岡本麗という女優さんがいます。新宿ゴールデン街の飲み仲間でした。彼女が飯塚出身で、卒業した小学校に柳原白蓮さんの寄付でできた図書館があったそうです。でもドモケンさんの写真、やっぱいいですね。
土門拳
http://blogs.yahoo.co.jp/ddtabo/15152513.html
土門拳の写真集「筑豊の子供達」です。日本の大御所カメラマンですから、著作権の心配がありますが原住民と7~8年先輩達の写真ですので掲載します。
時代的専門用語はコメントにて説明します。一部の差別用語はその時代のまま表現します。
筑豊には石炭王が何人もいました。その生き残りが麻生家です。ビジネスを石炭からセメント、病院経営に変え。吉田茂と親戚関係になり、麻生太郎が生まれています。
我が生まれた町の炭坑王の伊藤伝右衛門は公家の柳原白蓮から逃げられたとか聞いています。私達の学校は伊藤家の寄付で校舎が出来ましたので感謝しております。
http://homepage1.nifty.com/Theater5148/seijukan/yanagihara_byakuren/byakureny.html
それでは写真を見ながら、解説しましょう。
http://homepage1.nifty.com/Theater5148/seijukan/yanagihara_byakuren/byakureny.html
それでは写真を見ながら、解説しましょう。
まず、言おう「私じゃないよ。」でも、この撮影場所にボタ拾いとか遊びに行きました。
ボタ山は急斜面で頂上でオシッコをすると直角に曲がるのが男子の本懐でした。風向きではズボンにかかり最悪です。
拾ったボタは石炭風呂を沸かした後に利用します。ボタを入れると長持ちして燃料代の節約になります。
自転車の三角乗りです。子供用自転車など贅沢ですから、大人の自転車を使うとサドルに腰掛けないで乗れます。
この写真は炭鉱を離職された方々のために国が用意した失業対策事業です。ニコヨン(時給240円)と呼んでいました。この県道が舗装された頃に飯塚自衛隊基地ができました。戦車とかミサイルが通るのを見た記憶が鮮明に残っています。
本物の戦車をみて喜びましたが、新品の舗装がキャタピラで割れるのを見て、「折角の舗装がバカみたい。」と思いました。この写真の右上が藁の家です。私達はこの上でプロレスをしたりして遊びました。
今、この地にお住まいの子供達にこの写真集を見せても、何らの心を動かすことはありません。時は数千年過ぎたわけではありません。未だ半生期ぐらいです。
0 件のコメント:
コメントを投稿