色化け発生・・・ 異臭の大元は総本山・東京大学 - 安藤忠雄・石原天皇の御用建築屋
秋葉天国の神主さんも、お仲間・・・ ブロイラー現象を口にした - 機械振興会館にて
東大総長小宮山さん御用達の飼い殺し神主さん
アッラーの天罰
NHK&NTT&SONYの広告塔、茂木健一郎のインチキのミクシ言葉は? クオリアと、脳科学者
8マンツアーを阻止したのは、茂木君のお友達、公立函館未来大学・学長の中島と教授の松原だ!
2007年9月2日日曜日
8マン・ツアー
公立はこだて未来大学でのレクチャー
Dolphin Free Discussion - イルカの話し合い
0.目的
フィールドワークが主体の研究方法などを書籍から学ぶ
1.テキスト
翻訳原稿の一部
2.レクチャの方法
学生に分担して声を出して読んでもらい、それぞれの感想を聞く
フリーディスカッションを行なう
3.テキストのタネ本について
"To Touch A Wild Dolphin" Rachel Smolker Random House Dobuleday
『野生のイルカとのふれあい - 世界遺産に生息する知的生命体発見の旅』
「概要」
1980 年代にUCSC(カリフォルニア大学・サンタクルーズ校)の女子学生などが、オーストラリアの世界遺産モンキー・マイアに生息する野生イルカの行動や生態を15年に渡って研究しました。
フィールドワークを主体にした研究で、 「進化論」や「脳に関する話題」などにも触れています。
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渋谷から函館の経路を調べたら、
渋谷 -> 大宮 -> 八戸 -> 函館
トータルの距離 888.8km
函館までが、888.8km、それで帰りに八戸で1泊しようと思います。
末広がりの八づくし・・・
よって、本ツアーを
8マン・ツアー
と命名しました。
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8マン、 八幡とも読める。やわたの神?
亀田八幡にもお参りしようかな(笑い)
八幡神。
八幡宮の祭神。応神天皇を主座とし、弓矢・武道の神として古来広く信仰された。
でも、応神天皇はあちこちで遭遇するな、ホンマ!
個人的には応神天皇はガンジス河のワニさんの末裔?、化身?だと思っています。
そういえば、今日は地元の北沢八幡の祭りの日だった・・・
歳旦祭 - ガンジス河のワニさん?
http://ayo.cocolog-nifty.com/bob/2007/01/post_d215.html
歌会始 - 皇后さま
http://ayo.cocolog-nifty.com/bob/2007/01/post_0fb5.html
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エイトマン(アニメの主題歌)
タイトル「エイトマン」
歌/克美しげる 作詞/前田武彦 作曲/萩原哲晶
歌詞:
「光る海 光る大空 光る大地
行こう無限の地平線
走れエイトマン 弾丸よりも速く
叫べ胸を張れ 鋼鉄の胸を
呼んでいる 呼んでいる 呼んでいる
立とう正義の旗のもと
誇れエイトマン 天よりも高く
ふるえその腕を 鋼鉄の腕を
燃える空 燃える風 燃える心
進め無敵の力持て
行けエイトマン 誰よりも強く
響け轟け 鋼鉄の男」
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日本が希望に満ちていた古き良き時代?
妖怪シッシ舞い
1/16/2010
漁夫の利とは、武器商人の手 - 三菱
よって、三菱のかかしが、みずほと、三井住友をぱく、ぱく、ぱくと喰らった・・・
すげえ、えげつねえ~~~ - 友達の輪、タモリ
AO
新風舎の倒産、僕の振込先は? 松崎社長 - 三菱付
返せとは、言いませんよ、出版社のやしろの主 - アメリア・ネットワーク
出た~~~、色化け、エロじいさんの巣
人の集まる所、笑顔が出会い、語らいが広がります。日本出版クラブ会館は大・中・小の宴会場・会議室をはじめ、レストラン・ラウンジ等の施設を整え、皆様のお集まりをおもてなし致します。 ご家族でのお食事から、パーティや法事、会議、研修会、各種展示会など200名様以上のご利用が可能です。行き届いたサービスと洗練されたお料理にきっとご満足いただけると存じます。 日本出版クラブ会館は出版関係者だけでなく、広く一般の方がたにも利用され、ご好評をいただいております。どうぞお気軽にお越しください。 | |||||
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摩訶不思議~~~
丸善の部長さんは、隣の席のみすずさんを紹介した。みすずさんから、NHK出版を紹介された。出てきたのが、猪狩さん・・・
逆転の発想で・・・
猪狩さんへ、Sweet Dreamを献上した・・・
ダニエル・デネット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西洋哲学 現代哲学 | |
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名前: | ダニエル・デネット |
生年月日: | 1942年3月28日 |
学派: | 分析哲学 |
研究分野: | 心の哲学 生物学の哲学 科学哲学 |
特記すべき概念: | 多元草稿モデル カルテジアン劇場 ヘテロ現象学 万能酸、志向姿勢 |
『解明される意識』 [編集]
- ヘテロ現象学 (Heterophenomenology)
- 他者の内省報告を観察データとして認める「ヘテロ現象学」(Heterophenomenology)を掲げ、行動主義に陥ることなく、観察可能なデータから第三者の立場を通して主観的意識の問題を扱えるとする。デネットは、意識(心)と物理的・神経的なプロセス(身体、脳)を異なる次元のものとして考えてきた、心身二元論というデカルト以来の哲学的伝統を覆そうとしているのである。
- 多元的草稿モデル(Multiple Drafts Model)とカルテジアン劇場批判
- 意識をつかさどる中央処理装置「カルテジアン劇場」(Cartesian Theater)の存在を否定し、それに代わるものとして意識の「多元的草稿理論」(Multiple Drafts Theory)モデルを提唱している。意識とは「カルテジアン劇場」のような中央処理装置をもたない、空間的・時間的に並列した複数のプロセスから織り出され構成されるものだとデネットは論じる(意識のパンデモニアム・モデル)。以上のようなプロセスを経て構成される意識を、デネットは「物語的重力の中心」(Center of Narrative Grativity)と呼んでいる。
- デネットは、人間の思考プロセスはコンピュータ(ジョン・フォン・ノイマン・マシーン)によってシミュレートすることが原理的に可能なものだと考える。したがって彼はチューリング・テストの意義を認めている。
- クオリア批判
- クオリアのような、第一者によって主観的にしか接近できない概念を、意識の科学的な解明には障害となるものだとデネットは批判している。
- 自然主義
- デネットは自身の方法論的立場を物理主義あるいは自然主義と呼んでいる。デネットの自然主義的アプローチに対しては、ジョン・サール、デイヴィッド・チャルマーズやトマス・ネーゲルらが、意識の本質的な主観性に迫ることができないと反論している。
『ダーウィンの危険な思想』 [編集]
スカイフックとクレーン [編集]
ライフゲーム [編集]
進化のなかで産み出された意識 [編集]
『自由は進化する』 [編集]
- この著作においてデネットは、長年にわたって哲学上の問題であった、人間の自由意志と決定論世界観とをどのように調停するのかについての解答を提出しようとする。人間の行動を自由意志に基づくものだと考えるにあたっては、自由意志を支配するような決定論を排除しなければならないというわけではないということである。物理的な世界を支配する決定論的を完全に免れた純粋な自由意志なるものは、デネット自身の言葉を用いるならば、「カルテジアン劇場」あるいは「スカイフック」のように不必要な虚構なのだ。つまり自由意志とは、自然主義的な世界観のなかで決定論と共生するのが可能なものなのである。
- ライフゲームと自由意志
- ある行為を判断するにあたって、どこまでが決定論的な因果関係から由来するもので、どこからが本人の自由意志によるものなのかを明確に境界付けること、そして決定論的世界観のなかに身をおくことのできないような純粋な自由意志というものを確保しようとすること(例えばリバータリアンが試みるように)は不可能であり、自然主義的な立場に立った上で決定論と自由意志は両立することを示したほうが整合的なのである。デネットによると、それらが共生しうることを示唆してくれるのが、ライフゲームの世界だ。この世界は単純なアルゴリズムによって生成するが、徐々に複雑で予測が難しいパターンの創発が生じていくのである。この世界はたしかに物理的な決定論にしたがって産み出されるものであるが、徐々に姿を現してくるそのパターンの十分な複雑さを考慮すると、そのなかに人間の自由意志を挿入する余地を見つけることができるということである。
- 科学的世界観と人間の幸福
- デネットによれば、人間の自由意志とは進化のプロセスによる産物であり、したがって人間の幸福を増幅させるのに寄与するものである。科学の発展を通して自由を自然主義的に理解することが人間の生活を向上させていくとデネットは結論する。
『スイート・ドリームズ』(原題'Sweet Dreams'、邦訳未刊) [編集]
- ゾンビ的直感(the Zombic Hunch)
- デイヴィッド・チャーマーズをはじめとする心の哲学にたずさわる者たちの間で広く行われてきた哲学的ゾンビの思考実験に対して、デネットは一貫してそれを無意味なものだとしている。哲学的ゾンビとは、定義によれば、第三者にとっては意識をもつ普通の人間と行動的に区別することが出来ないにもかかわらず意識とクオリアを持たないものだとされている。しかし、ヘテロ現象学を掲げるデネットにとっては、行動的・客観的アプローチによって接近できない主観性といったものは意味を持たない。それでも哲学的ゾンビは論理的な存在可能性をもっているとする哲学者らの姿勢をさして、デネットはゾンビ的直感と名づけたのである。
- クオリア再批判
- デネットが、それの持ち主である第一者によってのみ接近可能だとされるクオリアを心の科学において不必要なものだとする根拠は、認知科学者らによって行われた次のような実験の結果によっている。以下その概要を記す。
- 被験者らに2枚の写真を、それぞれきわめて短い時間(0.25秒〉、繰り返し見せる。それらは台所を写したもので、ただ一箇所の色の違い(キャビネットの扉が白から茶色に変わる)をのぞいては全く同じものである。被験者は普通20~30秒、数十回の反復を経なければ2枚の写真の差異に気づけない。そこでデネットは問いかける。その20~30秒のあいだ、被験者の色のクオリアは、彼らが白/茶/白/茶という色の変化に気づく前に変化していたのだろうか?可能な回答は次のようになる。(p.85)
- A.イエス
- B.ノー
- C.わからない
- なぜなら今となって、自分がクオリアという言葉で何を意味していたか分からなくなってしまったから
- 自分がクオリアという言葉で何を意味してきたかは分かっているが、この実験の場合では私自身のクオリアに第一人者的にアクセスできなかったから。(もちろん第三者にとってもこのクオリアに接近することは不可能だ!)
- いずれの回答においても、第一者の主観性(the first-person subjectivity)の下にクオリアを位置づける前提は失われており、それゆえヘテロ現象学がクオリアを扱えないと考える必要もないのだとデネットは言う。
- 「マリーの部屋」批判
- 色のない環境で育った色彩科学者マリーについての、1982年の論文 "Epiphenomenal Qualia"でフランク・ジャクソンが提唱した思考実験に対しては、『解明される意識』以来デネットは批判的であった。デネットにとって、マリーの部屋は哲学者たちを誤った結論(マリーがどれだけ色彩について知りえたとしても、実際に色を見るまでは「色を見るとはどのようなことか」を知ることはできない)に導く悪い思考実験なのである。
- デネットに従えば、色彩について知りうるすべてのデータを知っている科学者のマリーが、色を見るのはどのようなことかを、実際に色を見て経験する前に知ることは十分可能なのである。この結論をさらに強固にするためにデネットは、マリーをロボット(ロボマリー)に置きかえてみることを提案する。ロボマリーは、色彩について知りうるデータをすべて持ってはいるものの、彼女の目であるカメラは白黒である。このロボマリーが、カラーのカメラを取り付けられる前に、自前のデータを駆使して「色を見るとはどのようなことか」を推論し、経験することは可能だろうとデネットは言う。
- 意識の「評判」(fame)モデル
- この著作では、意識の多元的草稿モデル(パンデモニアム・モデル)に対して、意識の評判モデルという新たなイメージが追加されている。人間の意識は、多数のニューロンが自己主張する錯綜した関係の中から生み出されるものであるが、この混乱した状況の中から、特定の内容が人間の意識の範囲内に現れ出るプロセスを、デネットは社会の中で特定の人物や事件が評判(fame)となって人々の目に付くようになるプロセスとなぞらえているのである。実際の社会において、そのように評判となった事柄は、他の事件の評判によって速やかに忘れられていくが、それと同様に意識の中に現れ出た内容も、他の多数のニューロンが自己主張する喧騒の中で、つねに忘却への淵に瀕している。以上のように、特定の内容が意識の注意を引こうとしてせめぎ合う状況を、デネットは「注意の引ったくり」(attention-grabbing)と名づけている。
『呪縛を解明する』(原題'Breaking the Spell', 邦訳未刊) [編集]
- 他者の心、志向的対象(intentional object)と宗教
- デネットの考えでは、私たちが他者の心を了解することができるのは人間の志向姿勢(intentional stance)がうみだすユーザー・イリュージョンによるものである。進化のプロセスを経て形成されたこの志向姿勢は、しかし、意志を持たないランダムな対象に対しても、志向姿勢を投影することでそこに他者の心を読み取ってしまう(心理学者バラス・スキナーによる鳩の実験を参照)。志向的対象を形成するこの効果のおかげで私たちは、シャーロック・ホームズのように実在しない架空の人物に対してもあたかも彼が実在したように振舞うことができる。この志向姿勢が、制御不可能な対象である自然現象に対して投影されたときに発生する副産物が、神という概念なのではないだろうかとデネットは推論する。
- 信仰を信じること(belief in belief)
- ある宗教とその神を信じるという営み(礼拝などの宗教活動)は、行動レベルにまで還元すると、その宗教が真であってほしいと願う者の行動と区別することは出来ない。デネットの例にしたがって宗教を民主主義で置きかえて考えてみると、例えば私たちが選挙に行くとする場合、私たちは民主主義を信じているからそうするのか、それとも民主主義を信じることは正しいと信じてそうするのかを区別するのは難しいということである。「信仰を信じること」という概念を通してデネットは、信仰という行為のもつとらえがたさを指摘している。
- ミームと宗教
- ドーキンスによって考案されたミーム(自己複製子)を用いてデネットは、おのおのの宗教はミーム選択のプロセスを経て形成・進化してきたのだろうと言う。しかし本書での宗教に対するデネットの姿勢は、ドーキンスの激烈な宗教批判(『神は幻想である』参照)と比べるとはるかに穏やかである。宗教も人間と文化の進化のなかで形成されてきたのだから、私たちはその生物学的起源、ニューロンの条件、宗教が人間に与える作用と副作用といった問題を科学的に解明していかねばならないとデネットは主張する。また、シャーマンによって始められた民間信仰(folk religion)がどのようにして組織化された宗教(organized religion)への発達をとげたのか、前者と後者を隔てる差異はどのようなものなのかを考察する必要も主張されている。
主な著書 [編集]
- Brainstorms: Philosophical Essays on Mind and Psychology (MIT Press 1981)
- Elbow Room: The Varieties of Free Will Worth Wanting (MIT Press 1984)
- The Mind's I, 1981. ダグラス・ホフスタッターとの共編著(坂本百大監訳『マインズ・アイ──コンピュータ時代の「心」と「私」』TBSブリタニカ、1984)
- The Intentional Stance, 1989.(若島正・河田学訳『「志向姿勢」の哲学──人は人の行動を読めるのか?』白揚社、1996)
- Consciousness Explained, 1992.(山口泰司訳『解明される意識』青土社、1998)
- Darwin's Dangerous Idea: Evolution and the Meanings of Life, 1995.(石川幹人・大崎博・久保田俊彦・斎藤孝訳『ダーウィンの危険な思想』青土社、2001)
- Kinds of Minds: Towards an Understanding of Consciousness, 1997.(土屋俊訳『心はどこにあるのか』草思社、1997)
- Freedom Evolves, 2003.(山形浩生訳『自由は進化する』NTT出版、2005)
- Sweet Dreams: Philosophical Obstacles to a Science of Consciousness, 2005.
- Breaking the Spell: Religion as a Natural Phenomenon , 2006.
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