ケミカル・ドラッグ汚染の餓鬼どもへ
出版社が逃げた理由は?
イルカの本は、環境問題の摘発もしているからだ・・・
食物連鎖というよりも、食物循環である・・・
厚生省認可などは、あてにならない・・・
お前らが、今、まさに、人体実験中なの!
分かった? ケミカルドラッグ汚染の人体実験中なの!
だから、脳みそがやられたんじゃないか?
お前らは、生まれて以来、薬漬けの人生を送っている・・・
ホタルも人も虫である、龍の子である。
ヒトゲノムとハエゲノム、9割が一致した。予想を大幅に超えていた。驚きの事実だった - サイエンティスト
殺虫剤、知らぬが内に、自分も殺していた - 知らぬが仏
水は海へ流れて、蒸発して、雲になって、雨が降る・・・
汚染物質は? ほとんどが海にたまる・・・
そして、北極の氷からPCBが発見されたと新聞に出たのは大昔・・・
近海魚、PCB汚染がひどい、とも出たことがある・・・
基準値の30倍? => マスメディアへ、調べろ、お前らの仕事だ!
オヤジが亡くなった2年前・・・
田んぼのあぜ道に、季節外れのバッタがうろちょろ・・・
明らかに奇形だった、数匹いた・・・
沈黙の春 - レイチェル・カーソン
カー損
その田んぼの跡地にできたのは、平屋か、2階建ての大型ドラッグストアーらしい・・・
ドラッグストアとは? 薬の売店ですが・・・ ヤクを売っているところ・・・
昔のアメリカ映画、頭が痛いと言って、女がすぐにアスピリンを飲んでいた・・・
アメリカの医療費、14兆円がメタボリック対策費
メタボリックとは? 代謝異常、おそらく、ケミカルドラッグが体にたんまりと詰まって、代謝異常を起こしているはず・・・
要するに、新陳代謝が悪くなっている。おそらく、癌の発生原因のひとつ・・・
細胞の機能が低下している => 代謝異常にケミカルドラッグが関連しているはず
だって、薬漬け医療は有名な話・・・
食物から、知らないうちにケミカルドラッグを大量に摂取していることも周知の事実・・・
食物連鎖でなくて、食物循環である・・・
自身で排泄できないケミカル物質、たとえば、有機水銀などは、どんどん蓄積されていく・・・
こんなのは、ジョーシキ・・・
森永ヒ素ミルク事件、食い物に何が入っているかは、もはや、分からない・・・
人類が人工的に合成した化学物質は1000万種?
アメリカがその情報を管理している・・・
ただいま、人体実験中です・・・ - 地球生命体
高速道路料金が1000円、ゴールデンウイークで大混雑 => 野蛮人の証拠です、笑い
ヨーロッパ人が見たら、日本人のことを信用しない・・・
目に見えるモノは怖くない、異臭も怖くない・・・
見えない毒こそ、臭わない毒こそ、怖い - ネズミ取り毒団子
都市ガスは無味無臭、危険だから、臭いをつけている。
だから、異臭がする・・・
安全のために異臭がするのです・・・
だから、虫がいた方が安全。
虫が死んだら、危険・・・
ジョーシキ・・・
昔の鶏小屋
みみずをあげたら、鶏がキチガイのようになって、取り合いをして食った・・・
鶏にすれば、天然もののごちそうだ、先を争って食った・・・
5月9日 18時9分 クジラの町として知られる和歌山県太地町で、一部の住民の髪の毛から、WHO=世界保健機関の基準を上回る水銀が検出され、町は、健康への影響は確認されていないものの、継続的に調査するとしています。
和歌山県太地町の沿岸では、国際的な規制から外れている小型のゴンドウクジラなどの漁が行われ、町は、クジラの体内に蓄積した水銀が住民の健康に影響していないか、国立水俣病総合研究センターに調査を依頼していました。その結果、住民1137人のうち43人の髪の毛から、WHOの基準を上回るメチル水銀が検出されたということです。平均の濃度は、男性が11ppm、女性で6ppm余りで、平成12年から国内で行われた調査の平均のいずれも4倍以上でした。また、クジラの肉をよく食べる人ほど濃度が高い傾向にあったということです。メチル水銀は、水俣病の原因物質で、大量に摂取すると手足の震えや言語障害などの症状が出ることが知られていますが、これまでのところ、住民にこうした症状は確認されていないということです。国立水俣病総合研究センターの岡本浩二所長は「基準を超えたからといって、すぐに健康に影響があるわけではない」としたうえで、「メチル水銀については知られていないことも多く、今後、継続的に検診を行う必要がある」と話してます。 |
第十四章 イルカの保護
しぜんをほごする
四月のある午後、イルカの母子のコミュニケーションについて調べていた。ジャネットと私はスクウェアの六か月の子どものピグレットを追った。ピグレットは幼児の定位置について、スクウェアのすぐそばで午後の休息をしていた。モンキー・マイアの北の海盆で、ゆったり泳いで時々スナッグしていた。スクウェアは海底の海草をつつきながら、のんびりと魚を追ったが、漁よりも休息したかったようだ。
二頭が数時間休んでいるうちに、ヨギとスモーキーが加わって、遊びが始まった。ピグレットはスクウェアのそばの退屈な居場所から離れて、楽しくはしゃぎ回っている。二頭の幼児は水しぶきを上げながら、追いかけっこをして、かんだり、つついたりして、遊び回った。母たちは横に並んで、半目を開けて子どもたちを見守っていて、子どもたちが遊び疲れるのを待っていた。ピグレットとスモーキーはボートが気になって、ボートの周りで泳いでいたが、横向きになって、ボートの上にいる私たちを見上げた。ピグレットはスモーキーの脇腹に胸ビレを置いて、スモーキーが近くにいるかを気にかけていた。
叫び声のようなホイッスルが、突然ハイドロフォンから聞こえてきた。すると、ピグレットが海面から中空へ垂直にジャンプして、頂点で一瞬留まって、水しぶきを上げて着水した。移動中に行なう距離を稼ぐための低空ジャンプとは違う。そして、さらに強いホイッスルが聞こえた。大きく振動するホイッスルが、かなりの圧力で空中に放たれて、ピグレットがまたジャンプした。ピグレットはスクウェアのそばにいたが、母子は前後して、数回ジャンプした。私たちは突然のドラマに困惑したが、何が起きたのかを調べようと思って二頭を追った。二、三分して、ピグレットが何かを引きずっているのが見えた。それは胸ビレから絡まった釣り糸だった。背ビレにも絡んでいるので、釣り針がどこかに刺さっているに違いない。私は驚いて、心臓が胃の中へ落ちるかと思った。
スクウェアとピグレットは、トップスピードで並んで泳いでいて、ポーパシングかジャンプを呼吸のたびにしたが、激しく動いて、呼吸困難になっていた。私たちはイルカたちに追いつこうとしてモーターの音よりも大きな叫び声を上げた。二頭はあちこちに向きを変えながら、不規則に泳いでいたが、絡まった釣り糸の塊を外さなければならない意味を理解できないようだった。さらに別の二頭がスクエアとピグレットに加わって、並んでジャンプしながら、数メーターの距離を置いて、調子を合わせて泳いでいた。加わったのはサプライズとパックだった。群れは東に向きを変えて、泳ぎ続けた。
ピグレットは絡まった釣り糸の塊を後方へ引きずっている。釣り針が肉に深く食い込んでいるのだろう。サプライズとパックは、約十分間スクウェアとピグレットに調子を合わせて泳いだ後で、スローダウンして離れて行った。スクウェアとピグレットがおびえているので、サプライズとパックも怖くなったのだろう。サプライズとパックには、スクウェアとピグレットがおびえている理由が分からなかったが、安全策を取って、自分たちも同じ方向に泳いで逃げたのだろう。
スクウェアとピグレットが湾内を回遊し続けていると、別の三頭が現れた。この三頭もスクウェアとピグレットに調子を合わせながら、トップスピードで泳いで、十分くらいで離れていった。一方、スクウェアとピグレットの方は、北へ向けて泳ぎ続けた。
ジャネットと私は、私たちに近づいてくれば絡まった釣り糸を外してやると、ピグレットに分からせようとした。イルカのヒレで釣り糸を外すのは無理だが、人の手では外せると、ピグレットに伝えられればよい。変に思えるかもしれないが、イルカはそのように考えられるはずだと私は信じていた。以下は、ウイルフ・メイソンから聞いた話だ。トラブルを抱えている見慣れぬメスのイルカが、モンキー・マイアの浅瀬に入ってきて、ウイルフに近づいてきた。人に慣れていないそのイルカの口には、大きな釣り針が刺さっていた。イルカはウイルフに頼んで、釣り針を外してもらった。これは驚異的なことだった。釣り針を外すには大変な痛みが伴う。痛みは伴うが、がまんすれば、ウイルフが助けてくれて、そのうちに良くなることを、そのイルカは理解していたようだ。他にも人に助けを求めるイルカの驚くべき話を聞いたことがあった。
スクウェアとピグレットは、私たちに助けを求めなかったので、レンジャーに網で捕獲できないかと相談した。だが、網はスクウェアとピグレットにかなりの負担がかかるので、実現は難しいということになった。二頭は引きずっている危険物におびえて、逃げ続けたが、私たちの方にはなす術がなく、ただ二頭の後を追った。イルカたちは、優に三十分間はトップスピードで泳ぎ続けて、モンキー・マイアの北の海盆を通り越して、水路の深みに至った。海の色が急に濃くなって、波がボートの側面に打ちつけて、ほんろうするので、これ以上沖へ向かうのは危険だった。打つ手がなかったので、ジャネットは仕方なくこの出来事を記録し続けた。何度も見失いそうになったが、それ以上追跡しても無駄だと思い、追跡を中止することにした。
私たちは岸へ向けてボートの舵を切り、モンキー・マイアに戻ったが、私たちの顔は苦虫をつぶしたようになっていた。釣り糸がピグレットのヒレからはずれるまで、二頭は泳ぎ続けるだろう。私たちはイルカが疲れて、危険な状態になるのではないかと心配だった。釣り糸がピグレットの肉に深く食い込んで、ひどい傷を受けるのではないか、体の他の部分や、スクウェアの体にまでも、糸が絡まるのではないか、ピグレットは溺れるかもしれない、ピグレットが死ぬかもしれないと私は考えて、釣り糸を不注意に捨てた人に、ひどく腹が立った。
私たちはキャンプへ戻って、夕食を取ったが、心には暗雲が垂れ込めていた。翌朝、できる限り早起きして、ピグレットを見つけようと心に誓った。夜が明けると、激しい風が南東から吹きつけていて、捜索ができなかった。午後まで待ったが、風が収まらなかったので、私たちは堪忍袋の緒が切れて、ボートに飛び乗った。モンキー・マイアの近辺なら捜索できるが、ピグレットは普段はこの近辺にはいない。それは、街灯の下で失くした鍵を探すようなものだった。つまり、近場なら街灯があって、良く見えるという意味だ。私たちにできることは、何でもしようと思った。スクウェアとピグレットは、私たちが探しているのを知っていたかのようだった。岸から〇・八キロも離れていない地点で、最初に出合ったイルカが、まさにこの二頭だった。釣り糸ははずれていたが、ピグレットのヒレには糸が食い込んだあとが残っていた。ピグレットが大丈夫のようだったので、私は良かったねと、ピグレットとスクウェアに向かって声をかけた。私は手をたたいて、口笛を吹いて、モンキー・マイアへ戻り、心の底から安心した。
釣り糸が絡まったイルカはピグレットが初めてではなかった。たくさんの人が桟橋で魚釣りをしていて、釣り糸がたくさん浮いている。子はとくに無防備で、好奇心が旺盛で、何にでも興味を持ち、危険もあまり知らない。それでも、シャーク湾のイルカは幸運な方だった。ナイロン製の釣り糸や、魚網や、釣り針でイルカが被る被害は、他の場所と比べればかなり少なかった。
この問題は大きいので、統計情報の分析は大変だった。毎年、毎日、毎分、漁業の影響で何頭のイルカが死んでいるかの情報が、漁業関係から一部公開されている。マグロと行動を共にするイルカも包囲して、マグロ漁をする。二、三年前になって初めて、新たな規制と技術が導入されて、イルカの致死率が下がった。IATTC(全米熱帯マグロ類委員会)は、毎年殺されるイルカの数は十万を超えていると見積もった。現在でさえ、マグロ漁によって殺されるイルカは、年間で三千から五千頭と見積もられている。ツナ・サンドを提供するために、ニッキー、パック、ホーリフィン、サプライズ、スクウェア、スクウェアレット、スナッブノーズ、ビビ、シックルフィンなどのように、賢いイルカが数千頭殺されている。
マグロ漁は脅威のひとつでしかなく、漁船は、全世界で年間二千七百万トンの獲物ではない海洋生物を、引き揚げて投棄しているようだ。「混獲」にはイルカや海洋性の哺乳類も含まれていて、全捕獲高の約四分の一になる。イルカは短繊維のプラスティック製の頑丈な魚網で、トラブルに巻き込まれる。海や川に関わらず、イルカは混獲されているし、イルカにとっての危険は人だけではない。イルカを食用として捕獲する地域もあり、チリ沖では最近まで、イルカをカニのエサとして使っていた。エサの魚類が乱獲されたことが原因で、イルカの生息数が減っている。中でも、川イルカは大きな危機に瀕している。世界中の大河の多くで水力発電が行なわれている。そのために、イルカは河を通り抜けられない。中国の揚子江(長江)もこれに該当する。ダムや、たくさん往来する舟や、漁業や、汚染が原因で、揚子江に生息するバイジ・イルカ(ヨウスコウカワイルカ)の生息数が減っている。現時点で生き残っているヨウスコウカワイルカは百頭以下だと言われている(二〇〇七年時点で千二百頭ほど確認されているらしい)。ヨウスコウカワイルカの未来は実に厳しい。
汚染は気づかないうちに進むことが多い。世界中のイルカにとって、最大の脅威は汚染だ。イルカは食物連鎖の最上位に位置していて、生物濃縮された汚染物質を摂取する。小さな生き物、つまり、小さな魚が汚染物質(DDTやPCBなど)を食べて、組織に蓄積する。大きな魚は汚染された小さな魚を食べる。結果として、小さな魚が蓄えた汚染物質を体内に取り込む。そして、さらに大きな魚がその大きな魚を食べる。こうして汚染物質が蓄積される。汚染物資を蓄積した魚をたくさん食べれば、人にとっても危険だ。
イルカなどの海洋性哺乳類の組織が、有機塩素化合物で高レベル汚染されていることが分かった。この汚染物質は内分泌システムや、免疫システムを害して認知発達障害を引き起こす。さらに悪いことに、汚染は授乳により、世代から世代へと伝わる。有機塩素化合物は脂肪に溶けるので、母が体脂肪を代謝して乳を造ると、この汚染物質が乳に混入する。そのために、赤ん坊は成長して自分でエサを捕る以前に、つまり、生まれてからすぐに、汚染物質の影響を受ける。その結果、汚染物質は世代から世代へと、幾何級数的に蓄積される。オゾンの減少や、二酸化炭素の排出や、森林の減少などが原因で起こる気候変動は、イルカなどの海洋性の哺乳類にとっても脅威だ。くわえて、気候変動がどのような影響を及ぼすかを、正確に予測するのは難しい。だが、イルカを含むすべてのエコシステムは、確実に、気温の上昇、塩分の濃度の低下、海面の上昇などの影響を受けている。
シャーク湾はアメリカからもっとも遠い地域のひとつで、浜は比較的すいていて、空気や水はきれいだ。シャーク湾でさえ、汚染の警鐘が鳴り始めた。一九八九年二月、アメリカに一時的帰国しているとき、モンキー・マイアのリチャードから電話が来た。リチャードが「悪い知らせがある」と言ったとき、声のトーンから、イルカが死んだと私は感じた。
「何かあったの」
と私は尋ねた。
「スナッブノーズとビビとシックルフィンが死んだようだ」
「どういうことなの。死んだって」
「ここ一週間くらい、モンキー・マイアでも沖でも見あたらない。死んだ可能性がある。さもなければ、浅瀬に来るはずだ」
オスのイルカが三頭も死んだ。私は愕然として受話器を置いた。このオスたちから、いろいろなことを学んだので、彼らがモンキー・マイアから消えたことは、想像すらできなかった。
一日かそこらして、リチャードから電話がきたが、そのときのショックは、さらに大きかった。
「レイチェル、ホーリーも死んだよ・・・ニッパーも(ニッキーの最初の子)」
と声が重苦しく震えた。
大人のオスであれば、しばらくどこかへ行っているだけで、戻ってくる希望は持てる。でも、ホーリーや幼子はたぶんダメだろう。小さすぎるので、自力では戻れない。私たちのイルカは死につつあった。
ホーリーの死はもっとも受け入れがたかった。ホーリーと私は長い間楽しい時間を共にした。ホーリーの小さな魂は活き活きと輝いていたので、私はホーリーの死を受け入れられなかった。ホーリーはまだ若くて、これから興味にあふれた長い生涯を送るはずだったのに、その成長を見届けられなかった。ホーリーが子を設けて母になり、年老いていく生涯を見届けられなかった。ホーリーと海草ゲームをしたり泳いだりすることは、もう二度とできない。
イルカたちの死因は汚染だった。その年は、環境が急激に悪化した。その前年、急増する観光客用のトイレが新設された。満潮の水準線から高さ六十センチ程度の場所に、汚水処理槽が設置された。トイレがひんぱんに使用されて、汚水が処理槽から湾内へ流れ込んだ。水質試験の結果、海岸付近は高レベルでバクテリアに汚染されていた。イルカの死は汚染と無関係だという説もあったが、実際は、死と汚染は無関係ではなかった。イルカ好きたちの排泄物が、文字通りイルカを毒したのは悲しいアイロニーだ。ウイルフとヘイゼルのキャンプが最新のリゾートに変わって、イルカは死んだ。餌づけ場所を規制するように、ウイルフとヘイゼルと激しく争ったし、イルカの健康のために、重要な規制も行なうように戦い続けた。私はモンキー・マイアの開発には初めから恐れを抱いていた。イルカは観光の呼び物なので、新しい管理体制にはイルカの保護策が取り入れられた。イルカが健康状態を保って元気な姿で、モンキー・マイアにやってくることに、人びとは大きな関心を寄せていた。
私たちはさまざまな提案をした。エサ、エサの与え方、イルカとの接触の仕方、沿岸でのボートの速度規制、海へ流出する農薬、化学肥料の制限、継続的な水質検査、ジェットスキーやセールボードなどのレンタル機器の制限などだ。セールボードは強風下では時速百キロを超えて、音もあまり出ないために、休んでいるイルカや、幼いイルカがたびたび衝突する。他の地域でも、イルカとセールボードが混在しているために衝突している。
私たちは長年かけて、モンキー・マイアの子の致死率に関するデータを蓄積した。モンキー・マイアに来ないイルカに比べると、モンキー・マイアのイルカは致死率がかなり高いことが判明した。モンキー・マイアの子は、野生の行動を身につけていないので憂慮された。母と時間の大半を過ごして、人からエサをもらうだけで、野生の中で自力でエサを捕らない。
私がモンキー・マイアで自由気ままに過ごした日々が過ぎ去って久しい。今や、観光地とイルカは「管理された資源」になった。モンキー・マイアはイルカを見て、イルカにエサを与えて触り、イルカの写真を撮るための観光地になってしまった。フルタイムの従業員が、観光客を管理して通訳して質問に答える。
私はこの変化はある意味で悲しかったが、逆に多くの人がイルカに関心を持つので励ましにもなった。イルカへの興味が高まって、シャーク湾へ人が流れ込み、人びとはイルカの保護に大きな関心を寄せるようになった。
私は長年にわたり断続的にイルカと会っていたが、会うのは当然だと考えていた。たくさんの観光客が海に入って、イルカと触れ合ったが、私は一歩下がって、時々感動的な光景を目にした。初めてホーリフィンと触れ合ったことを思い出す。手に伝わるホーリフィンの温もりは衝撃だった。夫が目の見えない年老いた妻の手を引いて海に入り、妻がパックのわき腹に触って、浮かべる喜びの表情を見ることこそが私の夢だ。人びとがイルカを学び、人びとの心に、イルカに対する興味や関心の火を灯すには、どうすれば良いのだろうか。
私は野生のイルカとの触れ合いは、素晴らしいと確信している。プールで飼育されたイルカは、訓練されていて、お決まりの行動を取る。だが、それはイルカの率直な気持ちではないだろう。モンキー・マイアでは、人が海に入って、イルカの本来の住みかとの中間点で、イルカと触れ合える。イルカの人なつっこい表情にも出会うが、同時にイルカはよそよそしくもある。これはイルカの野生を物語っていて、単に人を喜ばせる以上に、興味深い生きざまを見せる。だが、イルカの生きざまは、ほとんどの場合は人の都合に左右されない。
私は今、本書を書きながら、世界の指導者たちに海を保護するように促す
「イヤー・オブ・ザ・オーシャン」
を祝っている。
科学者や、政策立案者や、市民など数百名が署名し請願して、イヤー・オブ・ザ・オーシャンを開始した。私たちの惑星の心臓と肺である海が、死につつあることを示す厳粛で不吉な文書だ。イルカは絶滅しつつある生き物のひとつでしかない。
私たちは、自分が認識できることだけに気を使いがちだ。しかし、私は以下のように望む。モンキー・マイアのイルカは、生きざまや個性を人と分かち合い、人と触れ合ってきた。イルカは、魚類やマナティーなどの近親の動物の保護にまで影響を及ぼしている。私たちが海を救う行動を起こさなければ、さんご礁、タイなどの魚類、マナティー、エイ、人類の健全な未来のために、今、生きているニッキー、パック、サプライズとその子どもたちが、私たちに海を救う気持ちを抱かせるはずだ。人と触れ合うモンキー・マイアの伝統に従って。
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