしが黄色の美しいキツツキが、私の手に留まっている写真があった。写真の中の私は身震いしていてナーバスに見えた。父が写真を撮ると言うが、私の方はキツツキといっしょにポーズを取るのは嫌だと言いたげだった。そのキツツキは幼鳥だった。夏にはキツツキを森に連れて行って、シロアリの巣を見つけてエサだと教え込んだ。その後、私が馬に乗って森を通ると、彼(あるいは彼女)は私を追ってきて肩に留まり、驚くほど長い舌で、私の耳や鼻の穴や目をつついた。アヒルの子どもといっしょの写真もあったが、アヒルは孵化するときに、私のことを親だと刷り込んだ。アヒルは私を親だと勘違いして、私がどこへ行こうとも、私の後をついてきた。私はアヒルが大好きだった。
鳥はわが家の動物の一部にすぎなくて、犬、猫、馬、モルモット、うさぎ、アライグマ、スナネズミ、ハムスター、亀、カメレオン、ヘビ、フグなどもいた。子どもながらに熱心に動物を可愛がって面倒を見た。それは、後に自分自身の子どもが生まれたときと同じ感覚だった。動物の子どもだろうが、自分の子どもだろうが、安全で快適にしてあげて、立派に育てあげようという気持ちでいっぱいだった。
成長時に動物と共に体験することは、人にとって大きな意味があると確信している。私は動物たちに生き物の世話をする責任を教えられた。アオカケスの子を手に包み込んで暖めながら寝たのを思い出す。命がどのように育まれるかを動物が教えてくれた。卵の中でひよこが育つ様子を観察したときには、大きな畏敬の念に打たれた。母といっしょに、顕微鏡のスライドと油を使ってのぞき窓を作り、孵卵器で育つ卵を観察した。動物は死についても教えてくれた。遅かれ早かれ死は訪れるが、ペットが死ぬか姿を消したとき、私は取り乱しても立ち直れるようになった。
思春期が訪れて、私の興味は動物から男の子へ移った(おそらく動物と大差ない)。私は高校をドロップアウトして、ピーター・バーンズという男の子をカリフォルニアまで追った。ピーターがイルカの面白さを教えてくれた。私たちはいっしょにジョン・リリーの本『人間とイルカ』“Man and Dolphin“『イルカの心』“The Mind of the Dolphin“『イルカと話す日』“Communication Between Man and Dolphin“を読んだ。著者のリリーは教育を受けた神経生物学者で、イルカが驚くほど大きな脳を持つことを発表した。イルカは人よりも知的であるかもしれないし、人と同等の言語を持っているかもしれないと主張した。
不幸なことに、リリーはイルカ脳力の代表者となり、LSDを試して魅了されてしまい、議論が首尾一貫しなくなった。だが、彼の本は私自身を含めて、人びとの心に強い観念を植えつけた¦¦地球上に別の種族がいるかもしれない。それも海の種族だ。高度な知能を持ち、共感や優しさを持ち、知的に心を通わす種族で、深い思想や、アイデアや、思慕も持つ地球を旅する仲間だ、と。この観念は素敵で刺激的だったので、私には抗えなかった。
ピーターも私も生きている本物のイルカを見たことがなかったが、不思議なことに、イルカはかなり知的だと確信していた。イルカは知的なだけでなく、優しく微笑んでいて、人に親切だ、とも。
イルカが海でおぼれる人を助けて、子どもと仲良しになり、漁師の手伝いもするという話もよく聞いた。古典的な映画「イルカの日」を見た。イルカのスターが、おどけながら幾度となく、危機に陥ったジョージ・C・スコットを助けて、声優が
「ファ、ラブ、パ」
とイルカのまねをする。
だが・・・イルカのダークな面が明かされて・・・
オスのイルカがメスと生殖するために協力したり、争ったりする話や、メスを激しく攻撃して、捕えて交尾する話は、多くの人には受け入れがたかった。私たちはオスの協力と生殖行動について、科学雑誌に二、三の論文を発表した。予想と異なるという理由や、知的なオスのイルカが取る「不道徳な」行動は魅力的だという理由から、大手の報道機関が取り上げた。研究責任者のリチャードに記事や、撮影や、インタビューの依頼が殺到した。ニューヨーク・タイムズは
「イルカの求愛¦残忍、悪質、複雑」
というタイトルで、長文記事を掲載した。PBSのNovaドキュメンタリーは
「イルカのプライベート・ライフ」
というタイトルで、ドキュメンタリー・フィルムをプロデュースした。
イルカは親切で笑顔に満ちていて、優しく平和な海の住民だ、という期待に反して、粗暴で利己的であるかもしれないという考えは、多くの人には受け入れがたいようだった。私たちにモンキー・マイアを紹介した優しい女性エリザベス・ゲイウェンは、オスが徒党を組んで、メスと生殖行動するという報告に恐れを抱いた。一九八八年、エリザベスがオーストラリアの私たちを訪ねてきたとき、スナッブノーズ、ビビ、シックルフィンが、モンキー・マイアの浅瀬で日々たけなわに生殖行動を取っていた。エリザベスはイルカの行動を見て、私たちの説明を聞き、私たちにこまごまと質問をした。オスの行動に
「より良い」
説明がつかないか
とつねに選択肢を探していた。ある日、ビビとシックルフィンが、メスにひどい攻撃を仕掛けるのを見た後で、
「絶対に認めたくはないけれど、あなたたちの説明が正しいと感じる」
と、エリザベスは目に涙を浮かべながら言った。
エリザベスは大きな心と精神と魂を抱いて、心を開いてイルカを観察したが、最終的に、オスのイルカが粗暴な行動を取ることを受け入れた。しかし、他の人たちはさらに抵抗した。ある男は、私たちの研究結果の「あら探し」をして、私たちがイルカにパーソナリティを教え込んだにすぎなく、もしも気質が良い他の研究者ならば、モンキー・マイアのイルカも親切で優しいことが分かったかもしれないと、修士論文で主張した。「ご他聞」にもれず、その男は、イルカは永遠に優しい生き物だと含み置いた。
最近になって、ハンドウイルカ(シャーク湾以外の)がネズミイルカを、理由なしに殺す様子が観察された。オスのイルカが、子イルカを殺す様子も観察された。このような不快な報告が報道機関に寄せられると、ニューヨーク・タイムズは
「イルカは殺し屋。証拠が上がる」
の見出しで、
「笑顔に満ちた哺乳類、不可解なダークな面を持つ」
の副題で、記事を掲載した。
私たちが、オスのイルカは生殖時にメスを捕えて、交尾の機会を独占する、と報告したときのように、イルカの行動の
「ダークな面」
は、ショックを伴って受け取られる。
私たちが発見したオスのイルカの行動は、私個人としては、イルカへの尊敬を減ずるよりも、むしろ増やした。イルカは人以上のものでもなく、人もまたイルカ以上のものではない。イルカの行動は不思議で、複雑さや、深さや、繊細さに満ちていて驚くばかりだ。イルカは必ずしも親切で優しいだけではなく、同時に悪質で利己的でもある。人の基準では
「不道徳」
とさえ言えるが、
イルカも人と同じく、さまざまな面を持つ複雑な生き物だ。
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